番外編:逃亡癖


夏美がスクールに来る前のあるワンシーン



「春菜〜。どこ行ったの、春菜〜。」
すでに授業は終わり、寮に戻っているはずの秋菜の声が廊下にこだまする。いつも一緒にいるルームメイトのことを探して寮から出てきたものの、なかなか春菜のことを見つけられないでいた。
「いつものこととわかってはいても、探す方の身にもなってほしい。」
 ぽつりとこぼされた本音を聞いたものは誰もいなかった。その廊下で歩いているのは秋菜1人だけだ。常に薄暗い空に覆われている“場”だからこそ秋菜は慣れたように歩いていく。通常の状態の秋菜あたりの年の少女であるならば思わず足をすくめるような怖さと不気味さであるにもかかわらず、だ。もっとも、秋菜は自身に危害が加えられることはない、と確信しているからこそできる芸当でもあった。

「お、花井。」
「あ、竹中。どうしたの?」
 そんな時クラスメイトである竹中志希が角を曲がったところからひょっこりとあらわれた。先に気が付いた志希が秋菜に声をかける。秋菜は一応なぜこのような時間に学舎にいるのかを聞いてみる。いかにも答えはもう知っています、と言いたげではあるが。
「寝てた。」
 簡潔に言い表す志希に軽く頷くだけで秋菜はすべてを理解した。
「やっぱりね。途中から授業にいなかったからそうかなって思ってた。」
「しょうがねぇよ。花井がリンゴ無しで生きていけないのと同じだ。」
「それはわかってるよ。ところで“逃げ出さずにはいられない”春菜の居場所知らない?」
「・・・。逃げ出してるわけじゃない、って本人は言ってたけど。いいのか、それで?」
「あれは逃げてる以外の何でもないと私は思ってるの。ほら、竹中も探すの手伝って。」
 この会話から春菜が居なくなるのは日常茶飯事であることがうかがい知れる。そんな様子の秋菜に肩をすくめるだけで志希は春菜捜索に加わった。

「春菜〜。どこ〜。」
「松葉〜。どこ行った〜?」
 秋菜だけではなく志希の声も春菜のことを探していた。学舎の中のどこかにいる、その考えに秋菜は確信をもっていた。春菜はもし学舎外に出るのであればあらかじめ秋菜自身に何かを伝えていくか待ち合わせ場所を伝えてきた。そのどちらも起こらなかった今日は学舎の中にいるはずなのだ。
「竹中。あとあそこだけだと思うんだけど。」
 4階建ての学舎の隅々まで探したがいまだに見つからない。そうなると春菜は見ていない特別室にいるのだろう。その意図を込めて志希に指し示す秋菜。その真剣なまなざしに、からかおうと思っていた志希はあっさりとからかうことをあきらめる。その代りかすかに頷くと目の前にあった特別室の扉を開けた。

「いた。」
 秋菜は小さくつぶやく。机に行儀悪く座った春菜が窓の外を眺めている。別にどこにいて何をしていても秋菜にとって春菜は大切な友達だ。しかしこのように遠くを見るような目で赤黒い空を見ている春菜を見ることは嫌いだった。春菜には常に表情がある方が似合う。まったく表情のないその顔は何度見ても慣れることはなかった。
 秋菜は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出した。そしてピンと張りつめた空気が漂っている特別室の中に意を決して入っていく。それを眺めていた志希も半ばあきらめたように後に続いた。
「春菜。」
 秋菜がちょっとためらいながらまったく後ろを振り向かない春菜に声をかけた。
「迎えに来たよ。ご飯食べに行こう。」
 その声を聴いた春菜はゆっくりと振り向く。そして秋菜を見つけるとにっこりと笑った。
「ごめん、もうそんな時間だったんだ?」
 本当に時間の概念が抜け落ちていたかのような春菜の物言いに相変わらずだなぁ、とつぶやく志希。一方秋菜はにっこりと笑う。
「そうだよ。今日は体育もあったからおなかペコペコなんだよ。早く行こう。」
 そういいながら秋菜は春菜の手を取る。それを甘んじて受けながら春菜ははにかんだ笑顔を見せた。
「ごめんね、あたしのせいで。」
「確かに春菜のせいだけど、春菜自身どうしようもないことじゃない。」
「そうだぜ、松葉。花井はリンゴ無しじゃ生きていけない。オレは寝ないとやっていけない。お前は同じ場所に居続けることができないんだろ。」
「そうだけど・・・。少しでも長く居れるように努力はしてる。」
「お前な、それは当たり前だろ。おれだって寝なくて済むように努力してるぞ。」
「竹中が!?それはない!」
「これ見よがしに授業サボる理由にしてるしね・・・。」

 今までの重い空気はどこに飛んで行ったのか、というほど彼らの周りの空気は軽くなった。その軽い空気のまま3人そろって特別室を出ていく。3人の後ろ姿が見えなくなった頃その様子を見ていた妖精たちが姿を現した。
『まーきゅりー?』
『まーず?』
『さたん!』
『ちがうよ〜』
『ほんものだよ〜』

 口々に言いたいことを言ってのける妖精たち。しかしそれを聞くものは彼らのほかにはおらず、その口々に言っている内容について深く問いかけるものは誰もいなかった。



2012.2.12 掲載