1.風族のリト…5



 キイスは息子が空に飛び立ち、飛んでいく様を見送りながらぽつりとつぶやく。
「エナ」
 その声は小さく、誰にも聞きとめられない。そのまま、道を歩きながら言葉を続けた。
「リトが運命の歯車に乗る日は、近い」

 その、自らの言葉に小さく吐息を着くと、キイスはそのまま家へと向かって飛び立った。

 シャムが彼の家のドアをノックしたのは、キイスが家に着いてから間もなくであった。コンコン、と叩かれるドアにキイスはソファからさっと立ち上がるとドアを開く。そこには、予想通りの人物が立っていた。
「シャム、待っていたぞ」
「キイスさん……ボクも詳しく聞こえたわけではありませんが」
「いや、あの2人よりは把握しているだろう」
 そう言うと家にシャムを招き入れるキイス。そして、彼にダイニングの椅子に座るように合図した。椅子に座ったシャムの前に、キイスはレモン水を置く。それにありがとうございます、と頭を下げながらシャムは口を開いた。
「ボク達が和平構築団について、ジャンさんから聞いた後に、コル兄さんとジャンさんがボク達について何かを言っていたんです」
「そのあたりは大雑把に聞いた。問題はその後だ」
 自分はシャムの前に椅子を引いて座りながら、キイスは頷く。それにシャムも頷き返しながら続けた。
「はい。……ジャンさんは、ボク達が素直だと、性根がまっすぐだと言っていた気がします。その後、コル兄さんが普通だと言った後に、「崇高なる存在に祝福された村なのか」……と」
 静かに考えるキイスと反応を待つ、シャム。無言な空間でキイスはうっそりと頷いた。
「ジャンは信心深い性質ではないのだな」
「そう、だと。思います」

 レモン水を手に持ち、こくりと飲むシャムに、キイスは難しい顔をして考え込んでいる。そのうちに家の外に物音がし始めた。人の声と馬の鳴き声、そして蹄の音にキイスは立ち上がった。
「シャム、悪いが外の様子を見てきてくれ」
「わかりました」
 キイスはそう声を掛けると、小屋の中にある炊事場に立った。上下水道が整っているのは王都などの都会のみなため、汲み置きの水をひしゃくですくいながら洗い物をする。シャムはその後ろ姿を見ながら声を掛けて席を立った。

 シャムが外に出ると、そこには2頭の馬の手綱を握るリトの姿とほどいた荷物を担いだコルトとジャンがいた。
「コル兄さん」
「シャム、リトを手伝ってやってくれ」
 ドアを閉じながらコルトに声をかければ、コルトはリトの方向に顎をしゃくりながら口を開く。シャムはそれに頷くと無言でリトの方に向かった。リトに声を掛けて手綱を1つ受け取れば、そのまま少年たちは裏にある家畜小屋へと歩いていく。コルトはその様子を見送ると、ジャンを促した。
「中に入るぞ」
「あ、ああ……」

 戸惑いを隠せないジャンに、コルトはふん、と鼻で笑う。それを見止めたジャンは小さく息をついた。
「お前、いい気味だ、ぐらいの事を思っているだろう」
「当たり前だ。和平構築団には俺も志願したのに」
 その言葉に、同期の友人を見るジャンは眉根を下げた。
「そんな事言っても、お前は班長じゃあないだろうに……」

 コルトはその言葉に応えずに何の前触れもなくドアを開く。そのドアの先には、こじんまりとした小屋があった。
「父さん」
「……帰ったか」
「ああ……リトとシャムが馬を小屋に連れて行っている」
「分かった」
 事務的な口調で言葉を紡ぐキイスに慣れたようにコルトは状況を説明する。それに頷いた後にキイスは顎をしゃくった。
「まずは荷を部屋に持って行きなさい。……客人、あなたもだ」
 コルトはすでに小屋の中に入っており、自分が使用している部屋へと足を運んでいる。そこにキイスが言葉を付け加えたところで、ジャンも動き出した。
「はっ」
 短い、だが同期の友人の親に向ける態度とは明らかに異なる態度にキイスは内心嘆息するものの、そのままジャンを目線でキイスの後を追うように促した。その様子に、ジャンは動き出す。小屋の中に足を踏み入れてからぐるりと見回した。

 小屋は小さいものの手入れが行き届いており、ダイニングテーブルのあるスペースの反対側にドアが3つ見える。そのうちの真ん中のドアを開いて中に入って行くコルトに、ジャンはあれがコルトの部屋なのか、納得した面持ちで後に続いた。彼の耳には、家の裏にあるらしい家畜小屋で馬に水を与える少年たちの声が聞こえてくる。裏手に向かっている部屋なのか、と納得していたところで、コルトの部屋に足を踏み入れると、そこは実に殺風景だった。
「……何もないな」
「ほとんどの持ち物は俺と共に王都にある」
「ああ、そういうことか」
 納得しながらマットレスに布団を敷いた状態の寝床のそばに荷物を置く。そのまま、コルトはハンガーを1本、手渡してきた。
「助かる」
 無言で差し出すそのハンガーを受け取り、ジャンは上着を脱いでコルトに渡し返した。それを無言のうちにドアの桟にかけると、コルトはそのままドアを出ていく。彼が腰に下げていた剣もいつの間にか取り外していた。
 ジャンは荷の中から一つの書状と1本の短剣を取り出すと腰につけていた双剣の代わりにくくりつけ、部屋を後にする。彼の耳には、少年たちの声は聞こえなくなっていた。

 ジャンが部屋の扉を閉じるのとリトが小屋の扉を開いて中に入ってくるのは、ほぼ同時だった。
「父さん、終わった!」
「そうか。……リト、今日はトムの所に泊まりなさい」
 開口一番、父親に報告する少年に、キイスは静かに答えた。
「なんで?なんでオレがいちゃいけないのさ」
「これは、コルトに渡した手紙と、コルトの連れの事だからだ。……お前が立ち入っていい話ではない」
「そうだとしても!泊まる必要はないだろ!?」
 オレも兄さんと話したいんだ、と続けるリトに、ジャンは素直にリトが兄であるコルトを慕っているのだな、と感じる。だが、キイスの答えは既に決まっていた。

「リト。この話はたとえお前であっても聞いてはならない話だ。お前が子供だから、ではない。お前が当事者ではないからだ」
 わかるか、と諭すように口を開くキイスにきゅっ、と口を結んだリトは怒った目を一瞬向ける。だが。
「……わかったよ」
 ぼそりとつぶやくと、そのまま玄関で踵を返した。

「明日、迎えにいく。それまでトムの所に居なさい」
「わかったよ!」
 いー、と思い切り許しませんと少年らしい顔をするリトとぺこりと隣でお辞儀をするシャム。そしてリトが歩き出すとそのスピードに合わせてシャムも歩き出す。それをキイスは見送り、後ろ手に小屋の扉を閉じた。
 コルトはそのやり取りの間にレモン水を準備してテーブルに置く。キイスは彼の定位置だろうとジャンが想像する場所に腰掛けると、コルトにも座るように促し、すっと目線をジャンに向け、おもむろに口を開いた。

「それではジャン・リゲン。話を聞こう」



2014.10.26 掲載