1章:妖精のルール…9



 秋菜のその言葉を聞いて、春菜は一度椅子から立ち上がる。そして飲み干したコーヒー牛乳の紙パックをゴミ箱に投げ入れた。
「春菜、ついでに紙と書くもの。」
 席を立った春菜にここぞとばかりに秋菜の声が届く。それに思わずしかめっ面を返す春菜。
「なんであたしが。」
「立ってるじゃない。私の机のノートと筆箱でいいから、取ってちょうだい。」
 さらり、と秋菜に言われた春菜ははぁ、と大げさなため息をつく。そしてそのまま肩を落としながらノートと筆箱を机の上から取り、手渡した。
「はい、どーぞ。」
「サンキュ、春菜。」
「どういたしまして。」
 特に気持ちの入っていない、うわべの返事だけをして春菜は自分が座っていた椅子に戻った。

「帰る方の話は割と簡単だから安心して。まず@妖精としての力を普通に生活していて問題のない大きさ・・・強さに下げること。A人間らしさを持ち続けること。Bある一定時間が過ぎること。」
 ここまではいいかな、と一度内容を切って確認してくる秋菜。その問いかけに、夏美は軽く頷いた。そして秋菜は先程春菜から手渡されたノートの左側に@からBまでの内容をいくつかの言葉を使って書きこむ。そして再び口を開いた。
「妖精界に行くことも初めは簡単。@妖精としての力をつけること。A人間らしさを捨てること。・・・そしてB一定時間が過ぎないこと。」
 そこまで言うと秋菜は先程のノートの右側に再び@からBまでの内容を書き込んだ。
 確かにルールとしては明確だ。片方の天秤に分銅を乗せたらばそちらに傾くように、それぞれの項目が相反している。しかし、夏美は今度こそあからさまに首をかしげた。 

その様子を見止めた秋菜は先を促した。
「夏美、どうしたの?言ってみて。」
「はい・・・。Bの“一定時間”が分からなくて。」
 あまり大きな声ではなかったが静かな部屋に響く声としては十分だったのだろう、今までの流れを傍観していた春菜が口を開いた。
「だよね。やっぱりそれが分からないよね。」
「うん、これはさ、簡単に説明できることじゃないんだよね。」
 ふぅ、と軽くため息をつきながら秋菜はこぼした。

「ズバリ、この“一定時間”は人それぞれ長さが違うの。私たちはこの“狭間の場”に捕まったわけだけどさ、その時に何かが起こったはず。捕まった時の決意や願いから、期限みたいなものを世界が勝手に決めているの。私たちには基本的に分からない。けど、必要な時を満たしたのかどうか分かるときが2回だけあって、それが卒業の時か世代交代の時なんだ。」
 秋菜はここで一度言葉を切る。夏美はもちろん、春菜もおとなしく話を聞いている。椅子の背に肘をつき、その腕で顎を支えながら春菜は親友の話を聞いていた。
「夏美、あなたは世界に何か聞かれなかった?決意は何か、とか。望みは何か、って言う感じの質問を。」

 すっと夏美の目が細くなる。つい最近のことなのにおぼろげにしか思い出せないのか、小首もかしげた。そんな様子の夏美を見ながら、秋菜と春菜は辛抱強く待った。

 数分後、夏美は何かを確かめるように瞬きをしてからゆっくりと口を開いた。
「ありました。私がこの学校を目の前にした時、急に何を望んでいるのか、って聞かれたんです。特に口には出しませんでしたが、私は“知りたい、もっと知りたい”って思っていました。」

それまで息を詰めていた春菜がほぅ、と息を吐き出す。そしてそんな息と共に口をついて言葉がこぼれた。
「そんなこと?」
「春菜 !今のはダメ。言っちゃいけないよ。」
 思わずこぼれたのであろう言葉に対して間髪入れずに秋菜の注意が飛んだ。その言葉に軽く肩をすくめながら春菜は秋菜の方に体を向けた。
「何ムキになってんの、秋菜。あーっと。夏美、ごめん。ついぽろっと口から出てた。」
 秋菜を軽くいなす口調の春菜に対し、秋菜の表情はますます険しくなっていく。その様を見た春菜は慌てて夏美に謝罪を入れた。
「まったく。人が何を望んでもそれはその人の自由だから批判とかしちゃいけない、ってこの前もやったじゃない。」
 いまだに険しい顔つきをしているものの、幾分か声色がいつもの調子に戻っている秋菜。それに春菜は口をとがらせた。
「悪かったって思ってるよ、あたしも。ただ無意識に出ちゃったんだって。」
「そのあたりまで気を付けるようになりなさいよ。」

