3章:“狭間の場”という事…3



 空き教室には、机がいくつかと椅子が6個ほど転がっている。その椅子を一つ立てながら、冬美が教室の中を見回した。
「それにしても、この教室、こんなに汚かったのね」
「相変わらずストレー……はっくしょい」
「あなたは相変わらず、埃に弱いのね」
「しょうがないじゃん、これはこっちに来る前からなんだよ」
 春菜がいつものように冬美に対して言葉を投げかけようとすると、埃が舞い上がり鼻腔を刺激する。その刺激はそのままくしゃみとなった。そんな春菜に、冬美もいつものように言葉を返しているが、その中で、冬美は違和感を覚えていた。

「秋菜、ここ、おかしいわ」
「うん、おかしいね」
「……何が、おかしいのですか?」
「秋菜に冬美は分かるけど、あたしや夏美が分からない……って、確実に妖精関係じゃん」
 冬美の言葉に、秋菜も頷く。そう、2人にはこの教室はただの空き教室という訳ではない、と感じている。春菜の言葉も、2人の感覚を肯定していた。
 秋菜はその違和感を突き止めるべく、教室の中をゆっくりと歩きはじめる。足を一歩ずつ前に出すたびに積もった埃が舞い上がり、春菜は顔をしかめて秋菜に背を向けた。

「先生は何を聞きたいのかな?別にあたしや秋菜、冬美はいなくていーじゃんね?」
「それは……そうですけど」
 春菜の興味は部屋の違和感を探る秋菜と冬美ではなく、自分たちがここに呼ばれた理由だった。夏美もそれは気になるが、どうも秋菜と冬美が落ち着かないのも気になる。そんな二人に声を掛けようとした時だった。

「ごめんね〜、ちょっと見つけるのに時間かかっちゃった」
 がらり、とドアを開きながら入ってきた美奈子に、夏美は開きかけた口を閉じる。椅子の背を前にして座っていた春菜もきちんと背もたれを後ろにして座り直す。そして、歩き回っていた秋菜も椅子を立てて腰掛ける。そして、美奈子はドア近くの机に寄りかかった。

「今まであまり確認とかできなくてごめんなさいね、梅野さん」
「いえ、別に、大丈夫です」
「とはいえ、フォローも何もしてなかったから、流石に怒られちゃってねー」
 あっけからんと話す先生の様子に、春菜は首をかしげながら質問した。
「美奈子先生、あたしら居る必要ないよね?」
「あります!」
 びしぃ、と効果音が付きそうな勢いで春菜に向かって人差し指を突き付ける美奈子。あまりの勢いに、のけぞる春菜。そのままの格好で美奈子は続けた。
「みなさんと梅野さんがうまくやっているか、それも確認したかったからちょうどいいんです」
「そ、そうですか」
「そう。ということだから松葉さん、少し待っててね」
「はーい」

 春菜の質問に対する答えを提示した美奈子は、そのまま夏美の方を向き直った。
「それじゃあ梅野さん。転校してから1か月と少し経ったけど、調子はどう?」
「え……っと、元気です」
 その回答に、秋菜は頭を軽く抱えた。
「体調じゃあないと思うよ、夏美」
「え、あ、えっと」
 わたわたと慌てる夏美に、美奈子は笑いをかみ殺してもう一度質問した。
「言いなおすわね。梅野さん、この“場”に来て、自分がどう変わってきてるか、分かるかしら?」

 がたんっ
 その質問に、冬美と秋菜が椅子を蹴り倒して立ち上がる。そして、確信に満ちた眼差しを美奈子に送った。
 逆に、春菜はなぜいきなり友人達が立ち上がったのか、それすら分からない。2人の反応に首をかしげるだけだ。夏美も、どちらかといえば、驚きが上回っているのだろう。瞳は大きく見開かれていた。

「2人とも、落ち着きなさい」
 静かな、授業や普段の美奈子の物言いからは想像できないほど静かな声で、美奈子が言った。寄りかかっていた机から、体を離す。そして、夏美の前に立った。
「梅野さん、あなたはここに来て、何を見て、何を感じて、何を思ったのかしら?何が今までの自分と違うのかしら?あなたは、この世界が捕えるにふさわしいと感じた存在なのよ。だから、聞いてもいいかしら?」
 うかがう体を取っているが、その質問に拒否権はない。春菜は美奈子の変貌ぶりに驚きを通り越して恐怖も感じたほどだった。
「あなたは、ふさわしいのかしら?」
「……え?」
「あなたは、こちら側の存在として、受け入れられるのかしら?」
「せ、先生……?」
 夏美には美奈子の質問の意味が分からなかった。ただ、キーワードとして記憶をかする。世代交代について調べていた時のメモが、記憶の中に呼び起された。

