序章



 この狭間の“場”は、人間と妖精が住む世界の間にある空間。迷い込むだけの素質がある人間と妖精だけが迷い込む事が出来るトコロ。妖精と人間、どちらの素質も持って生まれてきた者たちが集う場所。
そのようなどっちつかずな者たちの能力を開花させるか封じ、どちらかの世界に合わせる施設がある。その施設は「フェアリー・ワールド・スクール」と呼ばれていた。この“場”に迷い込んでくる者のほとんどは人間の少年・少女である。彼らは人間であるにもかかわらず妖精としての素質が大きすぎるために迷い込み、世界に囚われてしまう。その子供たちの素質を開花させるか封じるのが「フェアリー・ワールド・スクール」の主な役割である。
ほら、ここにまた1人……。

「ここはどこなんでしょう?」
 何もない空間で小首をかしげる少女が1人いた。眼鏡をかけ、長い黒髪を下のほうでゆるく結わえている。
 自分は友達と近くの森に遊びに来ていたはずなのに、と思い巡らす少女。立ちすくんで首をかしげているだけでは友達と会えないかもしれない、と思った少女はとりあえず、はぐれた友人たちを呼んでみることにする。
「美香さーん、優衣さーん!」
 彼女は友人たちの名前を呼びながら足が向いていたのとは逆の方向、つまり自分が来たと思われる方向に向かって歩き出した。薄闇がおおっている世界で、足元だけはしっかりとしていると認識できる。しかし、残念なことにそれ以上の視覚的、感覚的な情報はこの少女の元に訪れなかった。
 しばらく歩いていくと、とても大きな木が目の前に立っていたことをようやく感覚的に認識した。
「こんなに大きな木が森にあったのでしょうか?」
 小さな声ではあったが、思わず確認せずにはいられない、というつぶやきが声に出ていた。
「いや、あなたがいた森にはなかったと思うよ」

 ばっ

 少女が振り返ると、そこには不思議な雰囲気の青年が立っていた。それも、足音はおろか気配すら感じられなかったのだから、びっくりする。
「あの、あなたはどなたですか?」
 いきなりのことでびっくりはしていたが、少女は特にあからさまにうろたえるわけでもなく静かに尋ねる。そして答えを待つかのようにその青年のことをじっくりと観察していた。

 青年は不思議な色の髪をしていた。見るときの光の当たり具合によって、また見る角度によって刻一刻と色が変化している。また、年齢も推し量れない雰囲気を持っていた。一見すると20代のような印象を受けるのだが、2度目に見ると10代前半の少年に、もう1回まじまじと見ると40代の中年男性に見えるのだ。
“不思議な人……まるで人間じゃあないみたい”
 少女の率直な感想だった。人間、少なくとも少女の周りにいたような人々とは違う雰囲気を持ち、さらに儚さを持ち合わせたこの青年が普通の人間であるとは到底考えることができなかったのだ。
「僕? そうだなぁ、この“場”の案内人ってところかな」
 薄い笑みを浮かべながら青年は漸く口を開いた。口を開いたところで少女にはまったく意味を成さない言葉ばかりではあったが。
「案内人……? ということは、私がどちらに行けば元居た所に戻るか分かりますか?」

 少女は必死な思いを込めて青年に言った。しかし、青年の表情は全く変わることなく口から出てきた言葉は少女に更なる衝撃を与える。
「元居たところに戻る、かぁ。それは無理だね。あなたはもう囚われてしまっている。あなたはフェアリー・ワールドに見初められた。元の場所に戻るのは当分先の話になってしまうね」
「えっ……?」

 少女は言葉を失った。まさか帰れないと言われるとは思っていなかったのだ。少女の頭の中にはいかにして自分が無事であることを家族や友人たちに伝えるか、そこの事だけがこびりついている。案内人と言った青年の言葉を考え、理解しようとした過程で1つの仮定にたどり着く。その仮定にたどり着いた少女の顔はどんどん血の気が引いていき、青い顔になっていった。
 その間、青年はまるでこの後どうなっていくのか分かり切っている、かのような涼しい顔で少女の顔色が変化していく様子を眺めていた。
「もしかして……」

 漸く口を開いた少女の声はかすかに震えていた。
「私、死んじゃったんですか? あなたが死神なんですか? それとも天使?」
 青ざめた顔で自身の状態を確認する少女に青年はゆっくりと首を振る。
「いいや、あなたは死んではいない。でも、見えないはずのものを見てしまったからここにいるんだってところかな。……いつまでもここにいてもしょうがないからスクールに行こう」
 そういって青年は自身の後ろを指差した。その指の動きを少女の目が追う。すると驚くことに青年の後ろにはいつの間にか大きな建物が建っていたのだ。
「え、いつの間に? あれ、私たち動いていませんよ?」

 いったい自分たちに何が起こっているのか、まったくわからないという感じではあったが、少女はまず、客観的な事を言葉にした。事実、彼女の背後にはまだあの大木がそびえ立っている。
「うんそうだね、僕たちは動いていない。でも向こうが来たんだよ、僕が呼んだから」
 少女はひたすらに首をかしげている。
「初めはわからないことだらけなんだよ、誰でも。でも、そのうちすべてがわかる時が来る。……ね、梅野夏美さん」

 少女はいきなり自分の名前を呼ばれたことで大きく目を見開いた。まだこの青年との会話の中で自分の名前は名乗っていない。ではなぜ彼は自分の名前を知っているのか。
 そのような思考が少女の中にあふれ始めていた。なぜ建物が「彼に」呼ばれてきたのか。なぜ自分の名前を知っていたのか。自分はいったいどこにいるのか。いったい彼は何を案内するのか。そして一番肝心な……
「……あなたは、いったい何者なんですか?」

 少々事態についていけずに途方に暮れながら口を開いた少女こと夏美に、その青年は仰々しくお辞儀をしながら自身のことを伝えた。
「僕はこの“場”、フェアリー・ワールドの案内人であるコンロです。あなたが妖精に近すぎたように、僕は人間に近すぎてここに囚われてしまった。あなたのような人たちはたくさんいるんですよ? その人たちのためのスクールです。あなたもここに通えばもしかしたら帰る方法がわかるかもしれませんね」
 それは質問の体をとっていたが、実際は決定事項であった。青年ことコンロの言っていることに逆らうことはできないと直感で感じた夏美は半ばあきらめたような顔で建物を観察した。

 赤茶けた、古いレンガで作られた頑丈な建物である。まるで教会のようなきつい傾斜のついた屋根をしているが教会のシンボルともいえる十字架は全く見当たらず、ステンドグラスすらついていない。だが、とても大きな存在感と威圧感を醸し出していた。
 少しの間現在の状況を考えていた夏美がこの大きな建物を仰ぎ見た。そしてそこに何を見たのか、屋根の上のほうを見て大きく目を見開き驚愕の表情を作り出す。そして、まるでその行動が大儀であるかのようにゆっくりと視線を屋根からコンロに移し、彼を見つめるとゆっくりと首を縦に振ったのである。

 その瞬間、それまできれいな黒髪であった夏美の髪の色が深い緑へと変化した。髪の先のほうからかなりのスピードで色を変えた夏美の髪を満足そうに見つめながらコンロはもう一度夏美に向かいお辞儀をした。
「ようこそ、フェアリー・ワールド・スクールへ」



2011.6.11 掲載
2013.5 一部改稿