終章



 部活動から寮の部屋に帰ってきた夏美は、スマホに通知が来ている事に気が付いた。可愛らしいスタンプでメッセージを運んできたそれを見て、アプリを起動する。そして同じように文字を入力して送信すると、あまり間を置かずに無料通話の電話を着信した。

「もしもし?」
 電話越しに聞こえる懐かしくも元気そうな声に自然と夏美自身の声も弾む。
「春菜さんもお元気でしたか?あ、そういえば高校、決まったんですよね?」
 うんうん、と頷きながら聞く夏美の耳は春菜の声以外に、がさごそと物を動かしているような音も拾っている。それを内心疑問に思いながらも言葉を続けた。
「丘崎高校って、春菜さんのいる県ではないですよね?遠いのではないですか?」
 その質問の答えに納得しながら、夏美は綺麗な黒髪をゆるく手で梳いた。
「お引っ越し、大変ですね。でも親戚が近くにいらっしゃるならいい事です。私も自分の引っ越しを思い出します」
 スマホ越しの声が笑い声を伝える。それに、夏美も笑い声を返した。

 月日は流れた。約3年の年を経て、彼女たちももうすぐ高校生だ。それだけの時間が過ぎても、2人は連絡を取り合っている。
 ひとしきり笑い合った後、電話の向こうの春菜は荷造りの手を止めたのか物音はしない。だが、春菜から意外な近況を聞いた。

「夢で、秋菜さんに……?」
 声に驚きがどうしても滲む。それに対して春菜は補足を伝えた。その内容を真剣に聞きながら、夏美は3年ほど前の記憶を引っ張り出す。そして、彼女なりの解釈を付け足す事にした。

「『夢』は“全てを繋ぐ場”と言われていたと思います。寝ている間、人間界もその他の世界も、それこそ“場”で繋がっていない世界でも条件さえあれば繋がる……それが『夢』だと言われています」
 うんうん、と聞こえる相槌に夏美は言葉を続ける。
「ただし、夢ですから、条件としてはやはり眠っている事が大事なのです。……なんでしょう、一種の精神世界なのかもしれませんね」

 夏美はこの解釈が全てであるとは思っていない。それ以外の事もあり得るだろうと思う中でも、夏美自身が理にかなっていると思う解釈はこれなのだ。決して高説を垂れるつもりはない。ただ、3年前に“場”に関わった夏美だからこそ考えられる解釈だ、と本人は思っている。
 夏美は愚問だろうかと思いながらもどうしても投げかけたい疑問を、春菜に投げかけた。

「ところで春菜さん。秋菜さんは春菜さんの事を春菜さんだと気が付いたのでしょうか?」

 秋菜という名前を持っていた少女は、今も近しい妖精たちにはその名前で呼ばれることを好んでいる。妖精として目覚めた時に名前は授けられたが、それは彼女のこだわりだった。
「どうしたのよ秋菜、上機嫌じゃない」
 彼女の周りにいる小さな妖精たちよりも、声をかけた人物や秋菜はその身長が違う。背丈の違いは、ストレートに力の強さに比例していた。人間でいうところの子供ぐらいの身長だが、明らかに手のひらに乗る大きさの妖精とは秘めたる力の根本的な量が異なっているのだ。
「そう?」
 涼やかな声で答える秋菜は、青い羽を持つ水の妖精だ。彼女の周りには常に数人のマーキュリー配下にある小さな……一般的な妖精が大勢居た。声をかけてきた妖精の周りにも、ヴィーナス配下の妖精が複数いるが。
「そうよ。久しぶりに眠ったらいいことでもあったの?」

 妖精は睡眠が不規則だ。かつて志希と呼ばれていた少年はそれこそよく眠っているらしいが、総じて妖精になると睡眠をあまり必要としないため、睡眠が減る妖精の方が多かった。
「うん……春菜を『夢』で見かけたから、かもしれない」
「春菜を?『夢』で?あの子はただの人間になったんじゃないの?」
 あったままを話せば、相手は疑問を挟み込んでくる。秋菜も同じことを考えたのだが。
「必ずしも『夢』に行く事はないかもしれないけど、人間だからこそ『夢』にも足を踏み入れることができるんじゃないのかな……」
「ふうん。で、変わってた?」

 くすり、と秋菜は笑い声をあげた。口角もわざとらしくあげている。
「冬美の方が知りたがるなんて、おかしくない?」
「そっちじゃなくて、ちゃんと新しい方の名前で呼んでよねって何回も言ってるでしょ!」
「でも、春菜のことを話すなら冬美の方がしっくりくるから」
 凪いだ目の割にはしっかりと言い切ると、秋菜はふわりと体を浮かせてかつて冬美と呼ばれていた妖精の隣に立った。

「まあいいわ。元気にやっているならあなたの心配事は1つ減るんじゃない?」
「そんなに心配はしてないよ。春菜も夏美も……強いから」
「……そうね、わたし達に比べて、かなり強いわ」

 2人の目線の先には、溢れる泉がある。妖精王が生まれ変わった時に最初に湧き出ずる泉。妖精界の力の循環を司る泉。
「自分たちの人生を歩んでいるなら、それに越したことはないわね」
 友人の言葉に、秋菜は大きく頷いた。

「大丈夫。どこにいても私たちが友達であり続ける事には変わらないから」

 “狭間の場”はそこに在る。
 世界と世界を繋ぐ、“狭間の空間”。
 今日もそこに少年少女が囚われる。

 だが、運命が彼らの道を違えさせても、気持ちは通じている。
 次元を超えて、友と呼ぶにふさわしい出会いがまた、あるかもしれない。

 でもそれは、また別の話。世界の意志がある限り、物語はどこにでも続いている。

 また、彼らと出会うその時があるかもしれない。
 全ては、世界の意志に従うのみ。

 “場”は、まだ見ぬ世界への道を繋ぐ。
 また、どこかで、人の運命が変わる……かも、しれない。



2016.1.1 掲載