 その中の記述に、あったはずだ。世代交代では、妖精世全体が生まれ変わる。その時に世界に受け入れられるか否か、それが全てを決するのだ、と。

「そ、それは……」
 美奈子の静かな瞳に、夏美は言葉を飲み込んだ。今何を言っても、不正解な気がする。そう思ったのだ。
 口を閉ざした夏美に美奈子は笑みを深くする。その目は、決して笑っていなかった。
「そんな事よりも先生、ここには妖精の気配がないの。どういうこと?」
 夏美と美奈子の会話が特に意味のある事ではない、とでも言いたげな冬美の言葉に、美奈子は顔をあげた。その表情はのっぺりとしていて人間味が無く、の顔を正面から見た春菜は小さく息を飲む。それまでの美奈子からはかけ離れた存在に、感じたのだ。

「単純よ。結界を張ったから、あの子達は入って来れないし、この中の会話は外に漏れない。それだけよ、桜木さん」
「先生は、いったい、何なんですか?」
 秋菜の、できるだけ落ち着いてるように言い聞かせている声に、美奈子の口元は弧を描いた。目は、同じようにあらゆる感情がそぎ落とされているが。
「それは、今知るべきことじゃあないわ」
「……ということは、いつか教えてもらえるんですか?」
「おのずと知ることになるでしょうね」

 秋菜の薙いだ瞳と美奈子の感情の映らない鏡のような瞳の視線が交差する。しかし、それも一瞬の事で、秋菜はすぐに顔を斜めにすることで視線を外した。
「貴女たちは、分かり始めてるわね。自分がどうなるのか。好きよ、そういう物分かりのいい子は」
 美奈子は教室を歩き回り、まだ瞳を覗き込んでいなかった冬美と春菜の瞳を順に覗き込んでいく。冬美も秋菜と同様にすぐ視線を外したのに対して春菜は恐々と見返していた。その様子に満足そうに頷きながら、美奈子は一瞬で纏う空気をいつもの「美奈子先生」に戻しながら言った。
「でも、あんまり調べすぎるのは感心しないかな。君たちが知らなくていい事もたくさんあるんだよ」
 最後にいつもと同じように笑顔で付け加えたあと、美奈子は持ってきたファイルを開く。その中に何かを書き込みながら、言葉を続けた。
「知りたいってのは分かるけど、それが全てだと思ったらだめよ?調べて分かることは物事のほんの一部分なの。それを忘れないでね」

 そのまま、書きこみを終えた美奈子はがらりと教室のドアを開く。そして、呆然と美奈子の事を見つめていた4人の方を向いた。
「はい、ありがとう。大体わかったから、帰っていいわよ〜」
「あ、は、はい!」
「えっと、椅子とかはこのままでいいんですか?」
「いいわよ、そのままで〜」

 一言、終了の言葉を伝えれば、春菜が慌てて立ち上がり、夏美も立ち上がりながらも椅子の事を気にする。その二人が動き出したことを確認してから、今でも硬直してる秋菜と冬美に視線を運んだ。
「ほら、2人とも。固まってないで、帰っていいよ〜」
「……なんか、とっても疲れたわ」
「確かに」
 美奈子の言葉に肩の力が抜けたような冬美は心底疲れた、という顔で口を開く。それに秋菜も苦笑を交えながら答えた。先にドアの先に向かって足を運び始めた春菜と夏美の後を追うように、体を動かし始めた秋菜と冬美を確認すると、美奈子自身は先にドアをくぐって廊下に出る。その時、窓の外を一瞥して、そのまま窓を背に立った。

「はい、それではみなさん、また明日ね。いい夢見れるといいわね〜」
「また明日ね、先生!」
「先生もいい夢、見られますように」
「先生、夢見るの?」
「とりあえず行くよ、冬美。先生、また明日」

 順に美奈子に挨拶して廊下を連れ立って歩いて行く。その様子を微笑と共に見送った美奈子は、再び表情をそぎ落とした顔になる。そして、ファイルの中の結果を見て、納得するのだ。最善にはならないだろうが、最低限の要員は確保できそうだ、と。
「それに」
 ぽつり、と言葉を零す美奈子。それに呼応するようにオレンジや白の光の玉が現れる。
「世界の意志は、あの子達には分からないわ。確実に、世代交代に向かって、死に向かって歩んでいる妖精界は。再生の先にある世界が、どうなるのか分からないのに」
 呪文のように漏れる言葉に、周りに集まる光の数と色の種類が増えていく。それがまるで日常であるかのように、美奈子は悠然と、笑みを口元に浮かべた。

「でも、心配はいらないみたいね。世界の意志は、あの子達を見捨ててはいないわ」
 そう言うと、美奈子は背を向けていた窓の外に視線を放つ。普通の生徒や先生には決して見えないモノが、美奈子には確実に見える。狭間の場の学校の校門の先に。普段であれば、妖精界がある方角に。そう、世界の終わりは、近づいてきていた。



2014.5.25 掲載