2章:スクールの生活…6



 数日後、あの2人の生徒は忽然と姿を消した。それに対しての説明はほとんどなく、質問をぶつけても答えてもらえず、夏美は悶々とした疑問を胸の内に秘めていた。

 まるで元々あの2人がいなかったかのような皆の態度に流石に夏美も我慢の限界を感じ始めた頃、夏美はあることに気が付いた。それは寮の部屋で、何時ものように春菜の目覚まし時計が鳴り響いていた時のこと。それまで全く気にならなかったのに、急に部屋のある場所が気になったのだ。
 自分と秋菜のベッドの反対側に、春菜のベッドがある。その春菜のベッドの脇には明らかにもう一つベッドを置けるだけのスペースがあり、秋菜の所有物でもなければ春菜の所有物でもないモノが乱雑に置かれていた。もちろん、それは夏美の物であるはずがない。
 では、誰のモノなのだろうか。

 夏美は真剣に首を傾げた。今までもそこにあったはずなのに、全く気にならなかったモノ。それが無性に気になって仕方が無い。
 そこまで考えが回った時点で、夏美にはもう取れる手段は1つしかなかった。つまり、前からの部屋の住人に聞いてみることだ。そこまで心を決めると、夏美はその日の夜に質問を投げかける事にし、慌ただしい朝の準備を続けた。

「秋菜さん、すみません。1つ質問があるのですが、いいですか?」
 夏美の改まった声に、宿題をやっていた秋菜は動かしていたシャーペンを置く。そして夏美の方を向いた。
「どうしたの、改まって?」
 改めて秋菜に言われて、夏美は一寸躊躇する。それでも、直ぐに気を取り直したのか口を開いた。
「この部屋では、元々何人の方が生活していたのですか?」
 一瞬、秋菜の眉が跳ね上がった。それでも、すぐにその顔を取り繕うと、まるで何でもない事のように夏美に向かって口を開く。まるで、夏美の勘違いだと言いたげに。
「何を言いたいの、夏美?この部屋は私と春菜の部屋よ?」
「それでは、なぜ不自然に場所が空いているのですか?なぜ、春菜さんのでも無ければ秋菜さんの物でも無い、ましてや私の持ち物でも無い物があるのですか?なぜ秋菜さんも春菜さんも、その方のことを私に話さないのですか?」
 一気に捲し立てる夏美に、秋菜は思わず天井を仰いだ。いつかは気がつくことだとは思っていたけれど、というのが秋菜の正直な感想だ。今の夏美の口ぶりだともう1人の存在に気が付いたという事は否定できないだろう。
「新参者でも美奈子先生のクラスに入ってくるだけの事はあるのね。よく分かったわ」
「何が、ですか?」

 小さなため息と共に吐き出された言葉に、夏美は首を傾げた。恐らく自分のことを言っているのだろうと検討はつけるものの、夏美にはなぜ美奈子先生のクラスに、と言われたのか、それが分からなかった。美奈子先生が教えるクラスはレベルが高い事は知ってるけど、と思考の中に沈む夏美。先ほどまでの剣幕は一気に成りを潜め、いつもの夏美の雰囲気を取り戻した。
「ごめん、その辺りのことは分かる所だけでも話してあげたいんだけど、出来ないの」
「出来ない、というのは……その、なぜですか?」
 当たり前の問いかけに、秋菜は眉をひそめた。そして、口を開きかけたところで自分の中に渦巻く感情に気が付き、驚愕に目を丸くする。そして、その顔はすぐさま血の気を失い始めた。
「あ、秋菜、さん…?」
 秋菜の百面相を眺めていた夏美が恐る恐るといった体で声をかける。その声に弾かれたように立ち上がった秋菜は狼狽えながら夏美に言葉を残した。
「春菜に、医務室に居るって、伝えて?春菜は心得てる、から」
「秋菜さん!?」
 それだけを何とか言い切ると、秋菜は部屋を飛び出して行く。夏美は慌てて後を追おうと自分も立ち上がったが、それはいきなり現れた青い光に阻まれた。
「よ、妖精さん?!」

