1章:妖精のルール…5



 キーンコーンカーンコーン

 生徒たちが待ちわびていた、授業の終わりを告げるチャイムが学舎中に響き渡る。それと共に、はぁ〜、という生徒たちの安堵のため息も聞こえた。
「はい、今日の授業はここまで! 皆さん、お疲れ様」
美奈子先生はそういい終わるとすぐに教室を後にした。

「いつもこんなに遅くまで授業をやっているのですか?」
 早々に教室から立ち去る先生を律儀に眺めてから夏美が疲れをにじませた声で隣に座る秋菜に質問をした。確かに、外は暗くなりもう夜に入ろうかという時間である。一般の同年代の子供たちはすでに夕食を食べ始めている者がいたとしても不思議ではない時間だ。苦笑というのが一番適している表情を見せた秋菜はゆっくりと夏美を見る。
「まさか! 週に1日だけ、こんな風に長い授業の日があるんだよ。あとは割と普通の時間に終わるから、安心していいよ」

 その、“週に1日だけある”授業の長い日が初日にぶち当たる自分に何とも言い難い複雑な気持ちになりながら夏美は春菜に話しかけようと斜め後ろを伺う。そこではじめて、とある異変に気が付いた。
「春菜さん……、どこに行ったのでしょう?」
 まるで音など立てずに席を立って出て行ったのだろうか、と自分の記憶を探り始める夏美をよそに、秋菜は鞄を取り出して片づけを始めている。夏美のその様子に倣い、片づけを始めようとするがやはり気になってしまうようだ。その様子を見かねたのか、秋菜が口を開いた。
「春菜ならいつものクセ。治らないのも百も承知だからほっといても大丈夫。それよりも夏美、部屋に帰る前にご飯食べてっちゃおう」
 おおよそ友人が言う言葉に聞こえなかった夏美は大きく目を見開く。そしてその言葉尻にある諦めにも似たような感情に、夏美はこの春菜の不在は決して珍しくないものであると認識した。それでも良心がとがめるのであろう、迷うようにきょろきょろと周りを見回す夏美を、通路を挟み斜め後ろから見ていた志希は小さくため息をつきながら口を開いた。
「松葉がどこに行ったのかだいたい見当ついてるから声掛けとく。だから梅野さんは花井と飯に行きなよ」

 「悪いなぁ」という感情が顔に出ている夏美と「早く行け」という感情が表情として出ている志希の無言の攻防で、結局折れたのは夏美の方だった。
「わかりました。ぜひお願いします」
 ぺこりと志希に向かって頭を下げた夏美はこの一部始終を一度も口をはさむことなく見守っていた秋菜に顔を向けた。
「お待たせしました、ご飯に行きましょう」
 その言葉に秋菜は笑顔で軽く頷くと志希に会釈だけして教室を後にした。

「お昼とはやっぱり違いますね」
 秋菜と夏美は昼間と同じ食堂にやってきた。当たり前なのだが昼とは様子が違う食堂に夏美は素直な感想をこぼす。
「夜の方が時間的にも余裕があるからね」
 からからと笑いながら秋菜が答えた。確かに、昼の休み時間に比べたら夜の方が長く食堂も開いている。夏美は入口のわきに置いてある看板に書いてある時間を確認した。
「21時まで、って結構遅いですよね」
 夏美は軽く秋菜を振りかぶりながら尋ねる。すると秋菜もちらりと看板を一瞥し、視線をメニューに戻しながら口を開いた。
「それは当番とかになってる人たちもいるからだよ」
「……当番、ですか」
「そう。学舎の掃除とか、グラウンドの片づけとか、先生の手伝いとか。いろいろあるけど、こうしてお昼の時に言ってた“ポイント”を手に入れてる人たちもいるんだ。そういう人のために、ね」
 昼間、弁当を食べながら説明してもらった内容を簡単に思い出しながらそうですか、と返す夏美。それを横目で見ながら秋菜は食堂の中に入っていく。
「あ、秋菜さん」
「メニューは中にもあるから、中入っちゃおう。それに場所とっとかないと」
「そうですね」
 秋菜に現実に戻された夏美は慌てて秋菜の後を追った。

「おばちゃん! 私ナポリタンとリンゴサラダ」
 荷物で席を確保してから秋菜はカウンターに向かった。それについていく夏美を、食堂に居る生徒のうち何人かは珍しそうに眺めている。しかし、秋菜はどこ吹く風、という感じで歩いていき、その秋菜についていくのに一生懸命な夏美は全く気が付かない。そのまま秋菜はさらっとカウンターにいた食堂の女性にオーダーを入れた。
「はいよ。あんたは?」
 さらさら、とメモを書いていく女性は夏美に尋ねる。夏美は答えようとしてその女性を見て、言葉を失った。
真正面から見たその女性は実に不思議な雰囲気と一風変わった色合いの目をしている。割烹着を着て、食堂で働く一般的な中年の女性という雰囲気とまるで豪華なドレスを纏う、うら若き姫君のような清楚で大胆な雰囲気が混ざったかのような。見る角度によって色がキラキラと変わっていく目も神秘的な雰囲気を足していて。夏美は自分が誰に何の質問をされたのか認識できていなかった。
「夏美、何食べるの ?」

 夏美を現実に引き戻したのは秋菜の一言だった。はっ、と我に返るとメニューを再確認する。それをしょうがない、と言いたげな顔で見守る秋菜。そして夏美は食堂の女性の目を見つめながら口を開いた。
「私は中華丼をお願いします」
「はいよ」
 そして何かをまたメモ書きするとナポリタンを持って出てくる。よく見るとほかに2人ほど同じように不思議な雰囲気を持った人々が厨房にいた。
「はいナポリタン。リンゴサラダはちょっと待ってな」
 秋菜のトレーにナポリタンを乗せながらその女性は声をかけた。
「ところで、このわしに見とれるってことは、あんた転入生かい ?」
 中華丼を乗せるためのごはんだろうか。どんぶりに白米を盛り付ける手元を見ていた夏美は急に話を振られてしどろもどろになる。
「は、え、は、はい。今日からお世話になっています」
 何とか挨拶を言うとぺこりと頭を下げる夏美。その様子に気をよくしたのか女性が微笑む。すると、急に女性の周りが陽だまりになったように暖かくなるのを夏美は感じた。
「そうかい。今度好きなものを教えな。作ってあげるよ。それと、これはおまけね」

 ぱちり、と小さくウインクをしながらカットフルーツを中華丼に添える女性。その時の雰囲気はまるで同年代の友達に合図を送る少女のようで。夏美はあまりの可愛さに、一瞬見とれるものの、言葉の意味を飲み込むと満面の笑みをこぼした。
「はい、ぜひお願いします」
 ちょうど秋菜が奥からやってきた別の女性からリンゴサラダを受け取ったことを確認してその女性はにっこりと、見ているだけで心が温かくなる笑顔で頷いた。



2012.2.4 掲載
2013.5 一部改稿