2章:スクールの生活…5



 魔法学の後、そのまま校庭で体育を行った生徒たちは、最後の授業を体育館で迎えた。ざわざわと会話に勤しむ生徒たちを美奈子が壇上に立ち、自身が受け持つクラスの生徒たちを見回す。その目は、常の穏やかな印象からは遠く離れており、獲物を狩るハンターの眼差しをしていた。
「さて、みんな。覚悟はいいかな?」
 何気なく言う美奈子に、春菜はひきつった顔をし、秋菜も浮かない顔だ。夏美だけがきょとりと先生を見返した。

 適性検査は2週間に1回行われる授業だ。それだけならば秋菜も春菜もこんなに顔色を悪くしない。心なしか志希ですら、青い顔をしているのだ。何も知らない夏美だけ、なぜクラスメイトたちがこのように青ざめているのか理解していなかった。

「じゃあ、ちょっと、いってらっしゃい!」
 そう美奈子が声を掛けると、ふわりと皆の体が浮く。下にズボンをはいているから平気という顔の女子と慣れたようにスカートを抑える女子。諦めが勝ったのか、隣にいた男子とふざけはじめる男子や、おしゃべりを始める女子。そのまま、生徒たちは床に空いた大きな空間へと投げ出された。
「さて。世代交代が近づいてきているからね。このクラスから何人が候補生となるのか、楽しみだわ」
 最後の美奈子の言葉を聞いている者は、誰もいなかった。

 秋菜は青い空間に居た。それぞれの属性が象徴する空間へ強制的に連れてこられるこの適性検査は、学校に繋がっている道を見つけるのを目的としていた。秋菜はもちろん、それを心得ている。妖精としての性質が強ければ強いほど、妖精界に近い次元に落とされるので、学校に戻るまでに時間がかかる。つまり、先生側からも生徒側からも自分の適性を認識できる、数少ない授業だった。
 この適性検査の結果で、最終的に学校に在籍すべきか否かを判断される。最も、秋菜がいるクラスでは二度と元の世界に戻れない生徒が出ても、この授業で元の世界に戻される生徒はいない。
 このクラスは、こぞって妖精との親和性が高い生徒たちがそろっている。皆が何を望んでいようとも、その事実は変わらなかった。そして、それだけクラスからの脱落者はいない、という結論と結びついた。

 秋菜は上も下も分からないような青い空間でゆっくりと息を吸って吐く。過去の経験から、こういう場面で焦るのは一番よろしくないと分かっているからだ。それでも、不気味な不安がまとわりついた。
“前よりも、まとわりつく気がする”
 ぼんやりと、前回との比較を行う秋菜。世界全体が水のような粘着質のある空気で覆われていた。その中に潜む、水の濃厚な気配が四肢に纏わりつく。それを自覚しながら秋菜は体がその空気に慣れるまでじっとしていた。おそらく今頃、春菜は炎の気配のある火山のような空気に、夏美は森の中のそれに、志希は洞窟の中のような淀んだ空気に包まれているだろう。そこまで思考をした後、秋菜はゆっくりと体を動かした。
右手、左手と動かしながら、頭も左右に振る。長いポニーテールが秋菜の頭の動きと共に左右に揺れた。顔を正面に戻した後、ゆっくりと瞬きをする秋菜の瞳はそれまでのシルバーではなく、水に濡れたブルーグレーの光を湛えていた。
“さあ、帰ろう”
 しっかりと意識を持った秋菜は、前に向かって足を踏み出した。

『美奈子さま』
『美奈子さま〜』
 体育館で1人、生徒たちの帰りを待つ美奈子の元に、妖精たちが近寄ってきた。その妖精達に、美奈子は微笑み返す。彼らは5色の光をそれぞれ纏いながらも楽しげな雰囲気で彼女の周りを飛び交う。それを咎める者は、今の体育館には居なかった。
「一体誰が最初に帰ってくるかしら。最後は誰かしら」
 楽しくて仕方がないと雰囲気から分かる美奈子の言葉に、それぞれの配下の妖精たちが己の属する属性の子供達の名前を言い出す。それをBGMとして聞いながら、美奈子は穴を見つめた。