 その光に対して声をかけるものの、何も反応を返さない。夏美は途方に暮れた。一体どうすれば妖精はドアを通してくれるのか、一体何が秋菜の身に起きているのか……気になることは切りが無い。それでも、今の夏美には何もできなかった。

「夏美……?それに、マーキュリー配下のフェアリー?え、あたしがいないうちに、ナニがあったの?!」
 夏美にとってはとても長い時間が過ぎたように感じた。思考はぐるぐると疑問のみをループさせていて、体は呆然と立ち尽くしていると春菜がドアを開く。そして開口一番放った言葉に、ようやく思考が正常に働きだした。
「は、春菜さん……」
「迷子の女の子みたいな顔してるよ、夏美。大丈夫?で、秋菜は?」
「それが……いきなり医務室に行くと言って。私はちょっと疑問があってそれを聞いただけだったのですが……」
 夏美が状況に説明を加えて行くたびに春菜の眉間のシワが増えていく。その様子を眺めながら、夏美の声はだんだん小さくなっていった。
 春菜は夏美の様子に気がつかない。その代わりに青い光が春菜の周りを飛び回って注意を引こうとした。夏美はなす術もなく、ただ春菜と青い光を見つめるだけ。春菜は少しうつむきながら聞いた内容を元に考えている。
 その時、春菜と青い光の間に淡いオレンジの光が出現し、春菜を守るように青い光の邪魔をし始めた。マーキュリーのみでなく、マーズのフェアリーまで姿を表した事実に目が点になる夏美に、春菜はようやく視線を寄越した。

「うーん、何かがおかしいんだけど、あたしにはそれが何かわかんないんだよね。だから、夏美。わかる人に聞きに行こう?」
「え、でも、妖精さんたちは……?」
「別に何もしないし、むしろ何か伝えるべき事があるから居るんだよねー。だからそのまま行こう」
 春菜は何時ものように夏美の手を引いた。そしてそのまま、青い光とオレンジの光を引き連れて部屋を後にした。

「さっき通りかかったらここにいたんだけど……」
 教室へと向かう廊下の一角で、春菜は周囲を見回した。それに習って、誰を探しているのか分からないながらも、夏美も視線を回す。そして、夏美はこの短い時間で三度目の驚きを感じた。それは、自分の目の前に淡い緑の光が在る事に対して。
「は、春菜さん、その……」
「ジュピターも連絡役を出してきたかー。このフェアリー達はあたし達に妖精界で大切なことが起こるよって教えてくれる連絡役なんだよ。だから、何かが起きそうなんだよ」
「それが何かは分からないのですか?」
 春菜は歩きながらも左右に気を配り、少しずつ教室に近づきながら首を横に振った。
「あたしはヒトに近いから分かんないよ。妖精に近ければ分かるかもしれないから「オレをさがしていた、と?そういうことだな、松葉?」

 教室の扉に寄りかかる人影が、竹中志希の眠そうな声で春菜の言葉を続けた。よく見ると、彼の近くにも鈍い茶色の光が飛んでいる。それには構わずに、春菜は大きな声をあげた。
「大正解!ということで竹中、早速お願い!」
「お前のもう1人のルームメイトに頼れよ」
「秋菜は医務室だってー。多分夏美の言葉がトリガーになって……」
「私の言葉……ですか……」
 春菜にとっては何の事は無い一言のつもりだったのだろう。しかし、実際には、それを聞いた夏美の顔が暗くなる程度には無遠慮な言葉だった。
「ああ!違うって、夏美の言ったことが直接の原因になったって訳じゃなくてね!」
「墓穴掘るだけだぞ、松葉?」
「夏美は何一つ悪くない、それだけは分かるから!」
「……必死だな」
 大慌てで夏美の誤解を解こうとする春菜にため息をつきながら、志希は少女たちが纏まるのを待つことにした。こういう時はさわらぬ神に祟りなし、である。

