1章:妖精のルール…4



 その後夏美は秋菜と春菜に連れられて屋上にやってきた。秋菜と春菜の2人は一足先に階段を上りきり、先に外に出ている。その後を追いかけて屋上に出た瞬間、夏美は思わず足を止めた。
「え……」
 前方を見つめながら絶句している夏美に向かい、秋菜がやや肩を竦めた後に後ろを振り向き呼びかけた。
「梅野さん、いろいろ不思議かもしれないけど、とりあえずこっちに来なよ。扉の前に居たら迷惑だしさ」

 その最後の言葉で夏美は自分が今まで扉を開けたところで立ち止まっていたことに気が付く。いまだにドアノブも握ったままだ。夏美は慌ててドアノブから手を放すと秋菜と春菜がいるところに向かって小走りで向かった。
 夏美が自分と春菜との間に座ったことを見届けてから秋菜は口を開いた。秋菜が話し始めると同時に春菜は持っていたお弁当をそれぞれの前に置いていく。
「まずは梅野さん「あの」
 秋菜が口を開いたところで間髪入れずに夏美がそれを遮った。
「どーしたの?」
 皆の分の弁当を配り終わり、1人で弁当の箱を開いて食べる準備を万全にしていた春菜がきょとんと夏美を見る。
「呼び方なのですが、夏美、で結構です。秋菜さん、それに松葉さんも名前で呼んでいただけませんか」
「えー! あたしだけ苗字!? やだよ、それ! あたしも春菜にして!」
 夏美からの提案に春菜が飛びつく。疎外感を感じたのか口調も勢いと同じく少々きつくなった。それを受けた夏美はちょっと思案した後、頷きながら口を開いた。
「わかりました、春菜さん」
 名前の後の「さん」に少々顔をしかめたものの、春菜は次の瞬間には笑顔になり頷いた。

「ところで春菜。デザートは?」
 夏美と春菜のやり取りの間にお弁当に手を付け始めた秋菜が足りないものを目ざとく見つけ、買ってきた春菜に尋ねた。
「おっといけない。今日はフルーツだっていうからてきとーに選んできたんだよね。えっとね、これが秋菜。それで、これが夏美の」
 へへへ、と笑いながら春菜がそれぞれに果物のパックを手渡す。そしてそのとき夏美は初めて弁当のふたを取った。
 この弁当の中身は当然のことながら他の2人とも同じで、幕の内弁当のようにいろいろなものが入っていた。夏美は春菜が手渡したフルーツに視線を移す。これは3人とも違うようで、春菜はブドウ、夏美はオレンジ、そして秋菜はリンゴを受け取ったようだ。
 自分の弁当の観察が終わったのか、ようやく箸を手にする夏美。それを見た春菜が焼き鮭を切り分けながら秋菜に声をかけた。
「で、秋菜。説明するならしないと、時間終わっちゃうよ」
「そうだね。夏美、食べながら話をしよう」
「わかりました」
 頷きながら夏美はご飯を一口、口の中に入れた。

「まずは〜、やっぱり空?」
 春菜が先程の夏美の行動を思い出しながら尋ねた。そうしながらも箸は弁当のポテトサラダを口に向かって運んでいく。
「えっ。……、そうですね」
 夏美は不意を突かれたからか、一瞬返事が遅れたが静かに同意を示す。
「ま、そうだよね。教室の中からは普通の青空に見えるわけだし」
 うんうんと1人で頷く春菜をよそに、おかずである焼き鮭をほぐすのに苦労していた秋菜が不意に顔を上げて夏美の方を向く。そしてまだ頷いている春菜を横目で眺めた後小さくため息をつくと夏美に声をかけた。
「夏美、ここではこの空(と言いながら上を指す)が普通だから」
 今一つ理解できていない、ということを軽くしかめられた眉で示した夏美に秋菜は言葉を続けた。
「ここに、フェアリー・ワールド・スクールにたどり着く前に誰か「ヒト」にあったでしょ? そのとき空がどうだったかは覚えてる?」
 その秋菜の問いかけにちょっと思い出そうとする夏美。だがわずかな時間の後、ゆっくりと首を振った。
「ま、そうだよね。あの時から空は赤黒いんだよ」

秋菜の言葉に夏美は上空を振り仰いだ。暗い赤色をした空に、漆黒の雲が流れていく。決してきれいなイメージを抱くことができない構図だった。無言で空を仰ぎ見ていた夏美は唐突に顔の向きを元に戻すと今度は秋菜に向かって質問をした。
「では、なぜ教室からは「青空」が見えたのですか?」
 それはもちろん当たり前な疑問だ。教室から見えた空は確かに青かった。だからこそ屋上に出てから立ち止まったほど驚いたのだ。
 しかし、そんな当たり前な質問なのだが秋菜と春菜は弁当を食べる手を止めてお互いの顔を見合わせた。
「なんでだろ? あたし知らない。秋菜は?」
「うーん、魔法ってことぐらいかな。竹中ならもっと詳しく知ってそうだけど」
 はっきりしない2人の物言いに、キョトンとする夏美。彼女にとっては当然の疑問だったので答えがすぐに返ってくると思ったのだ。これは竹中という人物に聞いてみるのが一番いいかもしれない、と内心小さな決意をすると、まだ悩んでいる2人に声をかけた。

