1章:妖精のルール…7



 ゆっくりする長風呂派である夏美と秋菜を大浴場に残し、のぼせやすい春菜は一足先に風呂から上がっていた。しかし直接部屋に戻るわけではなく、謹慎室の前に来ていた。この部屋は何か問題を起こした生徒を入れる部屋だ。つまり、その部屋で反省させる。その期間は生徒が受ける罰の重さにより変わり、最長だと2週間その部屋に居ることになる。授業や食事などのフォローは謹慎室専用の管理人が行うので不自由はしない。それでも他の生徒との接触は禁じられていた。
 春菜もそのことは百も承知している。それでも謹慎室に入れられた友人のことを思い出すたびにそのドアの前を訪れていた。

「ここに来ても冬美には謝れないのにな。」
 ぽつりと言葉をこぼした春菜はじっと扉をにらむ。にらんだからと言ってその扉が開くはずもなく、小さく肩の力を抜いて軽くため息をついた。
 すると、コツコツと足音が木霊してくるのが聞こえた。聞こえてくる方向に目を凝らしていると、歩いてきた人物は春菜もよく知る人物、竹中志希だった。

「竹中、どーしたのさ。」
 素っ頓狂な声を出す春菜。そんな春菜をよそに志希は春菜が前に立っている扉の前までやってくる。そしてそのまま扉の方を向く。その様子を特に何も言わずに春菜は眼を丸くしながら見つめていた。志希はそんな様子のクラスメイトには見向きもせず、ただ扉を見ながら春菜に話しかけた。
「松葉、お前は桜木に謝れるのか?」
 一瞬春菜の周りの空気が熱を帯びるがすぐに元に戻り、その雰囲気と共に一瞬はねあがった怒気も収まる。そして春菜は隣に立つ志希に向けていた顔を扉の方に戻した。そしてゆっくりと考えこむように手を顎に当てながら春菜は志希の問いかけに答える。
「正直、あたしもよくわかんない。多分冬美は・・・謝ってほしくないと思う。」
「はぁ、なんだそりゃ。」
志希がびっくりしたような、あきれたような答えを返す。そして扉に向けていた顔を春菜に向けた。それでも春菜はまだ扉を注視したままだ。
「だって、確かに暴走を手助けする形になっちゃったけどさ、あたしはただ外に出ようとしてただけだよ。学校の外に出ることは別に校則に違反してるわけじゃないし。」
 そこまで一息で言い、一度口を閉じる春菜。そしてゆっくりと続きを口にした。
「その、こんな言い方したくないけど、あたしは何1つ悪いことをしてないしさ・・・。」

 春菜には珍しく小さく消えていくような声に隣にいた志希は内心うろたえる。だがその様子をまったく表に出さずに小さく肩をすくめるだけにして春菜へ向けていた視線を扉の方に戻した。そしておもむろに言葉を紡いだ。
「まあ、な。もしオレが桜木と同じような立場に立ったら謝ってほしくないな。勝手に暴走したのはオレだ!ぐらい言うだろ。」
 志希の言葉に春菜は視線を動かす。そして淡々と言葉を紡ぐ志希に目を見張りつつも、最後の部分で険しかった顔つきが緩んだ。
「あたしはそれとほとんど同じことを言われたよ。」
 あきらめが滲むその小さな声に扉の方を見ていた志希も春菜と視線を合わせる。そして内心苦笑しつつも志希は言葉を続けた。
「まぁ、聞けって。普通の、オレたちのクラス以外の奴らにはお前が煽ったように見えるんだろうな、ってことだ。それはわかってるんだろ?」

 ぱちくり、と目を瞬かせる春菜。そしてそんな春菜を意外そうに見る志希。春菜は志希が言った言葉を反芻しているようだった。そしてゆっくりと目をつぶって呼吸を整えた後、うつむきながら春菜はおもむろに口を開いた。
「もちろん、それはわかってるよ。だから・・・。だからどうすればいいのか分かんなくなってる。」
 普段の春菜からかけ離れた気弱な様子に意表を突かれながらも、志希は口を開いた。
「今日は音楽室でそのことを考えたのか。」

 パッと志希の顔を見上げる春菜。その視線に居心地の悪さを感じたのか少し身じろぎをする志希。そんな志希を見て春菜は視線を謹慎室の扉に戻した。
「それもあるけど、夏美のことも考えてた。」
「へぇ、お前が。」
「あたしだって考え事位するよ。主にどっかに行ってるときに。」
「そか。で、なんで梅野さんのこと考えてたんだ?」
 話の路線がそれてしまいそうになったところを慌てて修正する志希。その問いかけに春菜は軽く頷いた。
「冬美は妖精界(フェアリー・ワールド)に行きたい。秋菜は自分のおばあちゃんの正体を知りたい。あんたは・・・。」
「行方不明の父親を探したい。」
「うん。あたしは普通の生活に戻りたい。」
 そこでうん、と頷く志希。そして春菜に問いかけた。
「つまり、何が言いたいんだ?」

 はぁ、と軽くため息をついて春菜はいつもの強いまなざしを志希に向ける。そして反射で居住まいを正している志希を余所にそのまま言葉を発した。
「あたしたちはみんな、どこかの時点で“転校生”だったんだ。でもここに来た時から、この“狭間の場”に囚われてから、何をしたいのかよくわかってた。それに見合うだけの何かを積み上げつつある。でも夏美にはさ、そういう何かを感じないんだ。」

 今度は志希があからさまに大きなため息をついて思わず体中に溜めていた力を開放して脱力する。そして軽く春菜を小突いた。
「いたっ。」
「別にそれで普通だろ?何が問題なんだよ?」
「だって、美奈子先生は秋菜を指名したし。」
「あのな。オレ達が変、なんだろうが。そこまで悩むことか?」
 軽く返してきた志希に春菜は取り合わなかった。
「冬美が感情のコントロールができないことは知ってるよ。あたしが今回の引き金を引く手助けをしちゃったみたいだ、ってことも。・・・そんな冬美に対して全部感情をコントロールしちゃってる夏美に怒りを覚えるぐらいには、ね。でもさ、もしかしたら夏美はそのために居るのかもしれないな、って思ってさ。」

 軽い沈黙が流れた。志希のしぐさや醸し出す空気から考えていることはうかがえる。それでも、もともと掴みどころがない性格だからかわかりにくいことも多々あるのも事実。さらに自分から話を振ったので春菜は辛抱強く待った。

「お前何言ってるのか分かんねぇよ。」
 たっぷり5分近く考えてから志希は匙を投げた。
「桜木がここから出てくるまであと5日あるんだろ?それまでよく考えたらどうだ?お前がここんとこ変なのは桜木がここに居るから、だろ?」
 それだけ言うと志希は廊下を元来た方へ歩き出す。ぽかん、としている春菜を残してどんどん歩いていく志希の背中に我に返った春菜が声をかけた。
「竹中!」
「なんだよ?」
 面倒くさそうに立ち止まり首だけ後ろに回して様子をうかがう。すると、笑顔で頷く春菜がいた。
「ありがと!少しまとまってきた!」
 そうお礼を伝える春菜に志希は片手をあげて答えながら歩き去って行った。



2012.4.1 掲載