木枯らしが吹く空に



 晴れた空が広がっている。抜けるような青空……夏の青空とはまた違う、凛とした空気を持ってくる空が。そこに見えるのはわずかな筋雲だけ。筋雲は成層圏に近い空にできる雲で、それだけ上空に行かないと水蒸気が水滴にならないほど空気が乾燥していることを意味していて、つまりそれだけ。
「冬が、近いんだね……」

「そうだねぇー、というかさー。部活終わったの早いのに太陽低いよねー」
「まあこれからの季節は暗くなるから部活切り上げ早くなるしな」
 呟いた声に答えたハルと小暮君に、私は顔を2人の方に向けた。今、部活がちょうど終って自転車置き場にいるところ。今日は結構部活が散々だった。だって。

 ぴゅお〜

「うひゃあ、さっむい!」
「うへー、マフラーあってよかったー」
「うう、帰ってお風呂入って温まりたい」
「りっちゃん」「佐々木さん」
「「それね(な)」」

 2人にハモりながら同意されて思わず苦笑が漏れる。周囲には強烈な北風が吹いていた。季節の移り変わりを如実に表すその風に、私たちは出来る限りすき間が無い様にマフラーを捲いたり手袋したり。……そう、そのおかげで心なし早く部活は終わったの。
「木枯らし一号かな」
「かもねー」
「木枯らしって、何か定義があるんだよな?」
 木枯らしかもしれないってぐらい風が強いから、テニスみたいな風の影響をもろに受ける部活は特に繰り上げで終わりになった所もある。少なくとも女テニは先輩たちが寒さにギブアップして先生に直談判しに行ったみたい。

 で、そう。木枯らしは……。
「木枯らし一号は10月後半から11月中にかけて吹く、一番最初の強い北風……って私は覚えてるけど」
「あたしもそう言う事を聞いた気がするー。なんだか「西高東低」の冬型の気圧配置にならないと吹かないんだっけ?」
「西高東低の冬型の気圧配置……天気予報で聞くよな。あれ、どういう意味なんだ?」
 自転車を引っ張り出していると聞いてくる小暮くんに、私はあれ、と思った。

「学校で習わなかった?」
「……マジ?」
「あたしは天気予報であまりにも聞くから、中学位で友達に教えて貰ったんだー」
 得意げに話すハルに唖然とハルの事を見る小暮くん。……これはもしかして、ハルが知ってるって事が信じられないって事かな?
「松葉さんが知ってるのに俺知らないとか……」
「へへーん、それではここで1つ、私が教えてあげましょう!」

 得意そうに胸を逸らすハル(とは言っても胸の大きさは私よりも小さいから逸らしても得意げって事しか通じない)に「ぜひぜひ〜」って言ってる小暮くん。楽しそうだよなぁ……って思いながら、私は自転車を引っ張り出した。
「気圧……低気圧とか高気圧とか、なんかよく分からないけど天気予報で言う、アレが、冬だと西に赤い丸が東に青い丸が出てくるってー……何、りっちゃん、その顔」
 ……私がハルに説明を任せたのがいけなかった気がしてくるんだけど、この説明。ど、どうしよう……。
 でもとりあえず。
「本当に赤い丸と青い丸があるわけじゃないよ?」

 そこに、沈黙が落ちて、ぴゅお〜……って風が吹いて行った。
 肩の力を落として、ぽかーんって私を見る2人。……な、何か言って。お願いだから。

「……りっちゃん、寒いから余計寒い事言わないで」
「ああ、本当に」
 寒い事って何?寒いのは風のせいで……その風は北の方の冷たい空気を運んできているからで。別にそれが寒いってだけで寒い事なんてこれっぽっちも言ってない……と思う。だから。
「何が……寒い事、なの?」

 はぁ、と2人が同時に肩を落としながら息を吐き出した。……私、何だと思われてるんだろう?
「もうりっちゃんはそのままでいてくれた方がいい気がする」
「俺もそう思い始めたところ」
 2人でげんなりしながら言われると余計に気になるよね、こういうのって……。だから、何が……?