「とりあえず、魔法がかかっているから青空に見える、ということで十分です」
「そう?」
「そんなもんだよね、うん!」
「はい」
 確認を取る秋菜ににっこりと笑いながら同意する春菜。そんな2人に微笑みながら夏美は頷いた。
「では、質問を変えてもいいですか?」
 夏美がちょっと表情を引き締めて問えば、春菜も秋菜も食事を続けながらもうなずく。
「さっきの食堂での質問と同じなのですが……、ポイントについてと、ポイントがなくなったときのことについて教えてもらえませんか」

 一瞬目を瞬かせた秋菜はうなずいて口を開いた。
「さっき簡単に春菜が説明してたけど、名札にポイントが加算される、ってとこまでは良いかな?」
 ここで一度口を閉じ、夏美が頷くのを確認してから秋菜は口を再び開いた。
「基本的にポイントがなくなったら『帰る』んだ。だけど、私たちにそれはないからなぁ」
「えっ、どういうことですか?」
 秋菜の台詞に夏美は間髪入れずに反応する。『帰る』ということがつまり、今まで生きてきた世界に戻ることを指している、ということは夏美にも理解できた。しかし、それが「ない」とはいったいどういうことなのか。
「そのままの意味だよ。私たちが『帰る』ことになるとしたら、それは世代交代が終わった直後か卒業のタイミングぐらいじゃないかな。それ以外で『帰る』ってことはないし、世代交代の終わった直後でも、卒業後でもほんの一握りの人しか『帰れない』のよ」

 事実だけを説明した秋菜が夏美を伺うとより一層眉間にしわを寄せて考え込んでいる。そして小さくこぼした声を秋菜は聞いた。
「なぜ?」
「だって、美奈子先生クラスは妖精として選ばれてしまった人たちのクラスなんだ。だからポイントがなくなるってことはほぼありえないんだ」
 小さな声で思わず出たつぶやきを拾った秋菜の方を見て、夏美はいまいちわからない、という顔をした。その夏美を見て、春菜が付け加えるために口を開く。
「えっとねー、あたしたちの血にはどこかで妖精の血が入ってるんだって。血がつながってて、しかも力に覚醒しちゃってるから、あたしたちが『帰る』となるとなんかめんどくさいことしないといけないんだって」
「はぁ。その、私たちの祖先のうち、だれが妖精だったかというのはわからないのですか?」
「うーん、基本的にはわからない……かな。それはあたしのおばあちゃんかもしれないし、もっと遠いおじいちゃんかもしれない。でもほら、別に妖精だからって見た目が変わるわけでもないし、羽さえなければ普通の人と同じだしさぁ。……あたしが言ってること、あってるよね、秋菜?」
 説明をしながら自分も少々混乱してきたのか、春菜が秋菜に確認を求める。秋菜は弁当を食べ終えてリンゴに伸ばしていた手を止めて代わりに少し考え込んだ。
「え、うーん。あってる、よ? 誰が妖精だったか、なんて今居る妖精たちが知ってることなら、話は別なんだけどね。……どう、わかった?」

 軽い口調で最後に付け加えた秋菜に夏美はうなずいた。秋菜はリンゴをしゃり、とくわえながら口を開いた。
「ほかにもいっぱい質問あると思うけど、あと1つぐらいなら答える時間があるかな。何かある?」
 秋菜の問いかけに夏美は本当にわずかだけ考え込んだ。そして神妙な顔をして口を開いた。
「では、もう1つ、いいでしょうか」
 その問いかけに秋菜はリンゴを食べながら、春菜は最後のおかずを食べながらうなずいた。
「ここが2つの世界の狭間の“場”であることはコンロさんから聞いたのですが、あのコンロさんはいったいどのような人なのでしょう?」

 一瞬、完全な沈黙がそこに訪れた。春菜も秋菜も押し黙り、じっと夏美のことを見つめる。夏美が少し慄いていると秋菜が口を開いた。
「コンロみたいな人はこの狭間の“場”の番人で、案内人だよ」
 重苦しい沈黙を掻き消そうという秋菜の声に呼応するように春菜の明るい声がその続きを受け継いだ。
「あたしたちの逆なんだ。妖精なんだけど人間に近すぎたヒトたちなんだよね。そーゆー人たちもこの“場”に囚われるからさ〜。そしたら案内人になるんだよ」
 夏美はこの情報に心底びっくりした表情を浮かべている。そして納得はできていないようだ。そして何かを考え込んでいるようではあった。しかし、そんな様子の夏美を無視するかのように春菜が勢いよく立ち上がった。
「そろそろチャイムなるよ〜。教室に戻ろう」
「そうだね。夏美、まだ質問はたくさんあると思うけど残りは放課後に聞くからとりあえず教室に帰ろうか」
 夏美が釈然としないながらも頷きながら立ち上がったとき、ちょうど予鈴と思われるチャイムが鳴り響いた。



2011.12.3 掲載
2013.5 一部改稿