1章:妖精のルール…8



春菜が部屋に戻り部屋着に着替え終わる頃、秋菜と夏美が部屋に戻ってきた。2人とも髪の毛が長いから大変だよな、と春菜は内心思う。ドライヤーがあまり好きではない春菜は好んでショートヘアに保って、日々ドライヤーを使う秋菜や夏美を内心感心していた。
そのようなことを考えていたとは全く顔に出さずに春菜は部屋に入ってきた2人を迎えた。
「おかえり。夏美も何か飲む?」
 部屋に備え付けられている簡易冷蔵庫からリンゴジュースの紙パックを秋菜に手渡す春菜。そしてくるり、と夏美の方に向き直って改めて夏美に尋ねた。
「サンキュ、春菜。」
 リンゴジュースを受け取りながらタオルをハンガーにかける秋菜。一方、いきなりの質問に一瞬反応が遅れる夏美。
「え、えっと、お茶ってありますか?できれば麦茶とか。」
「うん。あるよ。」
 春菜は答えながら冷蔵庫から麦茶を取り出し、冷蔵庫の上に置かれていたマグカップを手に取った。
「あれ、これが夏美のであってる?」
 秋菜のものでも、ましてや自分のものでもないマグカップは消去法で夏美のものでしかない。それでも、一応確認を入れた。
「あ、はい。そうです。」
 夏美の秋菜に倣い、ハンガーにタオルをかけながら春菜の手元を見てうなずいた。
「それで夏美は聞きたいこと聞けたの?お風呂で秋菜がいろいろ話してたみたいだったけど?」
 コポポ・・・と麦茶をピッチャーからそそぐ春菜。視線はそそがれる麦茶に向けられているが声は背後に居る夏美に向けられた。春菜なりに夏美との会話を引き出そうとしているようだ。
「残念だけど、お風呂じゃ目と耳がありすぎてそんなことできないよ。」
 片づけが終わったのか、秋菜は自分のベッドに腰掛けながら口を開いた。
「え、何 !?じゃあ秋菜は部屋まで何にも話してないの!?うっそ!」
 春菜は驚きながら目を見開く。そうしながらも手は注ぎ終わった麦茶の入ったマグカップを夏美に手渡した。これからまだ多くの話が繰り広げられると分かると、春菜は2人が戻る前から飲んでいた、飲みかけのコーヒー牛乳を手に、机から椅子を引っ張ってベッドの近くまで持ってくる。椅子の背を抱え込むように座ると顎を背に載せながらコーヒー牛乳を飲んだ。
「んで、あたしは何をするべきなの ?秋菜が話すんでしょ?」
 顎を椅子の背に乗せながらけだるげに声を出す春菜。その様子に秋菜はくすり、と小さく笑った。
「春菜は付け足しが必要な時に付け足してくれればいいよ。私が説明するから。」
 最後の部分の前に小さく息を吸い込んで意を決した秋菜の声に、自分に割り当てられたベッドに腰掛けている夏美の背筋もすっと伸びた。
「ラジャー。んじゃ、夏美、質問をどーぞ。」

 ノリの軽い春菜の一言から先を促された夏美はいくつか思いついた質問のうち、まず大前提となっている内容を確認することにした。
「ここはどこなのですか?」

 重い沈黙が秋菜と春菜の間に落ちる。その沈黙は何を話したらいいのだろうか、と思案するような沈黙だ。その答えを待つ間、夏美も沈黙を守る。息が詰まりそうな沈黙ではあるけれども、それでも待ち続けた。
 たっぷりと時間が過ぎたころ、秋菜が重い口を開いた。
「正直、100%の正答は出来ない。私たちが知ってることはここが“場”だって言うことぐらい。つまり、ここは妖精界と、私たちがもともと居た人間界の“狭間”。」
「人間界・・・というのが、つまり私たちがいた世界なのですか?」
「うん、人間界って呼んでるよ。私達が普通に生まれて生活していた世界。夏美が今日の朝までいた世界。」
 そこまで言うと秋菜は手に持っていたリンゴジュースを一口飲んだ。そして再び口を開く。
「それでね、物理的に“どこに居ます”って言えないんだ。」

 大きなはてなマークを掲げている夏美を見て春菜がおもむろに手を上げる。それを視界の端でとらえた秋菜は春菜に目配せをした。それを受けて春菜はこほん、とわざとらしく咳をしつつ口を開いた。
「あたしたちが元居た世界、人間界にはいろんな異世界への入り口となる“場”ってものがあちこちにあるんだって。幽界への入り口、というか出入り口は幽霊が出やすいところになってるみたい。あれだね、えーっと、心霊スポット。」
 一度口を閉じ、夏美の反応を見る春菜。夏美はまだしっくりと来てはいなかったがひとまずその内容は理解したことを伝えるために頷いた。
「ここはそんな場の1つ。直接入り口を通って別の世界に行くこともあれば、ここみたいに中間の“場”を通って行くこともある。その時はここみたいな中間の“場”は“狭間の場”って呼んで、直接別の世界につながるところを“場”って呼ぶんだ。」
 夏美はここで言葉を2つ、“場”と“狭間の場”、を記憶に書き留めた。言葉を切った春菜に変わり、今度は秋菜が口を開いた。
「ここは2つの世界をつなぐ“場”って言うことはどちらにもいくことは出来る。・・・でもね、行き来しないように世界はルールを持っているんだ。」
 きょとん、と夏美が秋菜の方を向く。
「世界が、ルールを持つ?」
 ぽつりと繰り返した言葉に頷く秋菜。
「そう。そのルールに反したことは出来ない。・・・他には、そうだ。それぞれの世界に行くための切符だと思ってもいいかな。」
 少し言葉を変えて夏美のことをのぞき見る秋菜。夏美はその内容を考えながらも言葉として確認する。
「ということは、今私たちが居る、この・・・“狭間の場”はグレーゾーンで、どちらかの世界に向かうには決まりがあり、なおかつその内容を満たさないといけない、ということですか。」

 その夏美の言葉に正直春菜は感嘆した。自慢ではないが春菜自身は今一つ理解力が足りていない自覚がある。そんな自分と正反対の性質を持っている誰かを見ると尊敬の念が出てくるのだ。無条件で、どんなに嫌な奴でも。その春菜の性格はある意味、彼女がクラスメイトを敵に回していない最大の理由であった。
 秋菜は春菜が特に口を挟まないのでそのまま言葉を続けた。
「そう、大体は。問題はそのルールだよね。・・・まずは帰る方の話をしようか。」



2012.4.9 掲載