兄妹の関係は一筋縄ではいかない



 パコーン、パコーン
 先輩たちがコートでボールを打ってる。やっぱり、上手いな、と思う先輩は、みんな自分の武器というか、得意なショットが決まってるんだと思う。決めるべきポイントをしっかりと決めるから、だからそれだけ成績も上がるんじゃないだろうか。
 それにしても。
 
 暑い。コンクリートとかに反射して、熱が照り返してきてる。陽炎は見えないけど……一応木陰に居るってのに、じわじわくる暑さだ。という事は、今年の夏も暑くなるな。
 水筒を傾けて喉を潤しながら、私は顔を伝う汗をリストバンドで拭った。
「佐々木さん、明日の大会の事なんだけど」
「あ、松田さん。うん、応援でしょ?」

 同じ部活の松田さんが話しかけてきた。確か、クラスは隣のクラス。あまり社交的ではない私でも気にかけてくれる優しい人、だと思う。ついついスルーしがちな情報を絶妙なタイミングで教えてくれるから、本当に助かってる。ちゃんとお礼言わないといけないな、いつか。
「そうそう。県大会だけど……うちの高校、そんなに強豪って程でもないし、いつも県大会どまりみたい」
「そうなんだ」
「うんうん。だから、明日と明後日、ぐらいかなってのが予想」
「わかった、そのつもりでいる」
 私が頷くと、松田さんはくすり、と笑った。
「もっとも、これは去年までの情報をもとにしてるから、今年はまた変わるかもしれないけど」
「ぜひ、変わってもらいたいとは思う、かな」
「だよね。先輩たちあんなに上手いんだもん」
 松田さんも私みたいに中学時代にテニスをやってたから、先輩たちの上手さは何となくわかる。今までの中学のテニスが本当にお遊びだ、って言われても仕方がないぐらいレベルが違うと思った。大げさでも何でもなく、本当に。

「1年〜、コート入っていいよ〜」
「あ、はい、ありがとうございます!」
 2年の先輩の声に松田さんが返事をする。私もその声を聴いて、座っていた影から立ち上がる。暑いけど、やっぱりテニスは楽しいよ。

「それじゃあ明日ね、佐々木さん」
「うん、明日」

 夕暮れ時。私が自転車置き場に向かう中、松田さんはそのまま校門を出ていく。聞いたところによると、電車通学してるみたい。自転車置き場でちょっと時間をロスするから、大抵私はここで他の人と別れる。かしゃり、と自転車の鍵を外して、鞄を籠に放り込む。そのまま押しながら校門の前に向かうところで目の前をサッカー部の集団が通り過ぎた。
 正直、集団が通らないと帰れないじゃん、と思いながらなんとなく、夕暮れの空を見上げた。オレンジ色が広がる中で、遠くの方から夜を告げる群青色が広がり始めてる。でも、オレンジじゃなくて、なぜか私の中に思い出されたのは、赤い空、だった。前に1回だけ見た夢なのに。たった、それだけなのにどうしたんだろう?

「あれ、佐々木さん。どうしたんだよ?」
「え……?小暮くん?」
「おう!」
「俺も居るぜ、佐々木さん!こないだはどーも」
「えっと……星野くん、だっけ?」
 この前、朝練の時に松葉さんのきつーい一言を貰ってた星野くんとは、あの後からたまに話してるけど、帰りがかぶったのは初めてかもしれない。小暮くんともそういう事になるかな。
「そーっす」
「佐々木さん、帰るとこだろ?空見上げてたからどうしたかと思って」
「……別に。ただ、夕焼けがすごいな、って思っただけ」
「ほおお、確かに、きれいだなー」
「佐々木さんはこういうの見つけるの上手いよな!」
 空の事を見ていたのは嘘じゃないから、本当に考えていた赤い空の事じゃなくて夕焼けの事を言えば、男子2人は同意してくれた。……単純だなぁ。でも。