 この春菜と秋菜のやり取りを呆然と眺めていた夏美はこらえきれずにクスクスと笑い始めた。その声に反応してまだ言葉を続けようとしていた秋菜が口を閉じた。代わりに今度は春菜が口を開く。
「いったいどうしたの、夏美?あたしたち、そんなに面白い ?」
「怒らないでください。なんだか、これが普段の2人なんだな、と思っただけです。」
「ありゃ。いつもこうなのかな?」
「さぁ。当事者っていろいろ分からないことがあるみたいだからね。」
「ううーん、そうなのか。」
 秋菜の何気ない一言に考え込み始める春菜。それを見て秋菜は話題を戻すことにした。

「でね、夏美。あと制約もあるんだけど、心当たりある?」
「・・・制約、ですか?」

 初めて聞く言葉だからであろう、少し間が開いた後に聞き返す夏美。そのオウム返しのように質問した夏美に秋菜はゆっくり頷いた。
「そう、制約。」
「ええと、制約とはなんでしょうか。」
 きょとり、と質問をする夏美に春菜はがばっと顔を上げた。
「制約はね、えーと。」
 説明を始めようとしたところで口を濁してしまう春菜。秋菜はあまり説明をする気がないのか、春菜の話すに任せている。
「ええっと、日常生活を制限してくるもの、で。私達“狭間の場”に捕まった人はみんな持ってて。」
 いかにも思い出しながらも説明をしていく春菜だったが、ここまで言うとすくっと椅子から立ち上がる。そして部屋の中をぐるぐると歩き始めた。真剣な目をしているものの、一カ所に留まるわけではなく、ぐるぐると部屋の中を回り続ける。そのある種異様な雰囲気を纏った春菜に夏美は声をかけることが出来ずにいると、いきなり春菜は机の上に置いてある鞄を手に取った。そしてそのまま部屋のドアに向かっていく。
 いきなり外に行こうとする春菜を止めるべきかどうかとおろおろしている夏美を余所に、秋菜はこうなることを見越していたかのように落ち着きを払っている。そしてドアを開いて外に出ようとしている春菜に声をかけた。
「ちゃんと時間には戻ってきなよ。」
 その声にかろうじて春菜が頷いたのを見た夏美は質問を投げかけようと口を開けかける。しかし、結局声が出る前にがちゃん、と春菜はドアの向こう側へと行ってしまった。

 ぽかん、と春菜を見送る形になった夏美はゆっくりと秋菜の方を向く。そしてまだ残っていたらしいリンゴジュースを飲みながらドアの方を眺めていた秋菜に声をかけた。
「春菜さんは、どうしたのですか?」
 夏美の問いかけにジュースを飲み干した秋菜はごみ箱に向かうためにベッドから立ち上がる。そしてゴミ箱に向かいながら口を開いた。
「うん、あれが春菜の制約。ある一つの場所に長時間いることが出来ない。ここで寝ないといけないから特に春菜は寝る以外で部屋にいる時間は短いよね。」
「え、あんなに唐突なんですか?」
「うん。どれぐらい同じ場所にいることが出来るのか、は目安にしかならない。その時その時で違うし、春菜自身にもいつ出てくるか分からない。」
 そして秋菜は備え付けの冷蔵庫に行くと、中からリンゴジュースの紙パックを取り出した。
「ちなみに、私の制約はこれ。」
「え?」
 リンゴジュースの紙パックを見ながら目に疑問を浮かべる。
「最低でも8時間に1回は“リンゴ”を口にする。」

 秋菜の言葉にそういえば、と記憶を手繰り寄せる夏美。そしてお昼のお弁当や夕食の席を思いだしてみると確かに秋菜はリンゴを食べていた。
 そのように考えながら夏美はベッドサイドに置いてあった鞄を開いた。

「でさ、お互いのためにも夏美の制約は何かな、と思ったんだけど・・・って夏美?」
 リンゴジュースの紙パックを戻し、代わりに麦茶をマグカップに入れて振り返ると、そこにはベッドの上で本(それも、渡されたばかりの教科書)を読む夏美の姿があった。

その真剣な表情と唐突な行動、さらに声をかけても薄い反応、ということから秋菜は夏美の制約に見当をつける。そして夏美をそのままにして自分の机にカップを置いてため息をついた。それでも最も重要なことは話終わったとでも言うように、気を取り直した秋菜は鞄からノートを取り出すと椅子を引いて宿題を始めたのだった。



2012.4.18 掲載