なんで今日は天気予報外れて曇り空なのかな。どんよりした雲は好きじゃない。そもそも雲は水分を含んだ暖かい空気が上昇気流で上空に持ち上げられ、上空で急激に冷やされることにより、ほこりなどを核として氷になるんだよね。その集まりが雲。氷の塊が大きくなって重力で落ちてきたときに溶けたり、蒸発しきらなかったものが雨となったり雪となるんだ……。
「梨花! 国語の授業終わったから、お昼だよ!」
「え……、あ、うん」
あれ、前にもこんなパターンがあった気がする。デジャブ?
清水から一拍遅れてお弁当を食べるために鞄を開ける。今日も屋上に行くんだろう。清水を見てみると松葉さんにも声をかけているところだ。
「清水さん! オレ達も行くから」
「僕は一緒に食べるって言ってない」
「オレがお前と食べたいんだって。あ、こら、マジで引くなよ! 言ったオレも恥ずいだろ」
「2人とも! クラスの女子に変な目で見られるよ〜!」
「清水さん、なんで変な目で見られるんだ? 確かに今のはオレ自身引いたけど」
「世の中には“びーえる”というものもあるのさ!」
「“びーえる”? なぁ浦浜、分かるか? ……あれ、いねぇ」
「浦浜なら購買に行ったよ?」
「マジか! 松葉さんサンキュー! 先行っててくれよな!」
清水が話をしているうちに私もお弁当を手にした。聞く気はなかったけど聞こえてきた会話でなぜだろう、小暮くんが不憫に思えてくる。……世の中には知らない方が幸せ、というものもたくさんあるよね。うん。
そう考えながらも足は清水たちのもとに向かい、いつの間にか追いつく。そして松葉さんと清水がにぎやかに話している内容を聞くとはなしに聞きながら私も屋上へと上がった。
◇
「でさ、梨花」
「何?」
「“あかてん”って何?」
今清水は爆弾を投下した。それも本気で知らないらしい。私は箸が途中で止まったし、松葉さんもむせてる。浦浜くんはぽかんと口を開けて清水を眺め、小暮くんに至っては飲んでいたオレンジジュースを噴出した。(幸い顔を瞬間的にそむけることには成功して誰にもかかっていない。よかった。)
「ちょっと、何、みんな揃って! 私そんな変なこと言ってないよ! だって、さっきの国語でテスト返してもらった時に、『この科目だけは“あかてん”の心配がないな』って先生が言ってたんだよ!?」
「まぁ、確かに言ってたけどよ。まさか真に受けてるのか?」
けほけほと軽く咳をしながら小暮くんが口火をきった。まずはそう、どれだけ先生たちの情報のやり取りが行われているのかわからないけど、そう言われただけの理由で鵜呑みにする必要は全くない。むしろ、先生の言ったことは(特にテストの点にかかわること)疑え、って言う気風もある。素直に受け入れる人もいるけど、少数派だと思うな。
「なんかよくわかんないけど、“あかてん”が悪いことだってことはわかる! だから国語だけそれに入らなかったからよかったんだよね?」
「って言ってるさっちゃんは何点なの?」
「松葉、それ聞いていいのか?」
「え、なんで? あたし48点」
「それ国語? 勝った! 56点!」
人の点数をさらりと聞き出しちゃう松葉さんも松葉さんだけど、ぽんぽんと答えちゃう清水も清水だと思う。そして目の前で繰り広げられる点数のやり取りにちょっと顔を引きつらせる浦浜くん。うん、できる人には信じられない次元の会話だよね。
小暮くんは先程のオレンジジュースのパックを飲み干しているところだ。ちょっと遠くを見つめているような気がするけど、気のせいだろう。
「せっかくだからみんなの点数も聞いてみよう! 国語だけでいいし!」
「いいね〜。あたし自慢じゃないけど国語ならクラスの底辺に居る気がするよ。だからみんな安心して答えようか!」
言い出してしまったのは清水。あおっているのは松葉さん。この2人がタッグを組むともう私たちには止めることができないみたいだ。
「じゃあ、まずは小暮くん!」
「オレェ!? ちょっと待てよ、まだ飯食ってるんだって!」
「大丈夫だよ、あたしより下じゃないんでしょ?」
「でも、教える必要もないだろ!」
「そうだけど、そうじゃないし!」
ああ、またコントが始まった。いそいそとお弁当を食べる私と騒いでいる3人を見て小さく息を吐く浦浜くん。あきらめた、のかな?
