2.風の都へ…1



 兄さんや父さん、トムにシャム……オレの大事な人達がささやかだけどオレの事を見送ってくれた。だから、ドキドキと不安とに押しつぶされそうだったけど、オレは前を向いてジャンさんの後に続く。草原をゆっくりと、サニーの背中に揺られながら、オレは風を全身に感じた。
 きっとこの先、いろいろあるだろうけど、それでもオレは、なんだろう……なんだか、きっと大丈夫じゃないかな、って気がしてるんだ。

「さて」
 オレがそんな事を考えてたら、ジャンさんが改めてオレの方を向いた。オレもそれに合わせて背筋を伸ばす。
「改めて、これからよろしく頼むよ、リトくん」
 オレは、それに大きく頷いた。
「はい、ジャンさん。これからよろしくお願いします」
 朝日を浴びながら馬上のオレとジャンさんは並んで馬を進める。まだ、オレにも見慣れた風景を進んでる。でも。

 もうすぐオレの知らないところにたどり着く。そこから先は……未知との遭遇、ってことかな。

「ジャンさん、知ってると思いますけど……オレ、村の外に出るのは初めてなんです。だから、いろいろ分からないことだらけですけど……」
 不安が無いって言ったらウソになる。むしろ、オレは期待もあるけど不安の方が大きい。何か理由は分からないけれど、成人の儀を終えるまでは村の外に出ちゃいけないって言われてたんだ。何かある、って考えるのが普通だろ?
 でも、オレはそれでも外に行くんだ。いつか外に出てみたい!って思ってたから、本当にうれしい。いきなりでびっくりしたけど……オレは、このチャンス……って言っていいのかな、はきちんとモノにしたいんだ。
 だから、マズイ事をしないようにしないと、って思ってる。
「誰だってはじめから全て分かってるようなヤツなんていないさ。少しずつ学んで行くんだ」
 そんなオレの気持ちを見透かしたみたいに、ジャンさんは言う。何だろ、兄さんもそうだったけど、ジャンさんも……お見通し、ってやつかな?
「だから、気負う必要はないさ」
 そう言うジャンさんの目は優しくて、オレはなにも考えずに頷いてた。

「とはいえ、この村がどれだけ都から離れているかと言うと、馬の足でも数日かかる上に、今夜は多分野宿だな」
 そうからりと言うジャンさんに、オレは思わず食いついた。
「都まで遠いんですか?野宿なら得意です!都ってどんなところなんですか?」
「リトくん、落ち着くんだ。まだ時間はある。それにそろそろ、君の知る世界は終わるよ」

 そう言われて、オレはぐるりと見回した。そこは確かに、オレ達が兄さんやジャンさんを待っていたところだ!
「……ほんとだ」

 馬たちの足は、ちょっと長く生えた雑草の中を進んでいく。その目印の小さな立て看板を通りすぎる。



 オレの知ってる世界は、ここで終わった。ここからはオレの知らない世界。オレの、冒険ってほど凄いことじゃあないだろうけど、「冒険」は、今、ここから始まるんだ!



 ジャンさんの後に続いてオレもサニーの足を進める。看板を通りすぎてそのまま少し行くと、オレはサニーの足を止めた。もう、看板が見えなくなる。
 振り返るのはこれが最後。だって、オレは帰ってくる。だから。
「いってきます」

 オレは、故郷を後にした。

「それでジャンさん、都ってどんなところなんですか?」
 オレはジャンさんに並びながら聞く。時間はいっぱいあるって言われたから、オレは質問をひとつだけにした。

「どうって……そうだな、人も物も集まる場所だ。大きな通り……多分、リトくんが知ってる通りよりも全然広いよ」
「へええ……ど、どれぐらい広いんです?」
 頭のなかに村の道を思い浮かべる。馬車は通れない(トムの家にある大きな荷台の馬車は絶対むり)から、馬車は余裕で通れるんだろうけど……。
「そうだなぁ……馬車がすれ違っても人が安心して通れるだけの幅があるかな……」
「えっ、そんなに?す、凄い……」

