運命の道


偶然に私は字を書いている
偶然に私は机に向かっている
偶然に私は部屋の中にいる
偶然に部屋は2階にある


本当に偶然なのだろうか
この世に偶然はあるのだろうか


必然に私は学校に通っている
必然に私は宿題をやっている
必然に私は机に向かっている
必然に私は字を書いている


本当に必然なのだろうか
必然とは何なのだろう


偶然なんてタマタマのこと
タマタマやってたことをさす


必然はしなくちゃいけないこと
してなくちゃいけないことをさす


2つの言葉の示すものは
正反対のこと
運命の道の上にあるのが必然
運命の道の上にないのが偶然


本当にそうだろうか
この地球ができたのは
運命が定めた“偶然”
必然にはできない
この世に私がいるのも“偶然”
必然なんかじゃない


きっと2人は仲のいい兄弟なんだ
それも双子だからどちらもえらくない
だから2人とも運命の道の上のものの
一種の呼び方としてここにいるんだ


どちらの名前で呼ぼうが呼ばれようが
結局は運命の道の上なのだ
運命の道は分かれ道がたくさんある
だから2人がいるんだ
偶然に右を選んだのか
必然に左になったのか


運命の歯車よ 回れ
私たちを導いておくれ
偶然と必然の名のもとに
自ら道を歯車を選びながら
一人ひとりの道をこしらえておくれ
運命(きみ)がそれを生業としてるなら
私たちは運命(きみ)のもとで
自由に歩んで生きたいのだから・・・

この詩は高校生の時、「自分は何でここにいるのだろう」という思いから生まれた詩です。結局何が言いたかったのか自分でもわからなくなってしまったことを思い出します。
 偶然にしては出来すぎている気がする、というのがきっかけだったのかもしれません。今までとはまた毛色の違う詩ですが、こんなものも書いていた、ということはお分かりいただけたかと思います。(2011.10)


途中からまるで別の事を書いているような気がします。前はそれほど気にならなかったのですが、明らかに「運命の歯車よ 回れ」の辺りから違う雰囲気を醸し出していますね。
これはおそらくなのですが、どうやって終わらせるか悩んだ結果、こういう形でまとまったのかな、と思います。そういう、葛藤の跡も見て取れるのもいいですね。(2013.3)