「こいつらが連絡に来た内容は2つ。1つは全体に対して、世代交代がオレたちの卒業前に起こるって事を教えに来た。もう1つは私的な事だな。ヴィーナスのあいつが謹慎室から今夜出てくる、とさ」
 様々な事を言いながらも、志希は彼女らのことは嫌いではない。だから、請われれば聞いてきたことを教えていた。
「そっかー、ありがと!マーズのフェアリーにマーキュリーのフェアリー!もう帰ってくれて大丈夫だよ!」
「サタンの、お前は通訳のために残ってたんだな……助かったけどよ」
「マジで?!サタンのフェアリー、ありがとう!」
 教室の中で交わされる会話に、夏美は付いていく事ができない。志希と春菜によってグイグイと進められる会話を眺めるだけだ。話をつけていく春菜と志希のフェアリーたちは音もなく消え、残るは自分の元に来たらしい緑の光だけなのだが。さて、どうするべきなのかと考え始める前に春菜が夏美に声を掛けた。
「夏美、フェアリーにはお礼を言ってあげれば帰ってくれるよ?」

 ニコニコと口を開いた春菜に、夏美は小さく頷くと、おずおずと口を開いた。
「その……妖精さん。連絡に来てくれて、ありがとうございました」
 その言葉に一回光を瞬かせると、ジュピターのフェアリーも虚空に消えた。
「じゃ、オレはこれで」
「うん!竹中サンキュー!助かった!」
 ジュピターのフェアリーが帰る事を見届けた志希はゆっくりと動き出す。そして簡単な事実を伝えた。その背中に、春菜が満面の笑顔で礼を言う。それには片手を上げて答えた志希は、そのまま教室を後にした。

「春菜さん、その、秋菜さんは……?」
 言いにくそうに春菜に尋ねる夏美に、春菜は目をクリクリと動かしながら笑った。
「大丈夫、どっちかってゆーと、人間性はどれだけ残ってるか測りに行ってるんだと思うから。これはあたしの勝手な想像だけどさ、夏美が言った何かについて思った事が、自分で信じられなくって先生に聞きに行ったんじゃないかなー、って。だから、そろそろ部屋に帰ってきてるかもしれない」
「そう、ですか。人間性って測れるものなんですね」
「先生の経験則でねー。目安でしかないけど」
 教室の適当な席に座って2人はそのまま会話を進めていく。春菜はストレートに言葉を伝えるため、夏美としては付き合いやすかった。
「あたしとしては、一体どんな質問したのか、そっちの方が気になるよ。夏美、秋菜から答えもらってないんでしょ?あたしが答えられたら答えるよ!滅多にこんなことないと思うけど」
 一度言葉を区切った春菜が、そのまま夏美に向けて言葉を続ける。胸をドン!と拳で叩くような仕草をする様子にクスリと笑いを零しながら、夏美は口を開いた。

「私は、部屋に他の人の物があって、ベッドを置けるスペースがある事に気がついたので、その事について聞いただけです。でも、話せないと言われてしまって……」
「あー、そゆこと。それはあたしも答えられないや。答えようとしたらきっと窒息しちゃう」
「ええ!?窒息ですか?」
「そそ。明日になったらきっと答えられるから、それまで待ってくれないかなー」

 その時、ざぁ、と教室内の空気が動いた。突然のことに体が強張る夏美。それと、流れるような動きで扉の方に視線を向けた春菜。春菜は、扉を見つめながら、夏見に向かい口を開いた。
「明日まで待つ必要はない、かな」
「え?」
 その声色に夏美も扉の方に顔を向ける。もう一度、今度は先程よりも強く風が通り過ぎると共に、ガラリと扉が開き、1人の生徒が教室に入ってきた。



2013.12.30 掲載