1.風族のリト…9



 全員が一堂に会して座る。その場に最後に入ってきたリトがいぶかしげな視線をキイスに投げた。
「父さん、終わったけど……どうしたのさ?」
 呼んだ父に聞けば、キイスの視線はジャンへと動く。それを敏感に見て取ったリトは、自分も視線をジャンへと動かした。
「ジャンさん?」
 少年の薄水色の瞳に湛えられた好奇の光と戸惑いの色に、ジャンは大きくため息をついた。

 ひた、とジャンはリトの事を見つめる。そのジャンの静かな瞳にリトはわずかに身じろいだ。視線を隣に座る兄と向かいに座る父へと送る。それに気が付いているはずなのに、2人はリトとは視線を合わせようとはしない。その様子にリトは余計に不安を募らせながら、ジャンに改めて視線を送った。
 見つめるジャンの目を見返すリト。彼の目には、12歳とは思えない気概が映し出されている。

(参ったな、これは……隊長から聞いていたけど、本物だ)
 自分の目でリトの眼差しを確認し、小さく息を吐くジャン。そして、彼は意を決した目をして頷いた。

 ジャンの銀の目とリトの薄水色の目の視線がかち合う。そのまま、ジャンは口を開いた。
「リト君、俺は君を迎えに来たんだ」
 リトの目が驚きに見開かれる。迎えに来ると言われても、彼には何の心当たりもない。
「何、言って……」
 呆然とつぶやかれたその言葉が終わる前に、ジャンは言葉を紡いだ。

「リト君……いや、リトリム・ラヤ。君は子供和平構築団の風族代表に選ばれた。俺は君を王都に引率するためにここに来たんだ」

 リトは、その言葉に固まった。ぽかん、と口を開いて。一体何があったのか、それを把握できない状態で。けれど、彼は同時にジャンが嘘を言っていない事を悟っていた。父親も兄も何も言っていない。つまりそれは、事実なのだ。
「な、何……」
 わずかに声が震える。リトには突飛すぎて、それが例え事実であったとしても実感が無い。
「何言ってるのさ、ジャンさん……。なんでオレ?オレみたいな田舎の奴じゃなくて、もっとうってつけの奴が国中探せばいるんじゃないの?」
 はは、と乾いた笑いがこぼれ出る。リトはそこまで言ってから口をつぐんだ。ジャンの目が、キラリと光ったからだ。
「俺にも理由は分からない……けれども、決まったことなんだ」
 静かに返されるジャンの眼差しを受けてリトはさらに言い募ろうとした言葉を飲み込んだ。だが、その瞳は不安に揺れる。そのリトの顔を見たジャンは、ふっと力を抜いて口元に笑みを形作った。
「大丈夫だよ、リト君。君が話すのは君と同じ年代の子供だし、俺みたいな軍人も護衛として着いて行くんだ。だから大丈夫さ」
 やわらかい瞳の色に、リトはむ、と唇を尖らせた。その顔は真剣に考え込んでいる。眉間にしわを寄せたり唸り声をあげたりしながらも瞳に力を込めてきゅっとジャンの事を見つめた。

「……やっぱり、納得出来ない。オレ、別に頭がいいわけでも運動ができるわけでもないよ?何で、オレ……なんですか?」
 視線と視線が絡みあう。その目を見てジャンはしばし、じっと考えた。

「強いて言えば、リト君。君のその風族たるところではないかな?誰よりも風を操る力が秀でており、その身に風を受けるのが当たり前、という……君のその性質があるからではないか……と思うよ」
 優しい眼差しを向けるジャンに、リトは肩の力をふっと抜いた。

「そっかー……」
 天井を仰ぎ見ながら言うリトに、ジャンをはじめとした彼を見守っていた大人たちも緊張をわずかに緩めた。彼の頭の中で何が行われているのか誰にも分からないが、おそらく、リトなりに納得のいく理論を組み立てているのであろうことは簡単に想像がついた。