 美奈子のクラスではまだ誰も戻ってきていないが、他のクラスでは半数以上が既に戻って来ている時間だった。目を細めて体育館の床に空いた穴の奥を見る。美奈子の目には2、3人が彷徨っているのが見えた。まだ誰か、という事までは判別できないけれども。
「食い入るように見つめなくても、皆帰ってくる」
 不意に背後から聞き慣れた声が聞こえ、美奈子は振り返った。
「御使い、ですか?」
「そうとも言うな」
 男性とも女性とも取れる声色に、美奈子は微笑んだ。
「そろそろ私たちの番ですか?」
「世代交代が近い。我らの代がひとつ進む。さすれば、そなた達講師の世代もひとつ進む」
「そうですね。次の代の担い手が見つかるまで繰り返される入学と卒業ですけど……今回は卒業をする前に世代交代ですか」
 美奈子はその人物を見ながら微笑んだ。次期サタンになる人物に。
「今の妖精王とその属性主達は人の時間で100年近くを治めた。妖精の力を持ってしても、元が人である以上、そろそろ限界だ」
「そうですよね」
「そなたも、講師をしてどれだけの時間が過ぎ去ったのだ?担い手候補として講師となり、今は次のステップが約束されている所まで力を伸ばしたそなたは」

 その質問に、美奈子は首を傾げて見せた。目元は決して笑っていない。
「さあ、どれぐらいだったかしら。番人をしている人たちなら分かるかもしれないわね」

 2人の間に不穏な空気が流れる。美奈子は笑顔を浮かべてはいるが、唇だけが歪められている。対する人物は無表情だった。
「良い顔が出来るようになったな。人らしさを捨て切ってから妖精界の住人となれ」
 それだけ言い置くと、美奈子と対峙した人物は音もなくその空間から消える。美奈子は暫くその空間を睨みつけていた。

 秋菜は自分がこの空間にどれだけ居るのか、知らない。正確には、時間の過ぎ方が大きく異なるため分からないのだ。何よりも、自分が後どれだけの道のりを進めば学校の体育館に帰ることができるのか、それすらも分からないことが単純に腹立たしかった。
 それでも、前に進むに連れて足取りが軽くなってきている気がした。重く纏わり付く空気から、学校の周辺の空気に近くなってきている。その感覚が、秋菜には救いだった。
“まだ、みんなと別れたくない、だけ。それだけだけど”
 小さなため息をつきながら前に進む。本当にそれだけの気持ちでも構わない、らしい。美奈子先生は言うのだ。理由や発端はどうであれ、学校にまだいなければならない年齢である秋菜たちが、きちんと学校に帰ってくる。それが大切なのだ、と。だから、秋菜は願うのだ。まだ春菜や夏美、それに今は謹慎中の冬美とも共に居たい、と。自分はまだ、妖精界に行く準備は整っていない、と。
“でも、「その時」が来るのは、私たちの卒業と同時、とも限らないのよね”
 そう思い詰めながらも、秋菜は前を向いた。

 ふと目を凝らすと、黒い道が見える。周囲の青色も、濃い群青から空色に近い色にまで明るくなってきていた。黒い道のはるか遠くに明るい点が見える。秋菜はそれが出口であると確信すると、その道を踏みしめた。

 まだ、自分には居るべき場所がある。それは友人たちと共に過ごしている、あの学校だ。世界の狭間で囚われてはいるが、それでもあの時間は事実なのだと、足を進めるごとに確認に変わって行った。

「秋菜さん、遅いですね」
「うーん、秋菜はいつも遅い方だったけど、ラスト5人になっても来ないのは珍しいなぁ〜」
「……そうなのですか?」
「うん。逆にあたしは最初の10人には入るよ?」
「そういえば、私も早い方でした」

