夏の雷



 わいのわいの、歓声が聞こえる。それもそのはず、私は今、テニスの大会の応援に来ている。暑い日差しの中、先輩達に木陰を譲って(当たり前といえば当たり前だけど、先輩たちはさっきまで試合してたんだ)、木陰と直射日光の間に居る。今日は大会3日目。私たちの昨年までの通例を裏切り、先輩たちの何人かは勝ち進んでいた。ダブルスで1ペア、シングルで1人が3日目まで残るって、結構すごい事だと思う。今日、勝ち残れば、県大会に進めるんだって。
 顧問の先生が何か、先輩たちに心構え的なものを言ってるのをぼんやり聞きながら、私の思考は全然違うところに向かってた。

 空が、とても青いんだ。青くって、澄んでいて。入道雲がモクモクと。ああ、入道雲、別名積乱雲はその高さが一つの目安になるんだけど、雲が出来うる上空10qぐらいまで水分を多く含んだを含んだまま上昇して、急速に冷える事により、上層部分に氷の粒が大量に作られる。それがぶつかり合う事により帯電して、それがプラスの電気を帯びている地面と引き合う形で落ちて……。
「佐々木さん、大丈夫?」

「松田さん」
 はっと、思考が切り離された。暑い中ぼんやり空を眺めてて、入道雲があるなあ、って考えてたら。理科の授業の時みたいにならないで済んでよかった、けど。
「ぼーっとしてるから、大丈夫かと思って。熱射病とかじゃないよね?」
「あ、うん、大丈夫。入道雲がすごいな、って思って」
 弁解するみたいに空を指差せば、松田さんも視線を上に移動してみてくれた。
「本当だ。今夜は夕立かも知れないね」
「できれば、雨が降る前に帰りたい、よね」
「それはそうだけど……こればっかりはね……」
「そうだよね」

 松田さんの言いたいことも良くわかる。こればかりは、いかんせん、先輩たちがどこまで勝ち進むのか、それに寄るから分からないんだ。
 来年以降は私達も実際にプレーをする側に回るんだよね、と思うと、自分たちの技術じゃまだまだ、本当にダメだな、って思う。先輩たちの事は素直にすごいって思えるのにね。
「佐々木、松田。行くぞ」
「はーい」
 先生がいつまでたっても来ない私たちの様子を見に来てくれた。待たせちゃったな、と思いつつ、そんなに急がなくてもいいじゃない、って思う。だって、先輩たちの出番は、まだまだこれからなんだから。

 大会会場から学校への帰り道は、それまでの入道雲が十分に育ったからか、急に暗くなり始める中の帰り道だった。まだ、雨は降りだしていないけれど、先輩たちはもうひとしきり悔し涙を零した後だ。本当に、いい試合をしてたと思う。惜しかった。でも、最後の最後、心の強さに負けてしまったんじゃないか、と思う。技術は同じくらいだとしたら、あとは心の強さで押すだけだから。

 テニスは、技術も大切だけど、結構心の戦いでもある、って私は思ってる。だからか分からないけど、テニス部には強い人が多い。女子も男子も、どっちもそう。私には強さなんて無いよ、ってこの前言ったら、そんな事ない!ってすごい否定を一年の仲間から貰った。実際のところはどうなんだろうね。

「じゃあ、1年生はこのボールを片付けたら解散。明日・明後日と休んで、また夏休みの練習スケジュールの確認ミーティングを部室でやるから、忘れずに来なさいね」
「はい、部長」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様。私たちはこれで」
「はい!」
 持って行っていた備品を部室に仕舞うのは1年の仕事。私もボールの籠を持ち上げたところで、部長が振り向いた。
「そういえば、鍵当番は誰?」
「あ、私です」
 籠を持ったままだったから手は上げられなかったけど、私は口で返す。それを見て、部長は頷いた。
「悪いんだけど、先生がクーラーボックスを車で運んでくれてるから、クーラーボックスが届くまで待っててくれる?先生一人に任せると、適当に置いて行かれちゃうし」
 確かに、部室はミーティングが出来るようなスペースもあるけど、ボールとかネットとか、そういうモノも置いてある。適当に置かれちゃったら困るよね。決められた場所があるんだ。
「分かりました」
 頷けば、部長も頷き返してくれた。
「よろしくね、佐々木さん」
「はい。お疲れ様でした」
 最後に部長を見送って、私も持っていたボールの籠を部室に運び入れた。

 私はそのまま、みんなを見送ることになった。ただ、松田さんは先生が来るまで、付き合ってくれるらしい。渋滞にハマったらしい先生は、携帯越しに申し訳なさそうな事を言っていた。別にしょうがない事だから、良いのに、とも思うけど。
「先生、遅いね……」
「松田さんは帰っていいよ?雨降りだしそうだし」
「佐々木さんは自転車じゃない。その方が大変でしょ?」
「最悪、自転車は置いていくから」
「でも、1人でクーラーボックス片付けるの大変だし」
「でも、用事あるんでしょ?」
 松田さんが一緒に待ってくれてるのは本当にありがたいんだけど、用事があるならそれを優先してほしいと思う。だから、やんわり、伝えようとしてるんだけど、なかなか、伝わらない……ね。

