5章:妖精であるという事…1



 秋菜は、自分が光に包まれたことを自覚した。隣にいたはずの春菜の気配はない。
(春菜?)
 眩しすぎて目を開くことができないため、目で確かめることはできない。腕を持ち上げてみるも、春菜がいるだろう場所は空を切り、掴めるものは虚空だけだ。
 光の洪水のただ中にいるのだろうか、と思考を巡らせた時、光の薄い箇所がわかった気がした。瞼を通り抜けて感知できるほどの光の中で、光がわずかに薄い、まぶしさがわずかに少ない場所へと足を向けた。

 その時、秋菜は自分が立っていたことを理解する。足を動かしてみると動く。その事実に驚きながらも全てを白で塗りつぶしてしまうほどの光の中で彼女は足を踏み出した。
 どこを歩いているのかまるで足の下の感触がない。

 それでも、何もせずにいてもこの事態の解決にはならない。
 そう考えた秋菜は周囲に神経を張り巡らせながら足を動かす。自分がどこにいるのかという事もだが、他の友人たちがどこに行ったのか、それも気がかりだった。気にはなるが自分がどこにいるのか、という心配も首をもたげはじめていた時。

『他人の心配とは、あなたはまだ人間に近いんだね』
 どこかから声がした。その声に、秋菜は周囲の気配を探る。そして閉じた瞼の向こう側に溢れていた光が眩しすぎない程度になっていることを感じた。
 ゆっくりとまぶたを押し上げると、秋菜は白く青い空間に佇んでいる。それ以外のものは何もない空間にいるで、彼女はぐるりと周囲を見回した。
「誰?」
 声だけの主に対して問いかける。首を左右にゆっくりと動かしながら、慎重に尋ねる秋菜に、声の主は即座に答えた。
『あなたの属性は、私の配下さ』
「……マーキュリー」
『世代交代で交代する方の、だけどね』
 小さく呟いた秋菜に、マーキュリーは自嘲気味に付け加えた。

「私たちはどこにいるのですか?」
 秋菜の疑問にマーキュリーは彼女の目の前にゆっくりと姿を現す。スラリとした男性の背格好の彼は、透けて見えていた。
『世代交代で生まれ変わる妖精界とそれに合わせて再生する“狭間の場”……とでも言えばいいのかもしれないな』
「……では、私は」
『本来ならばここにはいない。目が覚めれば妖精界に居たはずだよ』
 その言葉に、秋菜はうつむく。本来ならばあのまま学校にいたはずなのだ。
『でも、君たちは校外に出ただろう?そうすると眠りに落ちて次に起きれば……とはならない。流れから外れるからね。だから、私は最後の仕事をしに来たんだ』
 優しげな声音だが、属性主らしくその声に感情は乗っていない。秋菜は先代のマーキュリーの事をじっと見た。彼女の目にも、同様に感情は見られない。
 先代のマーキュリーは秋菜の行動に満足そうに頷いてから、ゆっくりと秋菜が歩いていた方向とは少しばかり違う方向を指差した。
『私の最後の仕事はね、迷子になっている力のある少女の道案内さ』

「他のみんなはどこにいるんですか?」
 秋菜は先代マーキュリーの指し示す方向へと足を動かし始める。足の裏から伝わる感触が何なのか分からない状態でも前に進むことはできる。
 先代マーキュリーの透けた体は滑るように動く。動き方が自分と異なる点については、秋菜はさして気にすることなく進んだ。彼は交代する方の属性主である。つまり、彼は近いうちに……世界の終わりとともに消え去るのだ。
『それぞれの属性主たちが導いているだろう』
「そうですか」
 たっぷりと時間が経ってから受け取った返答に、秋菜は口をつぐむ。その横で、先代のマーキュリーはそのまま言葉をつないだ。
『それよりも……君は君自身の望みを覚えているね?』

 秋菜はきょとりと彼のことを見る。しばらくそのまま彼の事を見つめた後、視線を横にずらした。
 無言で足だけを動かす秋菜。少し前に進む先代マーキュリーは何も言わない。青白い光の中をゆっくりとした速度で歩いていく2人は、一見すると親子のようにも見える。
 だが、彼らの間に会話は無い。

「覚えてはいます。自分の願いですから」
 青白い光の回廊に先が見え始めた時、それまで黙って足を動かしていた秋菜が唐突に口を開いた。
『そうか、それは良かった』
 先代マーキュリーはそう相槌を打つ。疑問の体を取った確認だったのだが、彼はそれから先の言葉を紡がない。それを秋菜も改めて確認はしない。

『私の道案内はここまでだ。世界に愛されし娘よ、君の築く世界に幸あらんことを』
 突然ぴたりと動きを止めると改まって先代マーキュリーは腕を持ち上げて秋菜が歩むべき方向を指差す。確かに、彼らの立つ場所の先には何かの音が聞こえる。秋菜は指の伸びる先を確認して頷いた。
「私を捕らえた世界のマーキュリー……道案内、ありがとうございました」
 頭を垂れながら秋菜が淡々と言えば、先代マーキュリーは小さく頷く。そして。

 指先から淡い光の粒になる。
『君の活躍を楽しみにしてるよ』
 足元からも光の粒に代わりながら、先代マーキュリーは言い置いて……光の中に溶け込む。秋菜が最後に見た彼の顔には口元に微笑みが乗っていた。

「あなたの期待に応えられるとは思いませんが」
 誰もいない空間に向かって小さく吐息と共にこぼす秋菜。だが、すぐに視線を青白い光の回廊の先へと移す。じっくりとその方向を見つめる顔に、目立った感情は見分けられない。
 秋菜はそのまま光の回廊を抜けるべく、足を動かし始めた。相変わらず、足を踏みしめる感触からどのような場所にいるのか考えようとしても見当もつかない。それよりも秋菜は徐々に近づく光の回廊の終着点から聞こえてくる音に心を奪われた。

 光の回廊の終着点を目前にしたところで、秋菜は立ち止まり、聞き耳を立てた。
 秋菜の耳には、何かが聞こえている。だが、それが何かと具体的に説明することができないまま、聞いた事のある音だ、と認識するだけだ。秋菜は思案する。どこかで聞いた音。日常的な音でありながら、日常ではあまり聞かない音。
「あ、水が流れる音」
 ぽつりと言葉が零れ落ちた時。

 秋菜の視界が一気に開かれた。

 サラサラと水が流れるのは小川で、足元には草原が広がっている。では流れている小川はどこから流れてきているのか、と首を回すと、勢いよく天へと吹き出る水があった。
 噴水だろうか、と内心首を傾げながら秋菜はその吹き出る水に向かって足を動かす。どこか不明瞭な、もやがかかったような視界のまま、音も頼りにしながら秋菜は歩いた。近づけば近づくほど、噴水ではなく、泉から水が勢いよく吹き出しているのだ、と理解した。

「いらっしゃい、それぞれの属性に選ばれた子たちよ」
 湧き出る水が大きく見え始めたその時、吹き出す水の真上に光が現れる。その光から声が聞こえた。
(誰?)
 心の中で秋菜が疑問に思っていると、一気に視界も噴水の周りも鮮明になり、はっきりと見えるようになる。

 そして、秋菜は自分が1人で立っているわけではない事を理解した。
「……この世界の、マーキュリー……」
「ええ、そうね。ようこそ、秋菜」
 世代交代で交代した新世代のマーキュリーが傍らに静かに佇んでいた。



2015.10.23 掲載