チョコレート戦争の日



 教室に立ち込めるのは、女子の浮いた雰囲気と、何人かがまとまって教室を出ていく足音。落ち着かない男子の仕草や、男子を呼びだす別のクラスの女子の声。
 チョコレートのために、なんとまあ、大変そうで……。私は素直にそう思った。

 甘い香りが漂ってくる中で、私はぼんやりとクラスの中を見回す。正直に言えば、ただのチョコレート会社の陰謀のために、なぜみんなそこまで必死になるのか、それが分からない。さらに言えば、何でただのチョコレートなのに、この時期に安くなるのか、それも分からない。安くなるうえに大量にスーパーに置いてある。あれが分からない。
 珍しく、窓に背を向けて頬杖つきながら考える……程でも無くて、単純に思考の電車に乗っていたら、前から歩いてくる男子が眼の端にいた。何だかバカにされたような気がするのは、気のせいだろうか。
 そのやせ形でいかにもインドア人間です、と主張しているような、それでいて几帳面な顔つきをした緑に光る黒髪の持ち主……浦浜は、私の机の前に来るとご丁寧に止まった。たんに私が暇そうにしていたから、という理由では話しかけてくるようなヤツじゃないのは……今までの付き合いで分かっている。

「佐々木は何もしないのか?」
 浦浜の言葉に、私は視線だけを彼に投げ渡した。
「何かしないといけないわけじゃないでしょ?」
 浦浜の手には小ぶりな紙袋がいくつか握られている。流石、秀才。ちょっとほそっこいけど、人気はあるのは、知ってる。そして多分……本命チョコを渡した誰かにOKを出してるだろうな、とは思うんだ。
 前に彼女がいたとか、別れたとか言ってた気がするし。だから、浦浜なら言って来た子の中から選んだんだろうなぁと思ったわけ。
 夢が無い?ううん、現実的なだけ。浦浜和司は、自分があまり動かなくて済むことに関してならばかなり遊ぶ方だと思う。
 ……あくまでも、私のイメージだけど。

「まあ、佐々木が誰かを好きとか言い始めたら、僕は空から槍が降ってくることを警戒しないといけないかな、とは思ってる」
 ……ん?こいつ、何言ってるの?流石に私も、これは分かったよ?
 カツン、と来た。槍が降ってくるってどういうこと?雨でも雪でもなく、槍、って……!どういうことよ!
「浦浜、どういう意味?」
 今度はきちんと浦浜の方を向きながら、私は背筋も伸ばして睨みあげた。

「そのまんまさ。佐々木に恋愛は似合わない」
「似合う似合わないなら、あんたにも似合わない」
「僕は別に本気で誰かを好きになるわけじゃないし」
「遊びならなおさら最低ね」
「そう言う佐々木はそもそも、誰かを好きになったことあるのかよ?」
「浦浜が誰かを好きになったこと、あるわけ?」
 お互いにヒートアップして早口で捲し立てる。そんな時、第三者の声が聞こえた。
「……おいおい、何やってんだよ!佐々木さん、浦浜!頭冷やせ」

 私と浦浜の舌戦に終止符を打ったのは、小暮くんの言葉だった。どうやら、教室に戻ってきたところらしい。サッカー部員は義理でも貰える可能性が高くなるよね、スポーツできる人の特権でしょう。
 ……って、そうじゃなくて。

「僕は、ただ佐々木に恋愛は似合わないって言っただけだぞ?佐々木が恋愛をするには自分と他人の間にある溝を埋める必要があると思うし、佐々木は自分の事を過少評価しすぎなんだと思う」
 ……は?
 ……はい?
 ……何、言ってるの?
 ……いったい、浦浜は何を言っているの?