「あれ、佐々木さん?」
 部室の扉の前で2人で座り込んでいたら(部室の中に入ったら、先生の車が部室脇を通り過ぎたときに気が付かなそうだから、という理由で)、声を掛けられた。
「あ、松葉さん」
「今日大会じゃなかったの?」
「松葉さんこそ」
「あたしはもう終わってるもの。陸上は早いんだよ?」
 そう言えば、そんなことを言っていた気がする。すごく曖昧な記憶だけど。
「佐々木さんの友達?」
「同じクラスなの」
「そうなんだ」
 私と松葉さんの会話に松田さんは首をかしげた。陸上部の事情まで知らないのが普通だと思うから、別に知らなくてもいいんじゃないかなって思う。

「なんで2人はここに座り込んでるの?鍵なくて入れないとか?」
「先生の持って来てくれる荷物待ち、ですよ」
「そう「あ、先生の車」
 松葉さんと松田さん(すごく言いにくいね)の会話を聞いてたら、先生の白い車が横切った。あのまま駐車場で止まってくれるんだろう。私と松田さんは立ち上がった。
「あ、佐々木さん。あたしここで待ってようか?」
「え?」

 松葉さんがいきなり何を言い出したのか分からない。首を傾げたら「えっと」って言ってから、言いなおしてくれた。
「いちいち鍵かけたり開けたりするの面倒くさいじゃん?だからここで待っててあげるから荷物持ってきちゃいなよ。3人で片付けた方が早いし、ね!」
 一瞬戸惑ったけど、松葉さんはいつでも帰宅できる格好になってる。という事は、このまま帰らないでちょっと手伝ってくれるって言ってるんだ。
 私は、松葉さんの言葉に甘える事にした。正直、できるだけ早く帰りたい。そうじゃないと雨が大変なことになりそうな気がする。
 それは、きっと松田さんも同じだったんだともう。だって、目が合って、私はすぐに松葉さんの方を向いていたから。
「……少しの間だけ、いい?」
「うん、待っててあげるから行った行った!」
「ありがとうね!」
 私たちは松葉さんの好意に甘える事にして、先生の車に積んである荷物を(クーラーボックスだけじゃなかった)を受け取りに行くべく、駐車場に向かった。

「それじゃあね、佐々木さん」
「うん、松田さん」
「またね〜」
 校門前で私と松葉さんは松田さんと別れる。駅に向かう松田さんと歩きで駅とは違う方向に向かう私と松葉さんの組に分かれた。
 
 片付けも終わって、先生とも別れて、私たちはいよいよいつ降り出してもおかしくない雨雲を見上げながら帰り道につく。私は自転車を押しながら、松葉さんは歩きながら。どっちも傘を準備しているあたり、もう降るだろうって考えていた。
 ごろごろごろ……
「うわぁ、本格的に来そうな気配」
「あ、ぽつってきた」
「うそ!……あ」
 ぴかっ

 雷の音と稲妻の光が見え隠れする中、私たちは手に持っていた傘をさす。そして間もなく、ざーざー音が鳴る雨が降りだした。
「佐々木さん、自転車平気?」
「濡れたら拭けばいいから」
「そうだけど、そういう意味じゃなくて」
「……風がすごいね」
「本当にね!ゲリラ豪雨並みじゃない!?」
 ぴかっ     ごろごろごろ……
 風が思いの外強くって、びゅう、と吹けば横殴りの雨。その中で自転車を押しながら歩く私はある意味自殺行為をしている気分だ。
「あ、佐々木さん、あそこのお店の軒先で雨宿りさせてもらおうよ!」
 ざーざーと叩き付けるみたいな雨に、松葉さんがコンビニの軒先を指差した。確かに、少しはましかもしれない。……全身濡れちゃったから、もう、遅いかもしれないけど、歩きやすくなるまでは待った方が賢明だと思った。

 私は松葉さんの言葉に、頷きながら自転車をコンビニに向ける。そしてなんとか軒下に入った時、衝撃が襲った。

 ぴかっ どんっ!

 数える余裕なんて、これっぽっちもなかった。稲妻が光ったと思ったら、すぐに音が続く。
「佐々木さん、あれ!あそこに今落ちたんだよ」
 呆然と眺めていると、松葉さんが私たちの立っている軒先からちょうど見える方向に、白い煙が上がっているのを見つけた。それほど離れていないから、停電の心配もあるな、と思っていたら、今度はぴーぽーぴーぽーという、救急車のサイレンも聞こえる。私は思わず、松葉さんと顔を見合わせてしまった。
「誰か、怪我でもしたのかな?」
「そんなに大きな問題にならなければいいんだけど」
 コンビニに居た人たちも、外を不安げに見上げながら出てきたり、様子をうかがったり。

 身近に雷が落ちる、というのは光と音、そしてどこに落ちたのか、で肝が冷える、というのを痛感した。自分のマンションの方向ではないって分かってたからよかったけど、もし、自分や家族の誰かがあそこの道を歩いていたら、と考えちゃうのはしょうがないんじゃないだろうか。だから、私も松葉さんも、結局、雨が上がるまでそのまま雨宿りをしていた。

 あの後、1人で雨の中帰ろう、とは、流石に思わなかった。それぐらい、驚いたし怖かった。そういう、経験で締めくくられた大会の日、だった。



2014.5.11 掲載