誰しも熱中するものがあるはず



 ようし、これでビーカーの準備は完璧。ついでにメスシリンダーの具合もチェック完了。後は……
「おーい佐々木さん、一人でてきぱき始めちゃってるけど、いいの?」
 ……。

 あ。すっかり他の班員のことを忘れてました。
「ごめん小暮くん。別に間違ったことはやってないから安心してよ。これから先生が説明することだと思うし」

 私たちは今理科の実験をするために理科室にいる。そしてこれから水の量を量ることになるんだと思うから準備室から実験器具を失敬してきちゃったんだけど。別に科学部のみんなとも顧問の先生とも普通に仲良くしてるからいいと思う……。
「いや、多分なんだけどな。先生、今佐々木さんの行動を理解するためにフリーズしてるからさ」
「……えっ、ほんとに……?」
 今まで背を向けていた、先生のいる黒板側をぐるりと振り返ってみてみる。そこには、ちょっと口元を引きつらせた笑顔を見せた先生が確かに固まっていた。でも、何で固まっているんだろう?

「せんせー。佐々木さんも手を止めたことですし、指示お願いしまーす」
 小暮くんが先生の意識を引き戻すかのように声を上げた。
「そっ、そうですね。では皆さん、プリントの1番上に書いてある実験器具の名前をまず確認して、そこに書いてあるものを準備室からもってきましょう。大きさを間違えないようにしないといけませんよ」
 気を取り直した先生がクラス全体に話しかける。そしてそのときやっと私の耳に音が戻ってきたことに気がついた。

 ああ、私はまたやってしまったようだ。部活の顧問や科学部のみんなもそれに気づいてくれていたから何とか取り繕えたけど、これはちょっときつい……。むしろこれは、きっと先生からのお説教が入るよね。ああ、今から授業が終わってしまうのが怖いわ。そういえばこの化学の先生、まだここに来て日が浅いってうわさされてるんだっけ。だからフリーズしてたのか。それならちゃんと私ができるってアピールしないと……
 前言撤回。こんな楽しい時間が本当に1時間しかないってありえない。
「んっと、オレたちはどこからやればいいんだ?」
 そうだよ、やっと実験にたどり着いたんだ。今まで私の部活がないときを利用して放課後やたまに昼休みに科学部の実験に顔を出していただけだったけど、やっとこれで私も実験を心置きなく出来るようになるんだ! よし、集中する。
「えっとまずは……」
「おーい佐々木さーん。さ・さ・き・さーん?
 ………。
 あ。

「……。えっと、ごめんね。器具の名前はみんな大丈夫?」

「本っ当に今日の実験はごめんね、小暮くん」
 昼休みになり今日は自ら屋上に上がった私は、松葉さんとお弁当を食べていた小暮くんに謝った。
「いや、オレは別にいいけど、他の班員がちょっと困ってたからさ。オレにできたことは佐々木さんを現実に戻すだけだ」
「ああ、今日の実験か。見事にクラス中を置いてきぼりにして一人で動いてたよね、佐々木さん。あれにはあたし感動したわ。久しぶりに我が道を行く人に会った気がした」
「……あれを“我が道を行く”って表現しちゃうんだ、松葉さん」
「あれはどっちかっていうと“没頭する”のほうがいいんじゃね? なんていうか、半端ない集中力を発揮した、とでも言えばいいのか」

 小暮くんはわりとしっかりとした言語感覚をもっている。だから私がちょっと小難しく言ってもそれをちゃんと理解してくれる感じがする。逆に松葉さんの言っていることをちゃんと理解しようとするとインスピレーションが必要になってくる。松葉さん自身の言葉が足りていないってこともあるんだろうけど。
「多分小暮くんが正解。私もよく分かってないんだけど、特定の時にだけでてくるんだよね」

 私は2人が開けてくれたスペースに腰を下ろしながら話を続けた。もちろん、話している間にもお弁当箱を開けて食べ物を口に運ぶのは忘れない。
「へー、限定的なんだ。ちなみにどんな時にでてくんの? 私の友達で本読んでる時はどんなことしても戻ってこない子いるけど、そんな感じ?」
「松葉さんの周りにもいるんだ、そんなコ。ちょっと意外だな」
 ポツリと漏らした小暮くんのつぶやきに思わずハンバーグを口に運んでいた箸を止める。
「ってか、何それ!? あたしは何だと思われてたの!? 酷くない、小暮くん!」
「……松葉さん、多分小暮くんに悪気はないって。私もちょっと思ったし」
「ちょっ、佐々木さん! それフォローじゃないでしょ!! この高校のやつらはみんなこんなんなのかな〜。さっちゃんと浦浜ぐらいじゃん、ちゃんと分かってくれてるの!」

 これは言っていいのかな……でも言わないときっと話が分からない。しょうがない。
「「何を分かる(の)(んだ)?」」
 ……。
「あっはっはっはっは! ちょっ、2人とも! 綺麗にハモりすぎ!」
 松葉さんが大爆笑している横で私と小暮くんは顔を見合わせて困った顔をお互いに作った。何をそんなにツボらせてしまったのか、いまいち分からないけど。
「松葉さん、落ち着いてくれ。ついでに戻ってきてくれ。話が進まない」
 ハァ〜とため息をわざとつきながら小暮くんがもっともなことを言う。すごく常識的なのに何故か盛り上がると熱い性格になるのか、みんなを引っ張っていくんだよね。