「……おい浦浜、佐々木さん、思考停止してるぞ」
「そうだな」
「そうだな、じゃねーよ。責任とれ」
「何言ってんだ、勝手に佐々木がフリーズしてるだけだろ?」
「フリーズするような事言ったのは誰だ、って事だよ」
「……浦浜も小暮くんも何やってんの。義理チョコあげないぞ?」
「松葉さん、それよりも佐々木さんを正気付かせてくれないか?」
「あー、りっちゃーん」

 ……心の溝は、確かにあるかもしれないし、それはしょうがないと思うんだけど。
 ……自信?
 ……自信なんて、私は初めから、持ってないし。
 ……結局、自分を追い詰めるだけのバカ、だし。
 ……私なんて。

「りっちゃーん!」
 ぎゅう。

 ……え?
「気付け、ばか。りっちゃんの事、さっきから呼んでるんだよ!」
「……ハル?」
「ん。はいお帰りー」
 椅子に座ってる私にぎゅーと抱き着くハル。うん、ハルの腕が暖かい。

 一気に、私の意識が現実に舞い戻ってきた。ハルに抱き着かれている私。その私の周りには。
 ……何でか分からないけれど、顔が赤い小暮くんと何やってるんだ、って顔してる浦浜。
 それで、私は、現状を思い出した。

「あ、ごめん。ありがと、ハル」
「いえいえ。で、浦浜が今度は何言ったの?」
 前半は私に向かって言った後のハルの言葉にホッとしていたら、ハルは浦浜に剣呑な視線を送った。
「僕はただ、佐々木に「浦浜、悪い事言わないから俺に説明させろ」
 浦浜の言葉を遮った小暮くんの方を向きつつ、私は首を傾げながらハルを見る。
「どうするべき?」
「小暮に頼めばいいと思う」
「じゃあ……」
 小暮くん、お願い。

 そう続けたら、小暮くんは大雑把にどういう状況か説明してくれた。……ハルにね。
 そしたら。
「浦浜って、最低だよね。なんでそんな奴なのにそんなにチョコもらってくるんだろう?」
「思ったことを言っただけだ。それに佐々木に関して言えば、その通りだと思うしな」
「だから、最低だって言うの」
 ばっさりと言い切るのが気持ちいいぐらいのハルの言葉に、私も頷いた。

「ぜったい、誰か1人彼女見つけてきてそうだし」
「だよね、りっちゃん。りっちゃんもそう思ってるんじゃん!」
 うん、だってさ。浦浜、手が早そうだし。

「絶対に今僕に対して失礼な事思っただろ、佐々木。まあ、彼女見つけるの位は当たり前だけどな」
「……本当に見つけたのあんた!あっきれた。じゃあ義理チョコいらないね」
「それは小暮にやってくれ」
「小暮くんに?」

 私も一目で義理チョコって分かるものを鞄から取り出しながら小暮くんの方を向く。なんだろう、さっきから小暮くんの顔が赤い気が。
「いや、その!ありがたくいただくけど……!」
「義理チョコだって言ってるのにー」
 またまた〜、って言いながらハルが小暮くんを小突いてその手にチョコを乗せた。
「最低な浦浜の分はあたしが帰ったら食べるよ」
「じゃあ、ハルにあげる」
「やったね!」
 笑顔で受け取ってくれるハルに浦浜にあげるつもりだった義理チョコをあげてから小暮くんに義理チョコをあげようと思ったら。

「どうせなら、本命が良かった……」
 つぶやきが、聞こえた。

「え?」
「小暮くん、今なんて言った?」

 私とハルが聞きとめると、慌てて小暮くんが口を開く。
「いやっ!俺は……!松葉さんからのは初めから義理って分かってるものじゃなくて、本命が良かったって……あ」
「……墓穴掘りやがったな、こいつ」
「……小暮くん、ハルの事が好きだったの?!」

 浦浜と私が図らずとも同じような事を言ってしまい、小暮くんは真っ赤な顔をして。
「……!ああもう、くそっ!自棄だ!そうだよ、俺は松葉さんの事が好きです!」
「……ごめん、ないわ」
 クラスの中での言葉を受けたハルの一言により、クラス中から憐みの目を向けられることになった。


「やったーーー!春菜、梨花聞いてよ――!先輩からオッケー貰った―――!」
 しばらくして響いたサヤの台詞との対比が、より一層小暮くんをみじめにしていた気がする。

 ああ、青春って、こういう事を言うのかな?



2015.5.23 掲載