4章:人間であるという事…4



「元々、“狭間の場”は存在しなかったんだ。妖精界と人間界は独立した世界だった。2つが重なり合う事なんてなかったんだよ」
 そう言いながらコンロは首と共に腕も回した。
「だから、その時のままであれば、僕たちは出会うことは無かったし、僕や君たちや……“狭間の場”に囚われたすべての人があの“場”に留まる事なく、普通の生を歩んでいたんだろうなぁー、と思うんだよ」

 くるり、と2人の少女の前で回転をした後、腕を後ろに組んでゆっくりと歩き出した。
「人間界はその場に在る“場”で、多くの“場”や空間、世界、次元……まあ呼び方は何でもいいんだけど、それらをくっつけるような役割をはたしている事もある。面白いだろう?普通に生活している人たちはそんなこと知らないんだ、って事の方が驚いたけど」
 草原がコンロの足音を吸収する。その足の運びを注視するのは夏美で、コンロの顔を睨みつけているのは春菜だ。ゆっくりとした足の運びに、少女たちの顔も左右を向く。
「僕にもなぜ人間界がそういう役割を果たしているのか、それは分からない」
 ふるふる、と首を振りながら肩を竦めれば、春菜がむう、と口をとがらせた。

「良く分からないんだけど、つまり何が言いたいの?」
「松葉さんはせっかちだなー。焦っても欲しい情報が手に入るわけじゃないんだよ?」
 そう言うと、コンロはぴたりと足を止めた。

「まあ、理由はどうであれ、人間界と妖精界は衝突した。その時に、“狭間の場”が誕生した。……人間界と妖精界から剥がれ落ちたモノで形成された世界。妖精界の要素と人間界の要素を併せ持つ空間が誕生した、と言うわけさ」
 コンロは2人の事をじっと見た。その目線に春菜はわずかにたじろぐ。だが、夏美はそのまま見つめ返した。唇をゆっくりと湿らせると、夏美は口を開いた。
「それは学校の図書館で見つけました。妖精界の『生まれ変わる』部分と人間界の『質量がある』部分が重なり合って出来たのだと」

 ぱちぱちぱち
 コンロが手を叩く。その音に春菜は怪訝な顔をしながらも、コンロの事を見た。
「いやあ、絵に描いたような勤勉さ!そのあたりはとっても人間らしいのに、なんで梅野さんは堕ちてきたのかなぁ〜」
「……あんた、夏美の事褒めてるのかけなしてるのか、分からないんだけど」
 じっとりとした視線を送りながら言葉をかける春菜に、コンロはふむふむと頷く。
「そう感じるならやっぱり松葉さんも人間よりなんだね」
 にこり、と2人の少女に笑いかけて1人納得した案内人はすぅと表情を消した。
「それほどの力を内包していたにもかかわらず……君たちは人間界に帰るんだ」

 いきなり真剣な声音になったコンロに、夏美と春菜は戸惑いを隠せない様子で彼の事を伺う。そして、彼が口を開くのを待った。

 泉の真ん中では、何かやり取りが行われている。その様子を目を細めながらうらやむように眺めてから、コンロは唇の間から舌を出し、それで少し唇を湿らせた。

「そう、君たちは人間界に帰る。少しおさらいをしようか。妖精界と人間界、どちらに最終的に足を踏み入れる事になるのか、どちらの住人になるのか。まず最初の要素として、力の大きさがある」
 彼はこの時点で右手の人差し指を一本、立てる。
「力が無ければそもそも世界にとらわれる事もない訳だけれども、君たちは囚われてしまったのだから力は相応にあったんだ、とは言えてしまうね」
 誰かに説明するよりも自らに解説をするような口調に、それでも2人の少女は顔を見合わせて頷いた。
「美奈子先生のクラスに入った時点で、力はある方だよね」
 珍しく思案顔になる春菜にコンロはそうそう、と相槌を打つ。そのまま、コンロは言葉を続けた。

「彼女のクラスでも、相対的に力の強弱はあったはずだけど……君たち2人は力は弱い方だっただろう?だからまあ、そのあたりはある程度自由なのさ」
 そして、中指を立てる。
「次に人間らしさだけど……2人とも、人間らしいよねぇ。捨てるどころか、君たち2人は他の人達が妖精らしくなっていくにつれて人間らしさを常に持ち続けようとした……違うかい?」
 問いかけに無言で思考する2人に、コンロは「まあいいけど」と続けた。

「最後の時間。これはね、実は望みによってそれぞれなんだけど……君たちは覚えているかい、自らの望みを」
 黙り込み、地面を睨み付ける2人の少女。この沈黙は先程の沈黙とは性質が異なっている。それを理解しながらも、コンロは2人がそれぞれ思い出している内容をすらすらと述べあげた。
「あの時、松葉さんは炎の中にいた。火事だったんだよね〜、おうちだったかな?逃げようとしていた、そうだろう?先に逃げていたのは家族かな?燻る火の中を、まだ逃げれる状態で、外に出たらそこは“狭間の場”だった。見事にマーズに見初められたねぇ……」
 ぎゅうと両手を握りしめながら春菜はコンロを睨み付ける。だが、案内人は気にする素振りもなく言葉を続けた。
「それから君は帰りたいと願っている。共にいた家族の安否が気になるからだろう?」
 疑問の体をとった確認に春菜は何も言うことができない。

「それから梅野さん。君は森にハイキングに行ったら迷い込んだ。共にいた友人達はどうしたのか、自分はなぜここに……といろいろ考えていたねぇ。……でも結局、君は自分の知的好奇心を満たしたい、と願ったんだ」
 夏美は静かにコンロを見返す。彼が言っている内容は全くその通りで、その無言の肯定に案内人はにまりと笑った。

「さて。君たち2人の願いは、ずばり。どちらも人間界に戻る事を選択している。世界がいくら押し留めようとしても、自らの意思の方が強い。君たちが人間界に戻りたいと願っていたからこそ……その人間性を留め置き、それを捨て去るには時間が足りなかった……と言う事になるのさ」
 ゆっくりと2人の事を見ながら、コンロは話をする。そして、2人の少女の間を往復していた視線は、不意に異なる方向を向き、彼は2人に背を向けながら話し出した。

「分かるかな?今まで言われてきた分岐の条件は、結局、結果論でしかないんだ。最も強いのはそれぞれの願いであり、その願いを達成するためにそれぞれの能力や人間性や時間が調整されていく……」
 す、と2人の方を向き直ったコンロは、春菜と夏美を交互に指差しながら言葉を紡ぐ。
「君たちは気が付いていないけれども、彼らと同等の力があるんだ。だけど、君たちの願い故に今に至る」

 いかにもわざとらしく、コンロは両腕を広げた。
「おめでとう!君たちは帰れるよ!でも、彼らとはもう二度と会えないだろうけどね」
 にんまりと笑うコンロの笑顔だが、ぞわりとした感覚に襲われる夏美。春菜はキッとコンロを睨みつけながらゆっくりと口を開いた。その声には怒気が含まれている。その怒りの矛先を向けるのを、どこにすればいいのか分からない、といった感じであった。
「なんでさ。なんで、もう秋菜達に会えないっていうのさ」

 その怒気を受け流しながらコンロは淡々と口を開く。最後の通告を、少女たちに知らせるために。
「それが事実だから、だけど?それ以外に何があるのさ。君たちと彼らは……住む世界を分かつんだ。相容れない世界同士に。“狭間の場”に、君たちも彼らも、もう足を踏み入れることはできない」



2015.9.29 掲載