3章:“狭間の場”という事…7



「これ何……?」
「これって……世界がわたしたちをこの“場”の中に閉じ込めている、ってことでしょ?」
 春菜の呆然とした呟きに答えたのは冬美だ。彼女はじっ、と自分の前に見える竜巻を睨みつけた。その瞳には特に感情は映し出されていない。
「春菜さん……その、汗が凄いのですが……」
「うん、暑いもん」
 夏美に尋ねられた春菜は頷きながら答える。玉のように噴き出す汗に、夏美は心配そうにハンカチを差し出した。
「大丈夫……ですか?」
「世界が捕えているだけだから、死にはしないさ」

 突如として聞こえてきた声に、4人は振り返る。そこには志希がいた。
 何かを避けるようにゆっくりと歩いてくる様子を、秋菜と冬美は凪いだ瞳で見つめる。感情の見えない鏡のような眼で。それを見返す志希の瞳も、感情らしいものは何一つ映していない。

「あなたもなの、竹中」
「そういえば、朝から居なかったね」
 冬美と秋菜の言葉に、軽く肩をすくめる仕草をする志希。それが仕草だけで心が全く伴っていない事を2人は感知する。そして。
「あなたも“こっち側”っていうのが気に食わないわ」
「……口先だけじゃん、冬美。今何かを感じてる訳じゃないでしょ?」
「……ああ、そっか。オレは仲間がいることを喜ぶべきなのかな」
 冷たく言い放つ秋菜に、志希は逆ににやり、と口元だけで笑う。彼ら3人の間の空気はとてもとても、寒い。

「……夏美、あたしあの3人が怖い」
「……私もです、春菜さん。皆さん心にもないことを言ってるようで……」
 2人で肩を寄せ合いながら、春菜と夏美は息を潜める。3人の周りに、ブリザードが吹き荒れているかのようだ。
「いや、あれは流石だね。将来は属性主かなー」

 そこに、5人がやってきた方向とは別方向からのんびりとした声が響いた。夏美と春菜はわかりやすく肩を震わせる。特に、その声が春菜にとっては炎の壁、夏美にとっては大樹、がそびえ立つ向こう側から聞こえてきたのだから、しょうがない。目に見えない存在の声は、しばしば、恐ろしいものになるのだ。しかし。
「やあ、案内人。遅かったんじゃないか?」
 志希の感情が乗らない声音に、その声の主はくつり、と笑いをこぼした。
「毎回、世界が終わるときに何人かはイレギュラーな存在になるものだけど……今回は特に面白いなぁ。うん。将来世界を担うだけの力を持ってる妖精達はその傾向が高いってことも言えるけど。まさかまさか、持ってるポテンシャルは高いのにそれを振り切るだけの意志の力を持った人もいるなんて、思いもしなかったな。長生きはしてみるものだね。まあ、僕自身、いったい自分がどれだけ生きているのか分からないけれど」
 さく、さくと足音だけは聞こえる。皆、自身の属性のそびえる壁の向こう側からこちらに来るだろう存在が姿を表すのを待った。

 ふと、夏美が背後を振り返ると、そこにはもう、学校はない。
「あ。が、学校が」
 言葉を切った夏美に釣られるように、春菜が振り返る。その瞳は驚愕に彩られた。

 本当に、そこには。何もない空間が広がっていた。先ほどまで確かにあった校門や校舎の気配は、まるでない。
「あ、あたしたちは、動いてない、のに」
 かたかた、と今度は震えながら春菜が言葉を紡ぐ。それに対して秋菜や冬美、そして志希は静かだ。
「まあ、そうよね」
「こうなるのは分かっていた事だろ」
 冬美と志希の言葉に、春菜と夏美はばっと三人の方を向く。そして何も言わずに虚空を見つめる秋菜を見た。
「……大丈夫だよ、命はみんなあるから」

「あ、秋菜?」
 ぽつりと呟かれた秋菜の言葉に、春菜は恐れと未知なる恐怖に見開かれる。それと同時に、今まで確かにあった、秋菜としての存在を感じ取ろうと必死になった。
 しかし。春菜の目には、秋菜は別人のように見えた。先ほどまでは確かにあった面影も綺麗さっぱりと消え去った、秋菜と同じ外見の全く異なる存在として。本質的に自分とは異なる存在として。

「さて、みんな。“狭間の場”は死を迎えました。その中で皆さんは見事、そのポテンシャルを大いに利用して常道を外れた存在になった。それにしても本当に……凄いね。そんなに記憶が大事なのかな。……特に。感情を忘れる3人にとって、記憶って大事?」
 先ほどから聞こえていた声が存外近くに聞こえる。学校があった方を向いていた春菜と夏美はぐるり、と首を回した。そこには。

 1人の、男性が立っていた。中性的な容姿、若いのか年をとっているのか、それとも幼いのか、全く判断のつかない青年。瞬き一つで年代を大きく飛び越える男性。……そう、彼女2人が確信を持てるのは「男性」という事だけだった。全体の雰囲気としてはとてもミステリアス、というのが正しいのだろう。彼女達はそれでも、何処かで彼の事を見知っている気がした。
 必死に首を捻る春菜。夏美も記憶の紐を解いていく。確実に言えるのは、“狭間の場”に囚われてから会っている、という事だけだ。

 だか、彼の存在の正体は、2人以外の口から語られた。
「案内人。……なんだっけ、名前。男はコンロ、だっけ?」
 口元に薄い笑みを貼り付けた状態で志希がいう。それに男は頷いた。
「その通り」

 ざ、っと5人の前でポーズをとる。そしてぐるりと見回した。
 お互いの肩をくっつくえるように立ち竦む春菜と夏美。凪いだ瞳を向ける秋菜と冬美。薄い笑いを貼り付けたままの志希。
 コンロ、と呼ばれたその案内人は、ぺこり、とお辞儀をした。

「それでは、みなさん。“狭間の場”にお別れを言いましょう。もうあなたたちがこの“場”に足を踏み入れることはないから。……そう、この世界は!生まれ変わる時が来た!」
 両手を大きく広げた彼がそう言い終わるかどうかのところで、夏美は気がついた。空が。
「は、春菜さん!」
「えっ?」

 指差された空を見上げ、春菜の顔も凍りつく。空が。
「夏美…!」
 2人の少女はお互いの手を握り合った。そして。


「いざ、世代交代の場へ……!」
 コンロを含めた6人は、落ちてきた空と共に……“狭間の場”ごと存在を消した。



2014.2.15 掲載