2章:スクールの生活…7



「春菜、久しぶりね」
  その生徒は春菜とは旧知の仲のようで、少々高圧的に言葉を紡いだ。光の加減で表情が今ひとつわからないが、その生徒が女子生徒であることだけは夏美にも分かる。スラリと背が高く細身で、元の世界ならばモデルをやっていると言われても驚かないだろう。
「冬美、久しぶり」
  夏美は隣に座っていた春菜の硬い声に驚く。今まで2週間程を共に過ごしてきたが、今まで聞いたことがない硬く緊張感を孕んだ声だった。そんな春菜の声音を気が付いているのかいないのか、冬美と呼ばれた少女はわずかに口元を歪めながら冷たい口調で言葉を紡ぐ。
「あなた、わたしに何か言うことあるんじゃない?」
「ありすぎて、何から言えばいいか分かんない」
「あっきれた。ほんとにあなたってバカで短略ね」
「今更だなぁ〜。ああ、もう、分かったよ。とりあえず、謹慎させてゴメン」
  やんわりと笑いを含んだ声音の春菜が何の事は無いように一つ謝った。謝罪が聞こえるか否かのタイミングでバン!と教卓を叩く音が響く。
「そんなこと言って欲しいんじゃない!違うわよ!」
「分かってるよ」
  ヒステリックに響く冬美の言葉に、春菜は冷静に返した。その言葉に更に怒気を含んだ視線を受けながら、冬美が何も言わない為、春菜は仕方なく重い口を開く。まるで、これは言いたくなかった、という様子で。

「誰が見ても、あの時のアレはあたしが引き金引いたし。あんたが爆発するかもしれないって分かってながら言ったんだから、誰がどう見てもあたしのせいでしょ」
「そうだとしても、あの場で全て悪いって思ったのは、わたしよ。分かってるでしょ?」
 どちらも引くことのない言い合いを夏美はただ見守る事しかできない。2人のケンカの原因を自分が知らない事を歯がゆく思いながら。
「分かってるよ。……冬美、分かってるよね?」
「何が?」
  急に口調の変わった春菜に冬美と夏美も怪訝な視線をおくる。その2人の視線を受けながら、春菜ははっきりと口を開いた。
「次に深度を測る時、あんたは帰って来れない。それぐらい同化してる。あたしでも感じれるぐらいなんだよ?」
 “同化……?”
  夏美は耳慣れない言葉に首をかしげる。それでも、それが何かと今質問をする事は憚られた。
「そんなの、わたしの望み通りじゃない!願っても無い事だわ!」
「バカ!あんた1人の問題じゃないのに!」
「あなたは何を恐れているの?春菜、何が怖いの?」
  ニンマリと笑みを浮かべた冬美に春菜は唇を噛み締める。何でも見透かすような冬美の言葉とそのラベンダーの瞳に夏美も薄ら寒い気持ちを抱いた。

「怖くって、悪い?」
  絞り出すように春菜が答える。それに我が意を得たり、という表情を浮かべる冬美の口元は歪められていた。夏美は、何か分からない未知なるモノを目の前にして縮こまるよう肩を竦めた。純粋に、冬美が恐ろしく感じた。
「悪くはないわよ?あなたがあなたであるなら、問題ないわ」
  ガラリ
「問題大有りでしょ?」
「あら、秋菜!久しぶりね!」

 オロオロと春菜と冬美のやりとりを見守っており、事情が分からないながらもこれはまずいと口を挟みかけた夏美は、急に開かれた扉の方に目を向けた。そこには、医務室に行った秋菜が立っていて、さらにその奥には志希の姿がある。2人とも冷たい視線を冬美に投げかけていた。
「オレには一言もなしか?」
「なによ、何か欲しいわけ、竹中?」
「いや、オレはお前の姿を見れただけで十分だ。……無事とは言い難いみたいだけどな」
「そうね……世代交代が近いんでしょ?その時まで踏ん張れたら十分だわ」
  軽く答える冬美に、秋菜は息を吐いた。表情はあまり変わっていないが、吐き出された息は重い。
「あんたはそれで良くても、私は良くないの」
「諦めなさいよ、秋菜。あなた自身わかってるんじゃないの?」
「分かってても、諦めたくない未来ってのがあるの」
「願いを成就できるとしても?」
「……たとえそれが願いと相反する未来でも。願うのは自由だから」