 少し考えながらジャンさんが言った言葉は、オレの想像を軽く越えてきた。凄いぞ、オレ、そんな道があってその両脇に大きな家があって……それってまるで。
「本の中の世界みたいだ……!」
「あははっ、大袈裟だな」
 ジャンさんに笑われた。オレは面白くない。別に同意して欲しいとかそういうのはないけど、なんか、バカにされた気分。
「リトくん、むくれるなよ」
「だって、本の中でしか見たこと無かったんだ……」

 あんなに小さな村なのに、塔にある図書館にはそれなりに本の分量はあったんじゃないかと思うんだ。……もちろん、比べる先は無いからオレの勝手な感想なんだけど。
「でもリト君、これからそういうものが増えるよ。本の中だけで知っていたものを、実際に見る事が出来るんだからね」
「そ……う、ですね」
 そうだそうだ。こんなことでびっくりしてたらキリが無い。だって、世界はオレの知らない事に溢れてるんだし。
 できるだけたくさんの事を見聞きして、シャムやトムに自慢しなきゃいけないからな!オレは大きくうなずいた。

 そんなオレを見ながら笑うジャンさんにはじっとりとした視線を送る。ふと、視線の先に見えた平原に首を伸ばした。
「ここって、本当に平原が続いてるんですね」
「そうさ、教科書にも書かれてるじゃないか。風族の大地は風が駆け抜ける大地。平原に身を置き、風と共に生活する、民……ってさ」
「そうですけど……なんか……オレ、実感なくて」
 ほら、オレの村の周りには里森が広がってるから……何て言うか、森って感じがするんだよなー。

「リトくんがいた村は確かにそうかもしれないな」
 ちょっとその様子を思い浮かべたのか、ジャンさんが頷く。それにオレは「でしょ」って意味を込めて頷いた。
「でも少しでも村を出れば、この風景が広がっているのさ」

 さっと片手を平原の方へと向けるジャンさん。かっこよく決まってるなー。……じゃなくて。
「そうなんですね、いろいろ知らない事を勉強しなくちゃ」
 だって、オレが知らない事が多いのはしょうがないけど、それはこれから挽回できるわけだし。
「リトくんのそういうところは素直にエライなと思うよ」
「そうですか?」

 なんか照れるな。あはは、とか照れ隠しで笑いながら言えば、ジャンさんの笑顔は何か嬉しそうだった。

 街道を進みながら、オレはジャンさんにいろいろ質問した。街には大きな噴水があるとか(噴水も本の中でしか知らない事だ!)街では建物が沢山あるとか。人が沢山いるんだろうな、って事は思ってたから家もたくさんあっておかしくない……とは、思ってたんだけど。
 まさか、街の中で迷子になる事もあるからね、って言われるとは思わなかった。
 だってさ、迷子って森とかで自分がどこにいるのか分からなくなる事だろ?街みたいに目印が沢山ある所で迷子になんかならないですよ、ってオレが言ったら。

「リトくん、君が夢中になって何かを追いかけているとしよう。追いかけっこを繰り広げている森は、君にとっては庭みたいなところだ。それでも君は迷子になる可能性がある。村への帰り道が見つからない、自分がどこにいるのか、定かじゃない……たとえ目印となる物が多くても、それを見ていなければ意味が無いんだ」
 って、言われた。それをかみ砕くこと数分、オレはああ、って理解したんだよな。
 何かに夢中になっている時は、周りの事が見えていない時。そんな時は自分がどこをどう歩いたのか走ったのか、そんなの覚えて無い。だから、迷子になる。
 ……って事だよな、多分。見ていてもその目印が動いてしまえば役に立たないし。

 街はまだどういう場所か、それは本の中の事しか分からないけれど。そうか、分かっている事に置き換えて考えてみればいいんだな、ってオレは思ったんだ。

「ところでジャンさん。大分夕焼けになってきましたよ?」
 今日は赤とらの5日。春になったっていっても、まだまだ寒いし、暗くなるのも早い。あ、これは何でだっけ?……たしか、太陽が動く場所が季節によって違うんだよな。とりあえず、まだまだ寒いって事と暗くなるのが早い。から。
「そうだね。そろそろあの森でキャンプでもしようか」
 少し行ったところに見える森で、オレ達は夜を明かす事にした。



2016.1.31 掲載