 美奈子先生と共に、多くの生徒たちが学校の体育館で残り5人の帰りを待ちわびていた。つい先ほど竹中志希も帰還している。だが、生徒の輪の中に青いストレートヘアのポニーテールは見当たらなかった。
 春菜も夏美と共に秋菜の帰りを待っている。とはいえ、春菜はいつも帰ってくるのが早いメンバーだが秋菜は遅いので、待つ事になるのは慣れていた。今回は夏美もいるので、いつもよりも待つのが楽なだけだ。それでも、春菜は秋菜の事が心配だった。最近、感覚が人間離れしてきている気がしたから。
「秋菜、早く帰ってこないと、あたしここに居れなくなるのに……」
 竹中志希は帰り着くなり夢の中だ。ありとあらゆる意味でいつも通りな少年に、周囲も慣れた視線を送る。それでも、春菜はここに居たかった。秋菜が帰り着く時に、居たいだけなのだが。

「あ!秋菜ちゃん!」
 帰ってきていない人数が少なくなるにつれて小さくなる穴を凝視していた生徒の一人が、声を上げた。その声に春菜は顔をあげる。ゆっくりと足を踏みしめながら体育館に帰ってきたのは、まさしく春菜が待っていた親友の姿だった。
「秋菜!」
「秋菜さん」
 春菜は大げさとも取れるほどの声の大きさで呼びかけて穴の近くに行き、夏美はいつものテンポで声を紡ぐ。それでも、2人の声と表情に安堵が見受けられた。
「ただいま、春菜。夏美も、ありがとう。……もしかして、結構後ろの方だった?」
 穴の前から移動しながら秋菜は尋ねる。それに春菜は大きく頷くことで答えた。
「うん!ラスト5人ってさっき美奈子先生が言ったところ」
「うわ〜、遠い道のりだったはずだわ……疲れた」
「お疲れ様です。遠いとやはり疲れるのですか?」
 ねぎらいながらも疑問を投げかける夏美に、秋菜は苦笑した。
「狭間の場っていうのは、厚みがあるから。その厚みの中でも物理的な距離が妖精界に近いと人間界に近いこの学校まで遠くなるじゃない?それと同じよ」

 一度に2人の名前を呼ぶ声が聞こえ、あと待つのは2人となった。体育館は静寂に包まれる。今か今かと待ちわびる中で、キーンコーンカーンコーンと無情にもチャイムの音が鳴り響いた。
「あらら。今日はここまでね」
 美奈子先生はそういうと、穴を閉じた。本当に親指と人差し指で閉じるような動作をするだけなのだが、そうすると穴の中から帰ってこなかった生徒2人が、今まで穴があった場所に驚愕の表情で立ち尽くしていた。その2人を待っていた生徒たちは、諦めたような顔をする。夏美にはなぜそのような顔をするのか分からなかったため質問をしようと口を開きかけたところで、美奈子先生の声に遮られた。
「はーい、今日の授業はここまで。あなたたち2人には話があるから少し待っててね。他のみんなは宿題忘れないよーに!」

 はーい、と言いながら体育館を後にする生徒たち。制限により爆睡中の竹中は別の男子生徒の背中に負ぶわれ、春菜はいつの間にか姿を消している。そして、最後に先生により体育館に戻された2人は、厳粛な顔つきで自分たちの元に来る先生を見つめていた。
「夏美、行くよ?」
 隣で動かない夏美に秋菜が声を掛ける。その秋菜に、夏美は首をかしげながらも頷いた。夏美の疑問は理解できる秋菜だが、答えるほどの元気がない。秋菜はそのまま無言のうちに夏美や他の生徒たちと体育館を後にする。体育館に残ることになった2人に、もう二度と今の形では会えない事実に、胸の内で別れを告げながら。



2013.11.30 掲載