期末で赤点を取った人は



 チクタクチクタク……
 時計の秒針の音が聞こえる。他には焦ったみたいに消しゴムでテスト用紙をこする音とかシャーペンをカチカチ押す音、ペラリとテスト用紙をひっくり返す、それに突っ伏してた体を起こして身じろぎする音ぐらいしか聞こえない。

 私は、期末テスト最後の科目である理科のテスト用紙を見下ろした。もう2回ぐらい見直してるから大丈夫だと思うんだけど、周りのみんなが焦ってるから私自身も焦り始めて、確認しないといけないような錯覚に囚われる。もう十分ってほど見直したのに……。
 ちらりと他の席に視線を送れば、机に突っ伏している松葉さんと浦浜くんが見えた。何となく、2人の突っ伏してるテストの状況は真逆なんじゃないか、と思う。浦浜くんは答えたところは全部正解で、松葉さんは空欄がきっと多い。それでも、清水よりは安心して結果とか見ることができるのが松葉さんじゃないかな。

 ガタン

 教卓に座っていた先生が立ち上がる。そして、チャイムの音が鳴り響いた。

 キーンコーンカーンコーン
「はい、そこまで!鉛筆を置いてください。テスト用紙を回収します。回収し終わるまで席を立たないでください」
 みんな一斉に伸びをしたり唸ったり近くに座る友達に話しかけたり。今にも動きだそうとするみんなの間を縫うようにして先生がテスト用紙を回収して行く。回収が終わると、教卓で集めたテスト用紙の枚数を数えた。もう筆箱をカバンの中にしまい終わった奴や教科書を開いて見直しするやつもいる。私もカバンの中に筆箱をしまって、先生の言葉を待っていた。
「みなさん、お疲れ様でした。明日はいつも通りホームルームがあるので、遅れないように!」
 最後に明日の簡単な連絡だけを済ませると、先生は教室を後にした。

 ざわぁ

 一気に教室が沸き立つ。今日の午後は部活もまだ休みでしかも、たった今終わったからお昼前だ。これから遊びに行く奴らも多いんだろうな……そう思いながら私も席を立とうとした。んだけど。
「梨花、お疲れ!ねぇねぇ、一緒にファミレス行かない?うち帰っても食べるもんないし」
「え、私は別に……」
「さっちゃん、佐々木さん、お疲れさまー!一緒にご飯に行こうよー!小暮くんと浦浜もいるしさ!」
「松葉、僕は行くとは「帰っても食うもんねえからどうするかってぼやいてたの、誰だよ」
「小暮……聞かなくていい事と知らなくていい事ってのが世の中にはあるんだ」
「へえ、それで?だからなんだってゆーんですか、浦浜和司くん?」
「……お前が数学のテスト前に呟いてた公式、あれ間違えて覚えてたぞ」
「……は?」
「うわぁ、小暮くんだっさァ〜!間違えて公式覚えちゃったの?」
「は?ま、マジかよ?」
「大マジだ」
「あははー!……小暮くん、大丈夫?」
「俺は浦浜にしてやられた事を嘆けばいいのか、清水さんにバカにされたらしいことに憤ればいいのか…」
「イキドオレバ?」
「……浦浜「自分でなんとかしろ。僕を頼るな」

 相変わらずのテンションと話題に、毎度の事ながら着いて行けない。……けど、少しホッとする。テストが終わったから、かな……。
「なーんか佐々木さん楽しそう」
「え、そう?松葉さんも楽しそうだけど」
「うん、なんてゆーか、佐々木さんが笑ってくれて良かった、って感じ?」
 ……あれ、私、笑ってた?

 思わず、指を口元に持って行く。確かに、口の端しが持ち上がってる。
 某然と立ち尽くす私の腕を松葉さんが軽く引っ張った。
「行くよー、佐々木さん。駅前のファミレスだって」
 私はまだ放心状態に近い心持ちで、でも松葉さんの言葉には頷いてからカバンを持ち、みんなの後に続いた。

「いやー、みんな考えることはおんなじだねー」
 駅前の安くて美味しいファミレスは人でごった返していた。いや、人というよりは、同じ制服を着た、うちの高校の学生で溢れかえっている。だから、入るなり松葉さんはあの言葉を零したんだ。
 きっと、駅前のマックも同じだろうな。むしろ、予算的な問題でこっちの方が人は少ないよね、きっと。
 そんな中でも割とスムーズに席に案内してもらえたのは、私たちが学校を出るのがちょっと遅くなって、テスト終了と同時に教室を飛び出したような連中と入れ替わったからだ。簡単に言えば、とりあえずさっさとご飯食べて遊びに行こうぜ!ってグループ。私たちは私が自転車を取ってくる必要があったり、小暮くんがサッカー部の連絡で星野くんに捕まってたり、清水が歴史の先生にプリント提出するように釘刺されたりしながら学校を後にしたから遅くなったんだと思う。