「兄ちゃんにもそんな事言われたことあったかも……」
「え、佐々木さん、お兄さんがいるの?」
「え、うん」
 小さな私のつぶやき声は星野くんに拾われた。兄ちゃんがいるってことは確かに星野くんは知らないよね。
「大学生か?高校生だったりする?」
「……今年、大学1年」
「そっかー。でもいいな、兄ちゃんって呼ばれたいぜー!」
 星野くんの言葉に私は首をかしげた。こんなこと言うという事は。
「あれ、お前3人も妹が居るのに、そんな風に呼ばれないのか?」
「呼ばれねーよ。「藤兄」って雪美(ゆきみ)が呼ぶようになってから、双子も右に倣え、だぜ」
「……別に兄貴1人なんだから、兄ちゃんぐらい呼んでくれ、ってことだよな?」
「そういうこと!兄貴的にはそういう気持ちなんだ」
 そうか……。私は小さい時からずっと同じだから「兄ちゃん」って呼び続けてるけど、そういうモノなのかな。ただ。
「呼び方変えるのも、分からないわけじゃないかも……」
「へ、なんで?」
 星野くんが食らいついてきた。お兄さんとしては知りたいのかな?
「だって、兄ちゃんもそうだったけど、声変わりとか急に背が伸びたりとか、するじゃない?その前と後だと、やっぱり違うんだよね。兄ちゃんだけど今までの兄ちゃんじゃない、みたいな」
「はぁ?そういうもんか……?」
「俺に振るな、俺に。俺は一人っ子だ」
 納得できてない星野くんは小暮くんのことを振りかぶるけど、それを小暮くんは振り落す、見たいな?確かに、一人っ子じゃあ分からないよね。

「そういう事もあるのかもな」
「そうそう。……いけね、俺買い物して帰らねえといけねーんだった」
「じゃ、私は明日の大会もあるから、ここで」
「あ、俺も行くわ。じゃな、小暮!」
「おう」
 立ち話をしていたのを小暮くんの言葉で切り上げる私達。そのまま私は自転車にまたがって漕ぎ出そうとした。

「佐々木さん、駅前方向じゃないよな?」
「……そうだけど」
「俺も歩きなんだわ、家は割と近くてさ。途中まで一緒にいかね?」
 星野くんが何を考えてるのか、いまいち分からないけど。ここで断る理由もない私は頷いた。

「佐々木さんさ、さっきのお兄さんとの事、もうちょっと教えてくんね?」
「え?」
「俺には妹が3人いんだけどさ、1人は中2で双子が小6なんだわ。こいつらが最近俺にあたりがきつくてさー。母さんにも当たりきついから反抗期か、とは思ってんだけどさ」
「うん」
「佐々木さんはお兄さんに対してどう思った?」
「……」
 実に、厄介な事を聞かれてしまってる、気がする。だって、私は星野くんの妹さんじゃあないし。自分と兄ちゃんの事があてはまるとは考えられないけど。参考になればいいな、ぐらいの気持ちでいいなら……。
「佐々木さん?」
「……参考ぐらいにしか、ならないと思うけど」
「その参考が欲しいんだ、俺は」
 そこまで言われちゃったら、私の場合は、っていう前置きで言わないと……いけないじゃない。
「私の場合は、兄ちゃんが……下ネタとか言うのがすんごい嫌だった、かな」
「……確かに、嫌がられてっかもな……」
「あとは、どういう風に妹さんたちに接してるか、にもよるけど……」
「けど?」
「あんまりベタベタするの、女の子はいやだってこと、多いよ?」
「ベタベタ、はしてないとは思うけど、わっかんねーなぁ……」

 そうだよね。私だって兄ちゃんは普通だと思ってたことが何か嫌だったんだし。そんなことを考えながらいつの間にか私は曲がる道まで来ていた。
「ごめん、私ここで曲がるから」
「そっか。いや、ありがとな。参考にさせてもらうわ」
 そう言いながら手を振る星野くんに、最後に一言、かけさせてもらおう。
「星野くん」
「なに?」
 立ち止まった星野くんが振り返る。私は、ちょっと勇気を出した。
「別に、今の妹さんたちのあたりがきつくっても、それは星野くんの事嫌いになった、わけじゃないと思う。いろいろ、細かいところとかが気になっちゃってるだけだと。だから、星野くんも、もう少し余裕持った方が良いと思う」
 こんなことを誰かに言う日が来るとは思ってなかった。でも、星野くんには必要だったんじゃないかな、って思ってさ。
「そっか……そうだよな。ありがと、佐々木さん」
 そう言って星野くんは歩き出し、私は自転車にまたがった。

 兄ちゃんとの関係もそうだけど、人と人との関係はいろいろある。だから、どれが正解か、どれが間違ってるか、それは人それぞれ、じゃないだろうか。その関係の中に、呼び方も含まれてるよね、って思いながら、私は清水の事を思い浮かべた。あいつは私の事を「梨花」って呼ぶのに、私はいつまでも清水、なのかな?……きっと、きっかけが必要なんだよね。お兄さんの呼び方を変えた、星野くんの妹さんみたいに。
 だから、きっかけを待ってもいいかもしれない、そう思ったんだ。



2014.3.2 掲載