5章:妖精であるという事…2



 秋菜はぐるりと周囲を見回す。彼女とマーキュリーだけがその場にいるのかと僅かにいぶかしむような視線をマーキュリーへと送った。
「ふふ、他のみんなもいるわ。心配するなんて、あなたはまだ人間らしさを残しているのね……マーズの子のせいかしら?」
 まるで思考を読むかのように聞こうと思ったことへの答えを提示するマーキュリー。声音は楽しそうに転がるが、その目は決して笑っているわけでもなく、ただただ、ありのままを写している。秋菜はその長身の女性をひたと見据えた。
「別にそういう訳じゃないんですが、マーキュリー以外にも出てくるのかと思って」

 表情を変えることなく淡々と言い切る少女に、マーキュリーは水が吹きあがる泉の方向に顔を向けながら言った。
「そうね、あなたと共に行方知れずとなった少年少女たちは、いずれここにやってくるでしょう。ただ、それがどのタイミングになるのか、はたまた、その事実は全くの無意味なものになるのか……それは分からないわ。来てみないと分からないの」
 秋菜は泉を見やる。そこから水が流れており大きな光が上空にあるのは理解しているのだが、その泉の反対側や泉が無い方角にはいまだに白い靄がかかっており、多くを判別する事は出来ない。
「そうですか……」
 きょろりと周囲を見回しながら秋菜が問えば、マーキュリーがにこやかに口を開く。もちろん、この笑顔に感情は籠っていないが。

 しばらく沈黙が2人の上に注いだ後、唐突にマーキュリーが秋菜の顔を見ながら言葉を零した。
「あなたの願いは何かしら?」
 ゆっくりと問いかけるマーキュリーはどこか怪しく艶やかな声音で尋ねる。だが、秋菜は淡々と顔を前に見据えながら口を開いた。
「私の願いは、祖母を知る事です」

 秋菜は、自分がこの言葉を口に出すことで何かが「カチリ」とはまったような感覚に陥った。それがなぜ、妖精界に在る事につながるのか……今の彼女には皆目見当つかないが。それでも彼女は、理にかなっていると感じたのだ。
「そう、それはなぜ?」
「それは……」

 秋菜の脳裏に、川で遊ぶ幼い自分が思い起こされる。1人ではなく誰かと遊んでおり、その人物におばあちゃん、と呼びかけているのは確かなのだがその顔は全く思い出すことができない。さらに、彼女は秋菜に謎の言葉を残していた。それが幼いながらも、秋菜の心に大きな存在として根付いていたのだ。
 その言葉を胸に、秋菜はここまでの人生を歩んできた。だからだろう、彼女はそれらすべてが、結局祖母に導かれているのではないかという気がしてくるのだ。
「祖母は、ある日、家の近くの川に行ったきり、行方が分からなくなっています。私も多分、そこで囚われたんだと思います……天気が悪い訳でもなく、風も穏やかだったのに」
 凪いだ表情で泉の上の虚空を見つめる秋菜を、マーキュリーは目を細めながら見やる。
「祖母の事をいつまでも忘れる事が出来ない自分がいたんです。だから時々、川に……そうしたら、“狭間の場”に囚われて、願いを聞かれたから、祖母の事を知りたい、もう一度会いたい、と……」

 そう、と頷きながらマーキュリーはやわらかく口を開く。
「でも、貴女のおばあさまはもう生きていないのではないかしら?少なくとも、人間界の常識を照らし合わせるとそうなるわよね?」
 その問いかけに、秋菜はこくりと頷いた。
「生きてはいないと思います。でも、骨も見つかっていないから、死んだという確証もないんです。……それこそ、私も今はそうなのではないですか?」
 す、と視線を泉からマーキュリーに投げかける秋菜。その視線をやわらかく受け止めながら、マーキュリーはゆっくりと視線で問いかける。

 何を言っているんだ?
 どういう意味だ?

 秋菜には、その視線に既視感を覚えていた。誰かが。
 とても身近にいた誰かが。
 そう、視線で問いかけてきていた。

「私は、人間界では行方不明になっていると思います。体はもちろん、“狭間の場”に来ているのだから見つからないはずです。それでも、他の“場”“世界”“次元”……言い方はいろいろありますが、それがあると知らない人たちは、私を見つける事は出来ない。だから、その人たちにとっては、私は行方不明で……」

 言葉の途中で、明滅する泉の上の光に、秋菜の目線が釘付けになる。
 徐々に光が大きくなって行き、す、と息を吸い込んだその時。

 光の氾濫が秋菜とマーキュリーを襲った。
 とっさに目を閉じてその光が目を傷つけるのを防ぐ。だが、同時に、その光は性質としてはとても柔らかく、根本的には守る物だろう事を秋菜は悟った。

 音もなく光の波は引いていく。一番強烈な光の後にゆっくりとまぶたを持ち上げた秋菜の目に、泉を中心として6人が支流で分断された草原に立っている情景が飛び込んできた。秋菜と隣に佇むマーキュリーも数えるならば、合計8人が泉を中心に集まっていることになる。
 秋菜は、順に佇む人物を見た。

 1人は燃えるように赤い髪の男性。視線は泉ではなく、少しずれた箇所を見ている。
 1人は明るい緑のドレスを身に着けた女性。彼女も泉ではなく少しずれた箇所を見ていた。2人が見ている箇所が同じような気が秋菜にはしたが、そのまま視線を順番に回していく。
 1人は背の高い白いマントをつけた女性。その女性の隣には。
「……冬美」
 ポツリ、と秋菜の声は空気に溶けた。

 誰にも聞きとられなかった呟きはそのまま置き去りにされ、秋菜はさらに視線を回した。
 1人は中性的な顔立ちではあるが男性だろうと分かる長い茶髪の男性。そしてその隣にもう1人。ひとりの少年が佇んでいる。
「竹中……」
 その少年の名前も、口の中で消える。秋菜はそのまま、中央の泉を見た。

 その泉の上には、1人の女性が、いた。



2015.11.8 掲載