「オレは、国語だけは良いんだって」
そのセリフに思わず納得してしまった。確かに小暮くんの言葉に対する感覚は鋭い気がする。清水や松葉さんの支離滅裂な日本語をいとも簡単に正しく直すから。
「で、いくつなのさ?」
「76点」
「「まじで!?」」
清水と松葉さんの言葉がハモる。そしてずい、と前のめりになるから小暮くんはじり、と後ずさる。若干顔をひきつらせているようにも見えるけど。
その時、私の隣に座っていた浦浜くんがぽつりとつぶやいた。
「それぐらいか」
「え?」
私は誰かに向かって言ったのか、それすらわからないつぶやきに反射で返していた。
「いや、小暮も確かに国語は出来てる方だけどあれ位なんだな、と思ってさ。僕が言ったら嫌味にしか聞こえないとは思うけどね」
「そうなのか、な」
浦浜くんが本当にすごいと思うのは「自分」がどう見られているのか理解してることだと思う。それに、それを否定しないでその通りに生活していること。私にはできてないことなんじゃないかな。どうしても内側に目が行っちゃうし。
「佐々木さんはどうなの?」
「え?」
思考に沈んでいた私は、松葉さんの言葉に間の抜けた返事を返してしまう。ふ、と目を上げると松葉さんが私のことをにこにこと見つめていたから、話しかけられたのかと初めて認識した。
「! えっと、ごめん。なんて言ったの?」
「佐々木さんらしいなぁ。国語の点数。佐々木さんは赤点とか無縁だと思うんだけど、参考までに。それとも言いたくない?」
最後の一言に松葉さんの配慮を感じた。小暮くんは国語なら聞いても大丈夫、っていう確信めいたものがあったのかも知れない。ふと、そんなことが頭をかすめた。
「国語なら。私は78点だったよ?」
だいたい私のテストはこれぐらいの点数ばかり。特別頭がいいわけでもなく、かといって頭が悪いわけじゃない。英語だけはいつも80点台に乗るけど、それ以外はたまに80点に行くぐらい。私としては高校初めてのテストで今までと同じ水準の点数が取れたことにほっとしている感じはある。
「やっぱり梨花は頭いいよね! 78点かー、それぐらいとれるようになりたいなぁ」
清水が感慨深げにつぶやく。そしてふと思い出したのか、また私に向かって質問した。
「そうだそうだ! 梨花、“あかてん”って何?」
「“赤点”だよ、さっちゃん。赤い点」
「で、だからそれ何?」
松葉さんがやんわりと漢字を教えるものの、そのものの意味の方が気になっているらしい。清水にしては流されることなく質問を変えてこない。
私は小さく息を吸うと清水に向き合った。
「清水、赤点っていうのは点数の線だと思って。うちの学校は35点だってまっちゃん先生が言ってたけど、35点のところに赤い線が引いてあるの。それよりも点数が悪いと補習」
「補習!? それって、居残り!?」
「そうだと思う。赤点がいっぱい溜まると、留年」
「りゅ、留年? ん? なんかあんまりいい雰囲気の言葉じゃないよ?」
「そうだろうなぁ。だって、留年って「留まる年」って書くんだし。同じ学年をもう一回、ってことな」
「……。いっぱい“赤点”になったら、もう1回1年生……」
事態を把握したらしい。小暮くんの漢字の説明も加わって分かりやすかったみたいだ。そんな中、清水の顔がみるみる青ざめていく。そして、絶叫が屋上に木霊した。
「うっそ〜〜〜〜〜〜!!!!」
「嘘じゃないよ、さっちゃん。だから35点のラインはいつもクリアするように頑張らないといけないの」
「わ、私さ、もう35点より下のものが1つあるんだけど」
「1つぐらいならまだ留年にはならないからそんな心配すんなよ、清水さん」
「そうかな。これから頑張らないと、だめだよ」
「今わかったからいいじゃん」
「ううう……」
本格的に沈み始めた清水をどうにか浮上させようとする松葉さんと小暮くん。私も何かを言いたい、と思う。でも何を言えばいいのか、それがわからない。どんな言葉をかければいいの? 私が何かを言っても、それは響かないんじゃないかな。
「清水さんにとってはテストがすべて?」
その時、するり、と浦浜くんの言葉が私たちの間を駆け抜けた。大して大きな声じゃなかったけど、それでも私達4人はぴたり、と動きを止める。
「確かに、テストは時と場合によっては大切だよね。僕もそれはそう思うよ。でもさ、それだけで清水紗弥香って人物は決まるの?」
すとん、すとん、っていいながら浦浜くんの言葉が私自身に心に落ちてきた。テストだけで私の何がわかるのか。それは私のほんの一部なんだよね。
「テストは定規の1つなんだよ。学力、という僕らが学校に来ている最大の目的を図るための、さ。でもその定規をあてがったところとは別の場所はちゃんと理解してるかもしれない。もしかしたらテストを作った先生が難しい問題ばかりを載せたのかもしれない」
そこで一呼吸入れる浦浜くん。
「でも実際の人物っていうのはそういう物差しで測るようなものじゃない、僕はそう思う。清水さん、もう1回聞くよ? 清水さんにとってテストがすべて?」
「ううん! テストだけじゃないよ! 部活もあるし、家族もいるし、みんなもいる! こうやってお昼食べてる方がテストよりも大切な時もあるもん!」
今度は間髪入れずに清水が反論をした。
「それがわかってたら次のテストの時に頑張ればいい、って思わない? 僕らと居たいから、っていう動機もありだよ。そのためにテストがあるんだ、って思えばテストはゴールじゃなくって“来年も僕らと居る”ってゴールに向かった道の1つだ、ってわかるよね? ゲームに例えるなら、中ボスかな」
なんでそこでゲームのたとえが入ってくるのかはわからないけど、確かに言わんとしていることはわかる。目標=テストだときついけど、目標のための通過点=テストなら頑張れる、ってことを言いたいんだよね。
「じゃあ、次は赤点とらないように頑張る。そのためには経験値を積まないといけないよね?」
「経験値は普段の授業をどれだけ覚えているか、だろうね。テストの結果は確かに大切かも知れないけど、それだけで人生が終わるとか、全部がパーだ、なんてことはないから。んじゃ、僕は先に教室に戻るから」
浦浜くんはそう言って屋上から校舎内に戻っていく。
「浦浜、たまにすごーくいいこと言うね」
その時の全員の気持ちを代弁した松葉さんの声が残った私達4人の間を通り抜けて行った。
私も、テストは通過点、って考えるようにしてみようかな。そうしたらちょっとは思いつめなくなるかもしれない。テストがすべて、なんてことは、ないんだ。
2012.3.17 掲載
2013.5 一部改稿