2章:スクールの生活…4



 いったい他の生徒たちが何を行っているのか。それが分からないので夏美は戸惑うばかりだ。そんな夏美の肩を、1人の女子生徒が叩いた。
「梅野さん、説明しようか?」
「戸田さん。……ええ、お願いできますか?」
「もちろん、困った時はお互い様だしね」
 ぱちり、とウインクした少女はセミロングの明るい緑の髪をツインテールにまとめた、夏美や春菜たちのクラスメイトの戸田愛音(あいね)だ。あまり目立つ少女ではなく、どちらかというとクラスでもおとなしい方なのだが、困っている人を見ると放っておけない性質らしい。昨日も、夏美が秋菜と春菜に移動教室の場所を聞きはぐった時に声を掛けていた。

「それで、皆さんは何をしているのですか?」
 単刀直入に質問する夏美に、愛音は少し言葉を探した。
「気を練ってる、っていえばいいのかな? フェアリーに姿を見せてほしいって念じながら自分の中にある気持ちを持ち上げていくんだ」
「自分の気持ち、ですか」
 今一つ分からない、という顔をする夏美に、愛音はうーんと腕を組んだ。周囲の生徒たちはちらちらとそんな二人を見つめる者たちと集中していて気が付かない者たちのどちらかに分かれている。
「梅野さんは今まで魔法を成功させたことってあったっけ?」
「それが……無いのです」
「魔法は信じる力から生まれる、ってこの“場”では言われているの。つまり、妖精を呼び出すのも同じで、見えるように呼び出すのも同じ原理、なんだけど」
「つまり、信じる力が強ければ強いほどいいのですか?」
「それだけじゃないんだけど、妖精を呼ぶ、っていう事に置いてはそうかな?」

 そこまで愛音が説明をしたところ、マーズのグループの一角からどよめきが沸き起こった。そちらに目を向けると、一カ所に赤っぽいオレンジの小さな光が出現している。それはグループの上空数十センチの位置でふよふよと浮かんでいた。
「一番早かったのはマーズね。でも、今回はスピードではなく、どれだけ呼べたかだからね。他のみんなも諦めないのー」
 その光を見止めたらしい美奈子先生の声に、他のグループでもより気合いが入ったようだ。その様子を尻目に、愛音はオレンジの光を指差しながら夏美に向かって口を開いた。

「あれが、私たちが見ることが出来る妖精って存在なの。ここは“狭間の場”でしょ? だから、妖精界でははっきりした姿が見える妖精も、ここでは光の塊、なんだって」
「あれが、妖精なのですね……」
 始めて見たその光に、夏美は言葉を続けることが出来なかった。きれい、という言葉は似合わない。上手く言い表すことは出来ないが、あの光が気になる。あの光の事をもっと知りたい、そういう自然な欲求が湧きあがるのを感じた。

 夏美の変化を敏感に感じ取った愛音は、夏美と目を合わせた。
「どう、梅野さん? 少しは分かりそう?」
 その質問に、夏美は少し戸惑いながらも頷く。それでも、瞳の中から不安な色は消えていない。それを如実に物語るかのように、夏美は口を開いた。
「その……信じれば、いいのですか?」
「具体的に呼ぶには、ってことかな?」
 思考が飛躍してしまう夏美に、確認を取る愛音。愛音の言葉に、夏美はこくりと頷いた。
「はい。信じれば、妖精を呼べるのですか?」
「信じるだけじゃあダメ、かも。えっとね、妖精に呼びかけてあげて? ここに来て、ここは安全だよ、って」

 愛音がゆっくりと紡ぐ言葉に、夏美は頷いた。そして、祈るように手を胸の前で重ねあわせ、軽く顎を引いて目をつむる。夏美は、必死に願った。祈る、に近かったかもしれない。そして、これほどまでに真剣に願いを浮かべたのは初めてだった。
“妖精の皆さんが、ここに居るというのは分かりました。どうか、どうか、私の目の前に来てくれませんか。あなたたちの事をもっともっと知りたいのです。できる限りの事を知りたいのです”

 その頃、次々に妖精たちが光の塊となって各グループの頭上に現れる。最初に妖精が姿を見せたマーズのグループだが、その数を伸ばすのに苦心しているようだ。次に金色の塊である妖精が姿を現したヴィーナスのグループも、同じく伸び悩んでいる。青い光を纏ったマーキュリーの妖精たちと茶色見を帯びたサタンの妖精は着実にその数を伸ばしていた。

 夏美はふわり、と空気が変わったように感じた。今まで居たところは普通の校庭の空気だったのだが、いきなり森の中に放り出されたように深緑の気配がしたのだ。
『じゅぴたーのおこ?』
『よんだ?』
 かすかに聞こえた声に、夏美は顔を上げた。そこには、緑の色を放つ光がある。それに向けて手をかざすと、より一層森の中の気配が強くなった。
「あ、あなたたちが……」
『そーだよ』
『ぼくらは、ちかくにいるよ』
 夏美の瞳にキラキラと光が反射する。その光に魅せられるように、夏美は手を伸ばした。驚きと実際に目の前に妖精がいるという事実の両方が相まって夏美は言葉も出ないようだ。愛音はそれを横目で見ながら、自身も妖精を呼び出していた。

「そろそろ授業の時間が終わるので、今出てきている妖精たちの数を数えましょうか!」
 美奈子先生の良く通る声に、生徒たちははっと顔を上げる。そして美奈子先生は多くの生徒の視線が集まったことを確認して大きく手を振り上げた。

 それまで生徒たちの近くに居た妖精たちが上空に上がる。夏美の元にいた妖精も同じように上空へあがった。そして、美奈子先生は声を張り上げて指を動かす。それに合わせて、他の先生たちも動いた。
「いーち!」
 ぽすん
 生徒たちは上空を見上げている。小さな音と共に妖精の光が1つ消えた。
「にー!」
 ぽすん

 夏美はその光景を見ながら、まるで玉入れで玉を数えているようだ、とぼんやりと思う。そのうち、ヴィーナスのグループの上空からすべての妖精が姿を消した。続いて、ジュピターとマーズが。そして最後にサタンとマーキュリーの一騎打ちとなった。
「じゅうごー!」
 ぽすん
「じゅうろーく!」
 ぽすん

 サタンの最後の妖精が消える。そしてマーキュリーのグループから歓声が上がった。まだ、青い光は2つほど残っている。それだけ、呼ぶことが出来たという事だろう。
 夏美は喜びに沸き返るマーキュリーのグループを眺めながら、ぎゅっと握り拳を作った。自分がこの“狭間の場”に迷い込み囚われて初めて、ここが今まで居た世界ではない事を実感したせいかもしれない。
「梅野さん、どうだった?」
「戸田さん。すごいですね」
「ね、すごいよね」
 気が付くと夏美の隣には再び戸田愛音がいた。軽く語りかける愛音に夏美は幾分興奮気味に答える。それににこやかに答えながら愛音はマーキュリーの方を向いた。
「でも、本当にすごいのは秋菜ちゃんと冬美ちゃんなんだよね」
「え?」
「ううん、なんでもない。ごめんね」
 盛り上がるグループの中心にいる秋菜を視線の先にとらえながらつぶやいた愛音の言葉は夏美の耳には届かなかった。

 きーんこーんかーんこーん
 チャイムが鳴り響く。そのチャイムに合わせて最後まで残っていた2つの青い光も消えた。



2013.5.11 掲載