2章:スクールの生活…8



 言葉を発するわけでもなく少し先を歩く秋菜の後を、夏美は黙って着いていく。秋菜はそんな夏美の存在に気が付きながらも、言葉を発する事はなかった。今、秋菜の中では罪悪感が渦巻いている。今まで夏美には言いたくなかった事を言わねばならない事実、言えなかったことが言えるようになった事実、そのあたりが絡み合って自身が知ることを全て伝えることができるわけではない事実が秋菜を苛んでいた。もちろん、その中には世代交代の事もある。今まで説明してこなかったのにそれを急に説明しなければならない事もある。だが、そのことを伝えなければ、夏美が知りたいことには答えられない、秋菜はそう感じていた。

 夏美は無言で廊下を歩くうちに渦巻く質問を整理した。どの質問にならば回答が貰えるのか。どれならはぐらかされそうか。ただ、少し考えただけでも夏美には分からないことが多すぎて、自分の理解できる範囲を超えそうだと感じた。廊下を歩いていなければ、頭を抱えて考え込んでしまいたくなる。だが、自分が今ここにいるのは、確かに知りたいと願ったからだ、と思い出す。その事実を思い出せば、夏美は聞く以外の方法でも知らないといけないと感じた。そして、おのずと自分の疑問が研ぎ澄まされていく。ひとつひとつ、研ぎ澄まされてクリアになっていく疑問を離すまい、と夏美は胸元の手を握り込んだ。

 秋菜と夏美は無言で廊下を進んでいく。お互いにお互いが何を考えているのか気になりはするのだろう。だが、どちらも口を開くことはしない。途中、誰にも会わなかった事が、これが世界の選択なのだろうか、と秋菜に勘ぐらせる。自分たちをこの“狭間の場”に捉えた世界の意思のように。

 ぎいぃ

 部屋に辿り着きドアを開くと、夏美の目には4つのベッドが映った。今朝まで3つだったはずなのに。正確には、部屋を出るまで3つのベッドがあったはずなのに。
「え……?」
 混乱する夏実を余所に、秋菜は部屋の中に入る。そうして、今まで誰も使っていない、突如として増えたベッドを指差した。
「これが、冬美のベッドよ。あんたが見た物も、ちゃんと周りにあるでしょう?」
「あ……はい。あります、ね……」
 秋菜の言葉にベッドの周囲を見回せば、確かに、誰の物だろうかと首をひねっていた物がきちんと整頓されて置かれていた。まるで、冬美が一度帰ってきて整頓したかのように。夏美はいきなりの事に目を白黒させながらも秋菜の問いかけに頷く。その夏美を確認してから、秋菜は自分のベッドに腰掛けた。

「それじゃあ、夏美の質問に答えようか……私が答えられる範囲で、って事になるけど」
「……はい、お願いします」
 廊下を歩いているうちに確かに落ち着いたのか、秋菜はゆっくりと息を吸うと夏美に向かってほほ笑んだ。夏美はその秋菜の目をまっすぐに見てから自分もベッドに座る。そして、頷いた。
「それでは……まず、あの、なぜベッドが急に?」
「……それには、謹慎の事から話さないといけないかな」
「謹慎……確か桜木さんが受けていた、という?」
 何となくではあるが、聞いた言葉の1つだ。それは夏美にとってもぜひとも聞きたいキーワードではあったのだが。
「そう。謹慎はね謹慎室に所定の時間だけ入る事になるんだけど、それは“狭間の場”は受け付けない空間になっている、みたい」
「受け付けない場所、ですか?」
「なんていえばいいのかな、一時的に存在しない場所に行ってしまった、って感じかしら……?記憶から抜け落ちるのよ、謹慎室に入っている人の事って」
「え?」
 夏美は驚きに言葉を失った。謹慎室に入っているという事実だけで、その人物自体が存在しなくなった、というわけではないというのに。なぜ、と。
「存在は部屋の中にある。でも外界からの接触は無い、みたいなの。その間、私達外に居る人間にはその存在が霞の向こうに居るみたいにぼんやりとしてるのよ」
「えっと、それでは、秋菜さんは桜木さんが謹慎中は……?」
 具体的なイメージを伴った説明になった秋菜に、夏美は思わずといった状態で言葉を紡いだ。それに秋菜は寂しそうな笑顔を返す。これが現実である、と言いたげに。
「……妖精としての力と、その人物とのかかわりの深さ。それが影響を与えてくるわ。春菜がどれぐらい覚えていたのか、それは分からないし、なんで冬美が部屋から出てくる前にあんたに物の事を気取られたのかも分からないけど、私個人としては……同室にピンクの髪をした長身な友人が1人いたこと、春菜とケンカして今は謹慎室にいること、名前は桜木冬美だってこと……それに加えていくつかのどうでもいい記憶が残ってたわ。ただ、冬美本人の顔を思い浮かべようとしても思い出せなかった、って感じかしらね」

 沈黙が流れた。夏美は少し考え込んでいるようだ。この“狭間の場”ではありえないことが起こる。それは流石に分かってきているのだろう。それから、言葉を選びながら口を開いた。
「……秋菜さんは、桜木さんを、覚えていた、んですよね?」
 今度は秋菜が口をつぐむ番だった。正直、この後に続く質問への答えが一番あいまいなのだ。それが、秋菜自身とても歯がゆく感じていること、だからこそ。
「……そういうことになる、わね」
「では、なぜ……なぜ私には教えてくれなかったのですか?」
「……“場”の強制力のせいよ。あんたは何も知らなかった。何も知らない者には、事実を知るまで教える事は出来ない。教えたくてもできない。“場”の強制力を越えることができるのは、本当に“場”よりも力のある……妖精王ぐらいだと思うわ」
 “場”の強制力は実に強い力を持ってる。この“場”が世界と世界の狭間であるならば、絶対になければならないルール、とでも言えるだろうか。もちろん、普通に生活している分にはその強制力による影響を受ける事はまずないだろう。……だが。謹慎のように、その存在自体が一度無くなるあるいはその存在の在り方が変わるとき、発動されるのだ。