 ゆったりと時間は過ぎていく。大人たちは、誰一人としてリトを急かさない。これは、彼自身が納得する必要があることだからだ。
 しばらくすると、リトがすっと顔をジャンに向けた。その目には、理知的な光が宿っている。そして、口を開いた。
「うーん、分かったよ。オレが行くことに関しては、もう決まってることなんでしょう?それを今更、変える事は出来ないわけで、何か理由があって王様たちが考えた事なんだから……オレ、行きます」

 しっかりと、ジャンの目を見ながら言い切るリトに、ジャンはホッとした様子で頷いた。
「合意してくれてありがとう。……これからよろしくな、リト君」
「はい、オレこそ……これからよろしくお願いします、ジャンさん」

 頷き合う青年と少年を見るキイスの顔は穏やかで、コルトもリトに笑顔を向けた。
「ああ、そうか。昨日話してたのって、これ?」
 父親に向き合いながら質問を零すリトにキイスは曖昧に笑いながら口を開いた。
「まあ、これもそうだったんだが……もう1つな。今度は私からお前に言わないといけない事がある」
 真剣味を帯びたキイスの声に、リトは疑問を感じながらも父親の方向に向き直った。
「何、父さん?」

 キイスはしっかりとリトの薄水色の瞳を見つめる。そして彼の淡い藤色の瞳がゆっくりと1回、瞬きすると唇が動いた。

「リト、お前とコルト、それに私は、血がつながっていない」

 リトの表情筋が、すべて活動を放棄した。
 あんぐりと開いた口。大きく見開かれた目。そのピクリとも動かない筋肉。その、声すらも出てこない様子に、キイスは小さく小さく、吐息を吐いた。

「そ……」
 わずかに、リトの口から音が漏れる。それを皮切りに、彼の顔は、元のように動き出した。
「そんなこと!いきなり言われて信じる事が出来るわけないだろ!?」
 ソファから立ち上がりながら言い切るリトに、キイスは困ったような目を向けた。
「だが、そうなんだ」
「そう言っても……!だったら!何で今まで黙ってたのさ!」

「父さんには、父さんの事情があるんだ」
 怒るリトに淡々と言葉を紡いだのは、コルトだ。その、風族にしたらば色が濃い灰緑の髪をがしゃ、とかき混ぜながら言葉を続けた。
「王都の役所で、確認してきた。父さんに子供はいない。養い子なら、俺とお前の名前があるけどな」
 その裏付け、とでも言わんばかりに一枚の紙がリトの前に突き出される。複写、と大きく書かれたその紙の中にあるのは、キイス・ラヤの戸籍だった。彼には兄がおり両親は他界していること、そしてキイスには婚姻歴はなく、養い子は2人……と書かれている。

 まぎれもない、動かせない事実だった。

「……じゃあ、オレの本当の両親は?」
 小さく、音がほとんどない状態で呟かれた疑問に、キイスは苦虫を潰したような顔と蛙を潰したような声で答えた。
「……すまない、リト。私は……それに対する答えは、持ってない」


 一気に部屋の空気が重くなった。重たい沈黙の中、リトは自らのルーツを考え始める。その時。
「見つければいい」
 するり、とコルトの言葉がリトの耳に届いた。
「え?」
「見つければいいだろう?それこそ、お前の名前は国中に知れ渡ることになるんだぞ。まっすぐこの村に帰ってくるものいいかもしれないけど、その前に国中を探せばいいじゃないか。……お前には、それをするぐらいは許されるべきだろう」

 言い切るコルトの言葉に、破顔したのはリトだった。
「うん、兄さんの言う通りだ。そうだよな、少しぐらいあちらこちら見て回って調べても、いいよな」
 大きく頷きながら笑みを見せたリトにコルトはやわらかい笑顔を向ける。
「当たり前だ。それぐらい、許してもらえるように王様たちにお願いしておけ」
 あっけからんと言うコルトの言葉に、ジャンもキイスも乾いた笑いを吐き出す。そういう事をさらりと言い切るのも、コルトがコルトたる所以だった。

「なあ、兄さんの事は兄さんって呼び続けていいんだよな?父さんも父さんで、良いんだよな?」
 念を押すように確認するリトに、コルトもキイスも、そろって頷いく。2人の顔は、満面の笑顔が張り付いていた。



2015.3.1 掲載