3章:“狭間の場”という事…1



 図書室に1人の少女がいる。眼鏡をかけて、長い緑色の髪を下の方でゆるく結わえた彼女は、一心不乱に本のページを捲っていた。その周囲に他の生徒の姿は無い。4人ほどが向かい合って座ることができるテーブルを1人で使用するという、少々贅沢な事態になっていた。
 どうやら他の生徒のように図書室に勉強しに来ている訳では無いようだ。その証拠に、彼女の前にあるテーブルには教科書が一冊も見当たらない。あるのは、普通に使われている大学ノートが一冊と、筆箱のみだ。

 図書室で勉強以外を行っている少女、夏美は、図書室の奥で本を読んでいた。いや、彼女にしたら、活字に目を通し始めると読み終えるまで自力で中断する事が出来ないだけではあるのだが。本人は至って真面目に調べ物をしている。この、妖精界との“狭間の場”について。
 3週間ほど前、秋菜に対して宣言したように、夏美は余った時間は図書室に通うようにしていた。必死で妖精界とこの“場”について、ヒントになりそうなことが無いか、本に没頭する。そして、自分では時間の把握すらできなくなる夏美を、ルームメイト達は苦笑を零しつつも交代で迎えに来ていた。

「相変わらずね、あなた」
 がたり、と椅子を引き、どさりと重たそうな鞄をテーブルに置きながら、迎えに来た人物は声を掛けた。
「……冬美さん。時間ですか?」
 聞いてから、ゆっくりと顔をあげる夏美。彼女の茶色い目を見つめ返しながら冬美は口を開いた。
「まだよ。春菜を探しがてら、あなたの様子を見に来たの。……それにしてもよく続くわね。どれぐらい経ったの?」
「3週間ぐらいでしょうか……」
 一度テーブルの上に本を置きながら、夏美は頭の中で日数を数えながら答えた。
「3週間も図書室に通い詰めるってどういう事よ?信じられないわ。春菜じゃないけど、あなたも変ね」
 言い捨てる冬美に、夏美は真面目な顔つきで答えた。
「えっと、おそらく、その『変』というカテゴリーに分類されなければ、私はここに来ることもなかったのだと思いますが……」
「……もういいわ」
「そう、ですか?」
「あー、もう!調子狂うわね!わたしもせっかくだしここで宿題するから、まだ読んでていいわよ!」

 ルームメイトとはいえ、他の2人よりも付き合いが短い冬美が来たことに少々戸惑いながらも、夏美はずり落ち気味だった眼鏡を元の位置に戻す。そして、せっかく本から顔をあげる事に成功したのだから、と、置かれるだけ置かれていて開かれてすらいなかったノートを開いた。

 冬美は宣言通りに夏美の向かいにある椅子に腰掛け、教科書とノートを鞄から取り出しながら夏美を観察する。夏美が転校してきた時に謹慎室に居た冬美にとって、夏美はまだ、良くわからない子、という認識だ。その状態が居心地が悪いのか、冬美は夏美の事を知ろうとしていた。
 冬美は夏美を観察しながら開かれたノートの中を見ると、ノートのページには要点のみ、簡潔にまとめている。秋菜のノートみたいだな、と冬美は感想を抱いた。最も、秋菜の場合は努力が「見やすいノート」を支えているのだが。もしかしたら、夏美はそこまで考えなくてもノートをやすやすと取れてしまう性質なのかもしれない。そんなことを考えていると、冬美は夏美がどこまで知ることが出来たのか、気になり始めた。少しの間考えを巡らせた後、冬美は夏美に声をかけた。

「……ところで、あなたはこの3週間で何が分かったの?」
「この3週間の成果、ですか?」
「まあそんなところね」
「そうですね……」

 さて、どれほどの発見があったのか……と思いながらも、さして興味を持っていないような体勢で、頬杖を付きながら冬美は夏美の事を見た。
 その間、夏美はノートをぺらりぺらりと捲っている。そして、あらかた確認が出来たのか、冬美の事を見据えた。

