4章:人間であるという事…2



 あまりの明るさに直視できず、春菜と夏美は目を閉じた。光の氾濫に2人の少女はきつく目を閉じる。瞼を閉じていても感じる明るさに、彼女たちはお互いの手を自然と取り合った。顔を背けるようにしながら光の洪水が収まるのを待つ二人。彼女たちの前で光は一気に駆け巡り、ものの数秒で収まった。

 だが、ある程度の明るさに包まれた彼女たちは、中々瞼を開かない。実際には一瞬にしかならない時間でも、彼女たちの体感としてはとても長く感じられた。きつくきつく閉じた瞼を暫くの時間が経ってから押し開いた春菜は、目の前に広がった景色に息を飲んだ。
 そこには、それまで視界全てを覆い隠していた乳白色の靄は無く、代わりに泉や小さな水流、そして澄み渡る大空が見えた。

「な、何ここ!」
 それまでの風景との違いに戸惑いを隠せない春菜。彼女の感情はストレートに言葉に乗った。その驚きを多く含んだ春菜の声に、夏美もゆっくりと慎重にまぶたを持ち上げる。そして。
「こ、ここは...」
 春菜と同じように、息を飲んだ。

 2人の目の前には、こうこうと水が噴水のごとく勢いよく湧き出す、大きな泉があった。少女達の身長と同じぐらいまで吹き出る水の回りに漂う5つの淡い光。こんこんと湧き出るその泉は、そこから流れ出ている5つの細い流れへと水を流している。その細い支流は今にも溢れさせそうな勢いで水をとうとうと遠くへとどこかへと運んでいた。
 2人の少女が立ちすくむ場所のすぐ傍にも支流の1つだろう流れが流れている。先程まで2人がいた場所を分割していた流れだ。彼女たちの足元も、すぐに水が溢れてきた。

 とどまることを知らない程の勢いで湧き出る泉の水は、細い支流などではとてもではないがすべての水野を流すことはできなかった。供給力が運搬力を上回った時、余ったものはあふれかえる……そうなったのだ。
「あっ、春菜さん!」
 水の流れを何となく見ていた夏美が驚きの声を上げた。その彼女をきょとりと見返す春菜。慌てている夏美の顔と指差す足元を見比べてようやく気が付いたのか、足を持ち上げた。
 彼女たちの足……足の甲のあたりまで水はたどり着いている。視覚的には確かにそこにたどり着いてるのだが、春菜はそっと手を足の甲へと持って行った。触った後、手を見てから足を降ろし、また夏美の事を見てから。

「……濡れてないよ?」
 掌を見せながら、春菜は疑問系で返した。その言葉に夏美は驚きを隠せない様子で自分も足を持ち上げて足の甲に手を這わせる。そして、驚きにさらに目を大きく開いた。
「本当……ですね」
「何でだろう……」
 春菜も改めて首を傾げた。確かに、さらさらと足に触れる感触は水そのものなのだ。だが、2人とも濡れたような感覚も、実際に手を触れた結果でも濡れていない。
 目には、映っている。彼女たちには、感覚としてそこに水があることが分かる。だが、濡れない。

 気味悪そうに春菜が首をふるり、と振ったとき。
「おめでとう、君たちは「この時」に立ち会えるなんて、本当に素敵なことだね」
 彼女達の背後から、声が聞こえた。

 勢いよく振り返る彼女たちの目の前には、1人の男性がいる。
 いつからそこにいるのか、彼女たちには分からなかった。
「あんた……」
「あなたは……」

 男性の事を半ば睨みつけながら春菜が唸るように口を開くと、夏美は隣で思案しながら口を開く。彼女は、この男性を知っている気がした。
「やあ、世界の最後ぶり……梅野夏美さんに松葉春菜さん」
 にっこりと笑いながら言う男に言葉に、夏美ははっとした顔になる。春菜は必死になって記憶を漁っていた。
「……思い出したかな?」
「……案内人の、コンロさん……」
 掠れて乾いた声が、夏美の唇の間から押し出された。

「その通り!さすが梅野さんだ、あなたなら思い出せると思っていたよ」
 夏美の言葉に反応するように手をぱちんと打ち鳴らす男性。そして、彼はそのままにっこりとほほ笑むと満足そうにうなずいた。
 わずかに薄気味悪そうに彼の事を見つめる夏美の横で、春菜はそのまま考え続けている。その男は、よく見ようと集中すると一気に若くなり、年老い、まるで年齢や外見のようなものを空気の世に纏っているだけかのようだ。

 春菜は目を細めたり見開いたり、首を傾けたりしながら男の事を見る。先程は同じぐらいの年齢かと思ったのだが今は40代のおじさんに見える。まるでその特定させない外見の揺らぎの中に、確かに変わらない微笑みが、あった。これほどまでも空気が変わるのに、目の前にいる人物が「男」であることだけは確信がある。
 春菜はもう一度、彼が言った言葉を反芻した。始めてであったわけではない、明らかに彼女たちの事を知っているような口調。夏美も彼の事を知っているようであること。……そして。
「世界の最後……案内人……あ!」

 春菜は声を上げた。

 まるで、その声が世界中に響いたかのように。

 一気に、気配が彼らの周囲に現れた。
 多くの光の玉が飛び交う。人の手のひらに乗るぐらいの大きさの無数の光。その彩が5色であること、彼らの事を知っている少女たちは、はっと目を見開いた。

「世代交代の場に、ようこそ。君たちは、本来ならばここにいない……人間界に戻るはずの存在だから。君たち自身はポテンシャルが高いって事も理解しておかないとね!……って事もあるけど、まずは。通常のレールから外れた君たちだけは、この場にいる事が出来る……ただし」

 さっと手を上空へと差し出すと、彼の手は近くにいた妖精を突き抜けた。
 その様子に驚きと恐れと痛みと憐みと……感情を混ぜ合わせた表情で顔を歪める春菜と夏美。そんな彼女たちの事などお見通し、とでも言うかのようににんまりと笑う男の指先を、まるで何事もないかのように妖精は飛び去った。

「僕たちは彼らの世界に影響を与える事が出来ない。それでも、君たちはここにいる。ここにいて」

 ざっ、と空気が動く。
 泉の上にあった5つの光がすーっと落ちてゆき。

 泉に触れて光を放ちながら人影がそこに現れる。光の数だけかと思うと、3つの光には傍らに小柄な人影があった。

「見届ける義務がある」
 男……案内人のコンロは、意味深に笑みを深くしながら頷いた。
「あれは?」
 春菜が尋ねた声に返答はない。夏美は大きく目を見開き、驚きのあまり出かかった声を手で押さえる事で押しとどめる。春菜も自分で聞いておきながら、次の言葉が出てこない。
 なぜならば。

 彼女たちの視線の先……光が降りてくると共に現れた人影の中には、先程まで共に居た秋菜、冬美、志希がいたのだから。



2015.6.13 掲載