「ははははは……はぁ、はぁ、はぁ。ごめん」
「うんにゃ、オレは大丈夫。話戻そうぜ、佐々木さん」
 軽く肩で息をしながら片手を挙げて謝る松葉さんに話を促す小暮くん。……この2人ってすっごくいいコンビなのかもしれないって今思った。
「うん、戻すね。私がものすごく集中しちゃうのは理科の実験の時とテニスの時かな」
 へぇ、と言う相槌が聞こえる。
「それならオレもわかるよ。オレもサッカーの時、マジ集中力が半端なくすごいってこの前チームメイトに言われた」
「それはアスリートなら誰でもそう何じゃないの? あたしも結構そうだよ?」
「なんていうか、テニスの時はそれでいいって言われてるし、かまわないんだけど。……やっぱ実験はまずいかな、と思って」

 これは本当の気持ち。先生に謝りに行ってからこっちにきたんだけど、科学部の顧問の町田先生もフォローを入れてくれたぐらいには重症。ついでに部活の顧問である川本先生にも気をつけろ、と言われてしまった……。だから反省はしてる、よ。
「ってことはあれだ、何とか少しでも改善したいわけだ」
「うん、そりゃあ」
 流石にあれはまずいって私も分かってる。だから何とかしたいんだけど。
「じゃあ改善案を考えてみたらどうだ?」
「改善案? 何、どう言うこと?」
 松葉さんの頭にはてなマークが並んでいるのがよく分かる。ただ、改善するかは分からないってのが正直な気持ちではあるんだよね。
「ないわけじゃないよ、千早先生にも伝えてあるし。ただ、成功する確立は私の経験上低いなって思ってて」
「でもやってみないと分からないもんな! オレでよかったら手伝うからがんばってみようぜ、佐々木さん」
 ……最後に熱くなってきたね、小暮くん。こうなると押しが強くなってくることも最近学んだことのひとつだったりする。
「……はい、がんばってみます」
 私にはこれしか言えなかった。

 そんなやり取りが合った数日後、私たちはまた実験のために理科室に来ていた。そして改善のためにやった事。それは班替え、だった。
「ねぇ梨花! ここ、この部分なんて言ってるの?」
「……。えっと、これはそこにあるビーカーの中身をきっかり50ml量って、その重さを確認しろってこと」
「えー、じゃあこのビーカーの線まででいいんでしょ?」
「よくない。清水、ちゃんと指示のところ読んだ?ビーカーだと誤差が大きすぎるからメスシリンダーを使って量るの」

 班替えで変わってもらったのは、清水と小暮くん。小暮くんにはちょっと悪いかな、とも思ったんだけど、全体で席替えもやることになって。そのとき浦浜くんと同じ班になったみたいだからそこは眼をつぶってもらう。完全に「やれること」をやってもらった事になった。
 とにかく、清水は私の状態がどうであれはなしかけてくるし、分からなかったらわかるまでしつこく聞いてくるタイプだ。基本的に気分屋だし話のふりも唐突だけど、だからこそ私が完璧に集中しきれない状況を無意識のうちに作り出してくれている。まだまだ集中しすぎて周りが見えなくなっちゃうけど、帰ってくる速度がちょっとでも速くなってくれればいい、と思って千早先生と小暮くん達に言ったんだ。
 そして現状を見る限りでは、成功と言うことだろう。とりあえず、清水のせいで班全員のデータがパァになってはたまらないから結構集中しすぎないでがんばっている、と思う。
「あ、さっちゃん。それメスシリンダーの大きさ大きすぎじゃない?」

 さて、これから食塩水を作るんだっけな。別にメスフラスコを使うほどじゃあないからメスシリンダーでいいって確認したし。50 mlを量り取るんでしょ? ってことは、ビーカーの大きさ100 mlで……
「え、そう? プリントに200 mlって書いてあったけど?」
 メスシリンダーの大きさは100 ml ……ぶっちゃけ50 mlでもいいよね。ん、純水が50 ml、食塩10 g ……か。ってことは……10 ÷ (50 + 10) になって、1/6 ……
「……、佐々木さん戻ってきたほうがいいと思うよ〜」
 なるほど、これは約17% になるはず。誤差か! 誤差を考えることがこの実験の目的なんだ! ってことが分かったとこでとりあえずいくつか作らないといけないから……

「松葉さん、それじゃダメだって……」
 食塩を先に量り取ったほうがいいね! じゃあ先に上皿天秤を……
「ねえ、梨花」
 えっと、上皿天秤はこっちにあったはず! ……見つけた。
梨花!!
「!!!!!!!!」

「お、やっと戻ってきたな、佐々木さん」
「浦浜、お前なんでそんな他人事なんだ? 一応それなりに仲いいほうじゃないのか?」
「別に僕個人は佐々木さんとそんなに仲良くないと思うけど。主に小暮と松葉が仲良いだけなんだろ?」
「……とりあえず、清水さんをそのリストに上げてあげるべきだろ?」
「あれは仲が良いとは違うと思う。なんていうか、佐々木さんが“付きまとわられている”って言うのが正しいんじゃないか」
「相変わらず鋭いと言うか……」
「ところで小暮、僕らの班の作業は大丈夫か?」
「……。メスシリンダーで量るか」

 前言撤回。まだまだしっかりと気をつけておかないといけないみたいです。



2011.7.24 掲載
2013.5 一部改稿