 まるでこの世の終わりについて話しているみたいだ、と夏美は思った。特に何を話していると特定できるわけではない。それでも、今、冬美と秋菜は一世一代の話を紡いでいるんだと夏美は感じた。
 2人のやり取りに、春菜は何も口を挟まない。いや、春菜の表情は苦渋に満ちていた。夏美には春菜が何を想っているのか、それは分からない。ただ確実に言えることは、彼女の表情の原因は目の前でやり取りを繰り広げてる2人なのだという事だけだ。

「その願いと本当の願いと、どちらの方が大事なのかしら?」
「現時点で言えば、今、私が思い描いている方よ」
「そーなの。秋菜はそんなに人で在りたいの」
「人の事を否定しているあんたに言われたくないわ」
 それまで無表情で言葉を交わしていた秋菜と冬美だが、ここに来て秋菜がわずかに表情を変えた。それは眉根をわずかに寄せるという、不快を示す表情ではあったが。それでも表情が宿るだけで人としての温かさが戻って来ていた。
「そうよね。あなたの言ってることも正しいと思う。でも秋菜、わたしたちは逃げられない。これは事実よ?」
「……そうよね」
 秋菜は目を伏せながら小さく、肯定を示す。本当は認めたくない、という気持ちが見え隠れしている答え方だった。
「分かってるならいいわ、わたしは」
 例え本心からでなくても肯定を受け取った冬美は、一度頷くと夏美の方を向いた。
「で。あなたが転入生?」

 夏美はきょとんと冬美の事を見返す。その様子に春菜が口をはさんだ。
「そうだよ。梅野夏美、ジュピターの配下」
「そうなの。なんだか力は弱そうねぇ」
 品定めをするような冬美の視線に、夏美は身動ぐ。それでも淡々と冬美は視線を浴びせ続けた。
「まあいいわ。わたしは桜木冬美。ヴィーナスの配下になるわ。わたしのことを怒らせない方がきっといいから」
「怒らせない方がいい、のですか?」
「そうよ。怒らせたら例え新入りのあなたにでも容赦はできない。それがわたしなの。よろしくね」

 そっけなく自己紹介を済ませると、冬美は踵を返した。それを目で追いながら、春菜が声を掛ける。自分自身も立ち上がりながら。
「冬美、どこ行くの?」
「先生の所よ。謹慎室から出てきたばっかりだから部屋には帰れないし」
「あー、そうなんだっけ?」
「あなた、また聞いてなかったわけね。先生に言っといてあげる」
「うわあああ、言わなくていいです、というか、言わないでくださいお願いします!」
「もちろん、言うわ。わたしは嘘をつけないの、知ってるでしょうに」
「知ってるからこそ、言わないでおいて貰いたいんだけど……」

 会話が教室から離れて行くのを聞きながら、夏美は部屋に残っていた秋菜に視線を向けた。放心状態、という表現が正しいのか分からないながらも、心ここに在らずといった風体の秋菜に、夏美は声を掛ける事にした。
「秋菜さん、その、「花井、無理すんなよ」
 いきなり聞こえてきた志希の声に夏美は驚いてドアと教卓の間の黒板際を見た。そこには少女たちの会話をただ見守っていた志希がいた。そういえば初めに冬美に話しかけてから一言も発することなく彼は居たのだな、と夏美は気が付く。その志希の顔には何事もなく終わったことに対する安堵の笑みがあった。
「うん。竹中、ありがと」
「おう」
 秋菜のお礼に対してひらりと片手をあげると、志希はそのまま踵を返して教室を後にした。

「……夏美」
 静かな口調に、夏美は秋菜の表情を伺いながら頷いた。
「はい、何でしょう?」
「多分、いろいろ分からなくて混乱してるよね。部屋に帰ろう。きっと春菜もそのうち戻ってくるし、部屋に帰るまでには私も元通りだから。部屋に帰ったら、説明するよ」
 有無を言わせない調子の秋菜に、夏美はただ頷くことしかできない。そして、夏美を待つことなく教室を後にした秋菜の後を追った。



2014.1.18 掲載