 1人で首を傾げていたら、ハルが「ああ、えっと」って前置きをしてから教えてくれた。
「あたし達は誰もあの赤い丸と青い丸があるって思ってないから。あれがあるって思ってるのはもっと小さい子か、あえてぼけてる時のどっちかだからさ。りっちゃんがあえてぼけてるのかあたし達がバカだと思われてるのか、それが分からなかったんだけど……」
「佐々木さんにその気は全くなかったことだけはよーく分かりました……」
「……」
 つ、つまり。いらない前提の話をしてしまった、って事でいいの、かな……?そ、そうか。そうだよね。
「サヤに話してる訳じゃない、もんね」
 ぽつっと呟いた言葉に、2人に全力で頷かれた。……これで大体、サヤのレベルが分かるよね……。


「じゃあ仕切り直し」
 自転車を押し始めながら歩き出す私とその隣で歩きはじめる小暮くんにハルはぽん、って手を打ち鳴らした。
「西高東低の冬型の気圧配置の説明をお願いします、佐々木梨花先生」
「……先生ってのやめてよ」
 居心地悪くてもぞっと動きながら言えば、からからって笑い声がハルの口から洩れる。なんかその笑い声だけでどうでもよくなってきちゃうから、私も慣れてきたのかもしれない。……で、えっと。西高東低の気圧配置……ね。

「まず、高気圧だと天気がいい、低気圧だと天気が悪い……って事がなんだけど、空気の流れは上空と地表では逆なの。でも大事なのは、高気圧だと下降気流、低気圧だと上昇気流……ってことかな」
 高気圧は押さえつけられるからぎゅうぎゅう詰め込まれて気圧が高くなる、低気圧はどんどん上に遠くに放り投げられていくから気圧が低くなる……って覚えてる。それで。
「上空の空気は低気圧から高気圧に流れるんだけど……」
「ああ、上にのぼった空気が下に降りるから」
「そう」
 的確な理解有難う、小暮くん。その通り。上に上がった空気は重力があるからどこかで落ちてくるんだ。だからそこで落ちてくるのが高気圧……ってことで。
「地上では高気圧から低気圧に空気が流れます」
「落ちてきた空気は無くなっていくところに行く感じ?」
「そう」
 ハルも分かって来てくれたかな?そう。上昇気流でどんどん近くにある空気を持っていくからそこが空気が少なくなる(考え方として……ね)からそこに落ちてきた空気が行く。だから。

「西高東低の気圧配置って言う事は、地上付近では西……厳密に言うと大陸のある北西から太平洋の東に向けて地表では風が吹く……の」
 それで、大陸の寒い空気が吹き下ろしてくるから。
「寒い空気が日本海とかで水分を含んで日本海側では雪が、山を越える時に水分が無くなって空っ風になる……の」
 ちょうど小暮くんと別れる場所で立ち止まりながら説明を終わらせれば、へぇ〜って小暮くんに感心された。
「流石佐々木さん。やっぱりこういう話を聞くと理科が好きって言ってるのも納得だな……」
「……私は、小さい時に気になって調べて覚えちゃった……だけなんだけどね」
「冬は日本海側じゃあ雪が、太平洋側では風が、って言うのはそういう事だったんだねー。改めて勉強した気分」

 でも、これは調べたらすぐ出てくるから、最近はそれほどすごいって思えなくなったんだよね。どんな雑学でもちゃんとした知識でも、最近はインターネットで調べればすぐ。だからいちいち覚えておく必要もないんじゃないか、って思う。それでも。
「やっぱり、知らない事を知るのは、面白いよね」
 ちょっと軽い感じで言葉がするっと出てきた。そしたら小暮くんとハルが私の事を見る。それで、にっこりと2人に笑われた。

「佐々木さんはそれぐらいの気持ちでいた方がいいと思うぞ」
「何ていうか、力抜いて行こうよ〜、って前から思ってたんだよね。気張る必要ないじゃん、あたしたちの前ぐらい、さ!」
 2人の笑顔に、私はちょっと面食らった。

 だって、そうでしょ?初めて言われたんだもん、そんなこと。
 でも、もしかしたら無意識にずっと。ずっと、ずっと。

 力が入っていたのかも、しれない。

「……うん、そうだね」
 だから私も。

 2人に笑い返したんだ。

 ぴゅお〜
 風が、吹く。
「うひゃあさみーさみー!んじゃあ2人とも、また明日な!」
「また明日ー」
「風邪ひかないでねー」
 肩をすくめながら足踏みをして走り出す小暮くんに、私とハルは声をかけて見送る。そして、私たちも帰る道を歩き出した。

 帰ってお風呂入って、ココアでも飲もうかな、って考えながら。



2015.2.2 掲載