「“場”というのはいろいろな種類がある、という事が分かりました」
「ああ、うん。でも、それは初めに教えてもらってないの?」
「詳しくは教えて貰っていません。というよりも、この場所が“狭間の場”と呼ばれる世界と世界の間にあるのだということぐらいしか」
「……誰よ、そんな雑な説明したの?」
 冬美は夏美の言葉にあきれ返った。“場”というものを正しく理解させていないとは。様々な種類の場があり、それぞれ特性があるという事を知らないとは。その状態で、よく今までトラブルに見舞われなかったものだ、と逆に感心してしまった。
「誰、と言われると秋菜さんですが、もしかしたら私が話せない状況に陥ってしまったのかもしれないですね」
「え、どういう事よ?」
 冬美は思わず身を乗り出して尋ねた。いったい、どういうことなのか、全く見当がつかない。
「いえ……秋菜さんに説明をしていただいている最中に教科書を読み始めてしまいまして。それでその後の説明に関しては聞けずじまいに」
「ああ、なんだ、そういう事。それならあなたが悪いわね」
「そうですよね」
「間違いないわ。んで、何が分かったの?添削も含めて聞いてあげる」
 夏美は冬美のその言葉に目を一回瞬かせた後、ふわりと笑った。
「ありがとうございます、桜木さん」
「わたしだけ苗字ってのがまた気に食わないわね。名前で呼んでよ」
「……では、冬美さん」
「そうそう。じゃあ、“場”の種類について教えてちょうだい」

「はい。“場”には大きく分けて6つのカテゴリがあります。“狭間の場”もこのカテゴリに入るんですよね?」
「そうね。“場”と“狭間の場”は直接別の世界に行けるかどうか、ってだけだから、分類は同じになるわ」
「放浪する場、定住する場、条件を要する場、意志を要する場、儀式を要する場、全てを繋ぐ場……これで合ってますか?」
「本に書いてあったんでしょ?それならそれで正解よ。で、この“狭間の場”はどれになるの?」
 つっけどんに返しながらも、冬美は内心感心していた。知的好奇心は高いと認識していたが、まさか的確な本を探し当て、その中からきちんとまとめた情報として提示できるのは重要な素質であると認識する。自分にはできないという意味も込めて。
「ここは、“条件を要する狭間の場”です。私たちの条件として、妖精に近い、あるいは妖精にとっては人間に近い、という条件が必要ですから」
「正解だわ!わたしが訂正する必要なんて、これっぽっちもないじゃない!」
「そ、そうですか?そう言っていただけると嬉しいです」
 はにかみ、顔を赤らめながら笑顔を零す夏美に、冬美は自分との違いを感じ取る。夏美は人に近く、感情表現が豊かだ。対して、冬美は妖精に近く、感情表現は極端になりがちで、普段の起伏が少なくなる。
 そして、冬美は予感めいたものを感じた。自分と夏美の進むべき道はきっと分かれるだろう、と。

「他には?」
「妖精らしさと人間らしさ、については何となく、ですが」
「へえ、それはわたしも聞きたいわ。教えて」
 今まで漠然ととらえていた人間と妖精の違いについて知ることができるとすれば、それは冬美にとっては願ったりかなったりという状態になる。つっけどんに言葉を投げながらも、意識は全て夏美の方を向いていた。
「ええと……人間というのは思いやりを持つことができ、豊かな表情の変化を見せる事が出来る、と言う事です」
「そうね、一般的にそう言われるわね。つまるところ、優しい奴」
「逆に妖精らしさとは、過激な感情の起伏になり小さな変化は見られなくなります。常に無表情、あるいは一つの表情を張り付けていることが多い、そうです」
「感情という面ではそうでしょうね」
 夏美は冬美の答えに首をかしげた。
「感情面以外の事も一応見つけましたけど……」
「わたし達の場合、感情面が確かに一番分かりやすいけど、それ以外もあるでしょ?」
「ええ、その……」
「はっきりしなさいよ!」
 ばしん、とテーブルを叩いてしまい、冬美はハッと我に返った。夏美はテーブルを叩かれた音にびくり、と肩をすくませたものの、特に取り乱したりせずにいる。冬美は小さく息を吐きながら夏美の言葉を待った。
「中性的な顔立ちをしていたり、性別が分かりにくいのは妖精に近い、とこの本の中では言われていました」
「そういう事も実際にあるの。竹中を見てごらんなさいな、あいつは後姿だとどっちか分からないから。典型的でしょ?」
「そ、そう言われてみれば、そうかもしれないですね……」

 混乱をする夏美を他所に、冬美はため息をついた。自分は長身ですらりとしている、と言えば聞こえはいいが、残念ながら髪型を変えてしまえば男に間違われることもあるだろう。実際、妖精には性別は無く、妖精王や属性主達が元々は人であるのも、性別がまだ解明されていない強力な力を秘めているから、とも言われている。
 冬美は夏美が良く調べている事が分かり、少し彼女の事を見直した。これならば、世代交代についてもかなり正確な、もしかしたら自分たちも知り得ていないことが分かるのではないか。淡い期待を胸に、冬美はもう1つのトピックを質問することにした。



2014.3.16 掲載