3章:“狭間の場”という事…4



 美奈子の呼び出しから数日が経った。その後、特に何かが起きたわけでもあったわけでもない。強いて言えば、夏美が図書室に行くのをやめたこと、ぐらいだろうか。それともう1つ。

「以上、今までのところで質問ある人〜?」
 美奈子の質問に、生徒たちは首を横に振って意志を表示する。それに満足そうにうなずいてから、美奈子は教科書を閉じた。
「はい、それでは今日はここまで。話してることが分からなかった人は、整理したり質問したりして分かるようにしておいてね」
 教卓の上に広がっているノートや教科書を集めながら生徒に釘をさす美奈子は、一見今までと何も変わらない教師に見える。しかし。

(先生、やっぱり時々あの時の顔と同じになってる……)
 ごくわずかな数の生徒が、異変を敏感にキャッチしていた。その一人である秋菜は授業中に美奈子の事を注視している。それが何だ、というわけではないが、どうしてもぬぐえない違和感があの呼び出し以降、大きくなってきてた。そして、これを勘付いているのはごくわずか、それこそ冬美や志希をはじめとした、「妖精に近い者たち」のみであることもクラスメートとの会話を通して気が付いている。秋菜は静かに、思考の底に沈んでいた。
「秋菜、最近元気ない見たいだけど、大丈夫?」
「……え?」
 自分の前に座る春菜がぐるりと顔を向けながら質問してくる。それに心底分からない、と言った顔で秋菜は返事を返した。
「そう見える?」
「うん、何かいろいろ考え込んでるし」
「まあ、ちょっと気になることがあって……」
 何を具体的に考え込んでいるのか、春菜になら話しても構わないと思ったのだが、秋菜はその衝動を止めた。今までの経験で、春菜が秘密らしい秘密を誰にも話さずにいた事がないという事実を重々承知していることもあるのだが、何よりも春菜には勘付くことができない事の話なのだ。話すことができるとしたら、冬美と志希。だが、その2人にも正直に話すのは気が引けた。

「考えることがあるって言っても、そんな顔色になるまで根詰めないでよ?あたしや夏美は気が気じゃないからね?」
「顔、色……?」
「そう!ここ数日、冬美も秋菜も、竹中も……他にも何人か、すんごい顔色悪かったり調子悪そうにしてる人多いからさ。風邪……じゃないんでしょ?」
「……うそ、そんなに顔色悪い?」
「秋菜、まさか自覚なかったの?」
 当然自分の状態を把握していると思っていた春菜は驚きに声を上げた。最近、友人達が調子悪そうにしている。それを夏美とひそかに心配しているのだ。それでも今まで何も言わなかったのは、皆それぞれ分かっていると思ったからだった。それでも青白い顔色で必死に何かを考え込んでいる秋菜を心配して声を掛けたらば、である。

 秋菜は自分の頬に手を当てながら、ぽつりとつぶやいた。
「全然、気が付かなかった」

 その言葉に春菜の眉が珍しく寄り、怖い顔つきになる。それでも、自分にはわからないところで何かが起こっているという事実だけは春菜も感じ取っていた。

「そうですか、秋菜さんは気づいていないのですね」
「多分、冬美も竹中も……クラスの調子悪そうにしてるメンバーはみんなそうなんだと思う」
 夜の寮。春菜と夏美は消灯時間を過ぎてもベッドサイドの明かりで話をしている。秋菜と冬美は夢の中だ。最近、2人はよく眠るようになった、と春菜は感じていた。
「それって、この前の美奈子先生の様子がおかしかったことと関係があるのでしょうか?」
「あたしにはそれは分からないよ……」
 夏美の質問に、春菜は肩の力を落としながら答えた。分かる物なら分かりたい、だが、実際にはまったく分からないのだ。もどかしい想いを抱えながら、春菜は唸った。
「仮にそうだとしても、なんで秋菜たちの体調が悪くなるわけ?」
「……それが、体調が悪いのは秋菜さんたちだけではないと思うのですが」
「……マジ?」
 春菜は自分は観察などできないと思っている。だからこそ、夏美のようにしっかりと物事を見ていくことができる人を無条件で尊敬していたし、なおかつ、もたらされる情報も信ぴょう性が高いと思っていた。

「はい。美奈子先生をはじめとした先生方、それに食堂の皆さんも……元気がないように思います」
「……言われてみれば、そうかも」
 うん、と思い起こしながら頷く春菜に、夏美は思考を巡らせた。明確な違いがあるのはやはり妖精との親和性で、春菜と夏美の2人が全く関係が無いのであれば、それしか考え付かない。それと、どうやら近づいているらしい世代交代とそれに絡んでくる世界の死ではないか、と勘繰ってしまうのだ。
「……春菜さん」
「何?」
「世代交代って、どこまで分かっている事なのですか?」
 夏美の言葉に、春菜は首をかしげつつ答えた。
「あたしはほとんど知らないかな。一番詳しいのは冬美だよ……あ、それか、夏美かもね」
 調べていたし、と続ける春菜に笑顔を返しながら、夏美はすうと目を細めて考える。思考を整理しながら、慎重に、言葉を選びながら口を開いた。

「何というか、その。間違っているかもしれないのですが」
「うん、何?あたしは聞いてるよ?」
「……世代交代の時、妖精界は一度、死を迎えるそうです」
「え、世界が?」
「はい、世界が」
 思わず聞き返した春菜に、夏美は肯定を返す。そしてそのまま、言葉を続けた。
「そのため、妖精に近しい方々の元気がないのではないかと……思ったのです」
「……世界が死ぬってのは良くわからないけど……何か、大切なものがなくなる感じなのかな?」
「恐らくですが、そういう事だと思います」
「あたしには正しいのかどうか分からないけど……」
 春菜はすっと夏美の目を見た。
「それ、合ってるかもしれないね」



2014.8.10 掲載