 それぞれ食べたいものを頼んで(松葉さんはハンバーグ定食、小暮くんはグリルセット、浦浜くんはビビンバ、清水はマグロとろろ丼、私はペペロンチーノ)、松葉さんがドリンクを取りに行く。最近はドリンクバーがあるから、いいよね。でも、こういう時って……。
「梨花、まーたなんか考えてるでしょ!」
「……清水はテスト終わったから考えるの終わり、って顔してる」
「へ?そうじゃないの?」
「……テストで、何点か分からないのに?」
「中間のときよりもがんばったもん!きっと点数いいもん」
「ああ、うん。きっと『中間よりは』いいだろうね」
「でしょ!?浦浜くんもそう思うでしょ!?ほら見なよ、梨花」
「……」

 うん、中間よりはいいけど、赤点回避できたとは思い難いんだよね。結局いくつ赤点だったのかは分からないけど、先生のお小言を聞くために清水が何回か呼ばれてたんだから、なおさらさ……。その事を浦浜くんは皮肉っぽく言ってる訳だけど、清水には効いてない……よね。
「あー、うん。清水さんはそのままで居てくれればいいと思うぜ」
「何で僕のことを非難する目で見るんだ、小暮」
「いや、だって、なぁ……」
「私、なんかまずいこと言った?」
「多分、清水は……悪くない」

「なになにどうしたのさ、みんな」
 微妙な空気がテーブルを覆っている所に、松葉さんがドリンクバーで取ってきた飲み物を配る。私の前にはレモンスカッシュが置かれた。それぞれ飲み始める中で、目の前のグラスを凝視する浦浜くん。グラスの中身は……アイスコーヒー、かな?
「松葉……お前なに持ってきたんだ?」
「へ、アイスコーヒースペシャルブレンド」
「なになに、アイスコーヒー?うわぁ、浦浜くんすごいな、私そのままだと飲めないんだよね」
「清水さん飲む?ガムシロあるし。僕はアイスティー取ってくる」
 グラスとガムシロをずいっと清水の方に押し出しながら席を立つ浦浜くん。それを見ながら小さく舌打ちする松葉さん。……ってことは。
「し、清水!」
 ごくん
「!!??!?」
 浦浜くんに差し出された“アイスコーヒー”にガムシロを入れてから一口飲んだ清水が声もなく悶えた。松葉さんは慌てて清水のために持ってきたカルピスを手渡していて、小暮くんはお水を差し出してる。私はというと……予想通りの代物に、一体何をブレンドしたのか後で聞いてみようよ思った。もちろん、兄貴に試すために。

「夏休み、みんなでどっか行きたいなー」
 マグロとろろ丼を食べながら清水が零した。それをちらりと見て、浦浜くんが口を開く。
「松葉が何か言う前に言うけどな。お前ら大会があるんだろ?」
「あるよ」
 松葉さんが運動部代表として答えた。
「テスト終わったから地区大会の続きがあるし、どこまで勝ち進むか分からないけど一応インターハイは8月だし」
「だよな〜。俺はまだレギュラーじゃないからまだ自由があるけど」
「私もそうかな……個人戦に1年生はまだ出られないし」
「ってことは、あたしがもしかして一番忙しい?」
 松葉さんが私や木暮くんの言葉に目をクリクリさせる。部員数がそれなりにいる部活と個人の力があれば一人でも上の大会に行けちゃう陸上じゃあいろいろ勝手が違うよね。
「きっとそうだな」
「松葉さん、赤点は回避しないと大会より補習優先だからね……」
「「ええ、そうなの!?」」

 松葉さんと清水の驚き声が重なった。ちょっと目を見開きながらそちらを見る浦浜くんが呆れたように零した。
「まさか、2人とも知らなかったのか?」
「あたしは補習の存在は知ってたよ!ただ、大会がある時は後で振り返られると思ってたんだよ……」
 松葉さんには珍しく、言葉が消えていくみたいに小さくなって行く。それに比例して清水の顔が青ざめ始めた。……これは真面目に知らなかった系、か。
「ウソ、補習があるの……?って事は夏休みが短くなるの?」
「清水、その「そんあああああああああ!!!」

 ぽかり
「いてっ」
「さっちゃん、場所考えてよ。ここ、ファミレス」
「春菜、そんなこと言ったって!そんなこと言ったって!!」
 いきなり叫んだかと思ったらすかさず松葉さんに軽く叩かれる清水。慣れてる様な松葉さんの態度に、私は首を傾げたい。だけど、今はそれよりも。
「清水、知らなかったの?」
「聞いてないよお」
「そんなはずはないと思うけど。先生たちが口うるさく言ってなかったっけ?」
「言ってたな。多分、清水さんが何度か職員室に呼ばれたのもこれの関係だと僕は思うけど」
「えええええ……先生そんなこと言ってなかったよ……」
 清水の場合は言われて聞いている、と理解している、は一致しない。それが今までの付き合いで学んだこと。
「ということで、清水さん。覚悟しといた方がいいよ?」
「梨花ぁ、浦浜くんが怖いよお」

 清水に泣きつかれながら、私はその代償を思う。清水に懲りる、という感覚があるならば、きっとこの後は気をつける。気をつけたところですぐに成績が上がるということはないけれど、心構えが変われば態度が変わる。
 そういう意味では、この夏は色々なことを学ぶんじゃないかな、って。私はこの危機に全く当てはまらないからこそ、呑気に考えた。

 いつの間にか、清水と共にこのまま1年を過ごすことを良しとしている自分がいることに、気づかずに。

 夏が、始まる。



2014.1.5 掲載