原爆とアメリカ


持たず、作らず、持ち込ませず
持たせず、作らせず、持ち込ませず


非核三原則を習ったは小6
改めて実感してるは高1


核という名の大量破壊兵器
原爆という名の1つの爆弾
戦争という名の殺戮の機会のもと
平和という大義ではない大義のもと


1945年8月6日 広島に
1945年8月9日 長崎に
今まで以上の苦しみをもたらした


生きているのか死んだのか
わからない、朦朧とした意識のもと
何人の人が絶望を味わっただろう・・・
何人の人がアメリカを恨んだだろう・・・


それでもなおアメリカは核にすがりつく
今の世界は力が全てではないというのに
弱者の尊重されるべき世界であるというのに


驕れる者は久しからず
いつアメリカは気付くのだろうか
核は持ってはいけないもので
核は使ってはいけないもの
世界の人々はこう思っているのではないか
アメリカは一度どん底まで落ちるべきなのか


あの1945年の夏
日本は絶望の底にいた
それから日本は立ち直った
いくら、いくら昔のこととはいえ
立ち直ったに違いはない


アメリカが同じ経験をして
立ち直ったかどうか
それほどに大きな絶望だったのだ、と
アメリカは知るべきではないのか


―戦争を知らない1人の少女の
 心のこみあげた思い
 今、言葉になる

これはイラク戦争の時に感じたことを書いた詩です。
それまでも戦争というのは起こってきたいたというのに、この時まで身近では無かったように思います。それまでは、どこかフィクションめいていて、それはやっぱり違うんじゃないか、と思ったんですね。
今までよりも、実感がこもっているというか、言葉を選んでいるように感じます。今これを読むと、あの頃の私は本当に悔しかったんだな、と思います。 (2013.1)


常々、核という兵器の存在はニュースをにぎわすな、と思います。それだけこの兵器に対するイメージは伝わっているのに、なぜ核保有国になろうとする国が後を絶たないのか。
核という存在の大きさとこの問題の重大さが隠させている気がします。 (2013.5)