 夏美はその答えを自分の中に落とし込んだ。先程から存在が無くなる、と言っている。だから自分はあの背の高い少女に会うまで、一番気になっていた事を疑問に思わなかったのだ。パズルのピースがひとつ、抜け落ちていることに初めて気が付いたような感覚が夏美を支配した。
「あの、秋菜さん」
 幾分興奮した声音で夏美は声を上げた。一番言いにくい、と秋菜が感じていたものを言ったからだろうか、秋菜の顔は落ち着いている。その秋菜に向かって夏美は興奮冷めやらぬ様子で口を開いた。
「もしかして、私が桜木さんの私物を分からなかったのは、桜木さんの事を知らなかったから、という事ですか?……あ、でも、今朝から分かった理由は分かりませんね。今ベッドが分かるのは、“桜木さんに関係したことがすべて無かったことになる”という強制力が切れたから、ってことですよね……?」
 夏美の言葉に、秋菜は一瞬驚きに目を見開いたが、すぐに淡いほほえみを浮かべた。こういう、難しい算数の問題が解けたと報告してくるみたいな顔をする友人は嫌いではない。むしろ、好ましいと思うのだ。自分が失いつつある感情であるから、なおさら。
「今朝から分かったことに関しては、私もわからないわ。もしかしたら、夏美は勘がいいのかもしれないし、それ以外の理由があるのかもしれない。……でも、今冬美のベッドが見えてるのは、間違いなくその考えのとおりね」
「よかった、少しだけ分かった気がします」
 自分が正解であったことに胸をなで下ろす夏美。それを秋菜は無言で見つめていた。

「あの、秋菜さん、他にも聞きたいことはたくさんあるのですが、自分でも調べられるだけ調べてみようと思うのです」
 他にも質問が飛んでくると思った秋菜は拍子抜けしたように肩の力を抜く。まさか、夏美からそのような言葉を聞くことになるとは思わなかったのだ。知的好奇心が旺盛だからこそ、の結論ではあるだろうが。
「世代交代、でしたっけ。それも良くわかってませんし、妖精さしさと人間らしさもまだまだ分からないだらけです。でも、毎回答えを教えてもらうだけではだめだと思ったので……」
「そっか。それならそれでもいいんじゃないかな」
 自分で調べてみたいというのならば特に止める理由もない。むしろ、本を読みはじめたら止まらないのに調べる気があることにその知的好奇心の旺盛さを感じた。もはや、流石、と称賛したくなるレベルだ。
「でも一つだけ。これはおそらく調べても分からないので教えてください」
 その感慨深い秋菜の心情に、夏美は最後の石を投げかけた。秋菜は視線で先を促す。
「……桜木さんの制約は、いったい何なのですか。怒らせない方がいい、と言っていましたけれど」
「ああ、それ。冬美はもったいぶってたけど、冬美は“嘘をつけない”のよ」
「嘘をつけない?」
「そう。どんなに嘘をつきたくても、口をついて出てくるのは真実のみ。それなら言わなければいいのに、口を出しちゃう性格なのよね。だから怒らせると嘘をつけないから本当の事をぶちまけちゃって……謹慎、とかになっちゃうの」
「そ、そうなのですか……」
 脱力した夏美に、秋菜は小さく笑みをこぼす。確かに、この情報は調べるのは難しいだろう。少なくとも春菜は口を割らないだろうし、本人も言わない。夏美は若干竹中志希の事を苦手としているようなので聞かないだろう。そうすると、確かに今聞いてしまうのが確実だった。

「本当にこれでいいの?」
 秋菜は夏美に念を押した。おそらく、この後、質問に答える機会はあまり来ないだろう。だから聞くなら今のうちに、と思うのだが、夏美は決意を秘めた目で秋菜の事を見た。
「何かが起ころうとしている事だけは私にも分かります。それが何なのか、自分で確認したいんです」
「そう、そこまで言うなら、私はあんたが何か聞いてくるまでこれ以上何も言わないわ」
 その秋菜の言葉に、夏美は大きく頷きながら答えた。
「はい!」

 この、“狭間の場”フェアリー・ワールドの案内人の1人であるコンロは、スクールを遠目に見つめていた。あのスクールの用務員や事務員は、コンロ自身のように妖精として生まれながらも人間の素質が強すぎて囚われたものが多い。小さな集落を構えている彼らは、この“狭間の場”でその一生を過ごす。ある意味、スクールに通う少年少女達よりもこの“場”に囚われていた。
 そのコンロの背後に5人の人影が現れる。それぞれ赤・青・茶・緑・白のゆったりとしたローブを着た、男女だ。そのうちの1人、白いローブを纏った人物が一歩前に出た。
「案内人さん。お久しぶりです」
 深くかぶったフードのせいで顔と表情は見る事は出来ない。
「次期長たちが勢ぞろいで。いいのですか、妖精界は」
「王に任せてきました」
 白いローブの人物はやわらかい声でそれを伝えると、視線をスクールに向けた。
「もうすぐ、ですね」
「ええ。必要な素材は集まりました。あとは、世界の決断を待つだけです」
「その決断は近いうちに」

 そうローブの人物は言うと、一歩下がった。そして、他の4人と共に、空気に溶けるように消える。コンロはそれを背後で感じながら、答えていた。
「承知しております、次期ヴィーナス……いえ、桜木冬香様」



2014.2.15 掲載