境界面はいろんな事が言われている。なんでも神様たちが世界を分ける時に干渉しにくくするために作ったんだとか何とか。なんであるのか、私はそういう噂ぐらいしか知らないけど。
その境界面を通り過ぎるのに必要な時間はものの数秒……みたい。そうやって聞くと大したことないじゃんって思うけど。聞いたことをそのまま「知ったか」すると、そこは空気がなくて、押しつぶされそうなほどに狭くてその一瞬が命取りになるんだって。本当にどういうところなのか、それは通り過ぎた人しか、わからないんじゃ無いかな。生身で通り過ぎて生きてる人は、あまりいないってのもその前後の世界の環境が違いすぎるからとかそういう言葉も聞くけど……乗り物に乗ってい行き来をする人は、大抵「窓の外は何もない空間だった」って言うの。
今まで聞いてきたことを全てまとめて、私はみんなを風で包み込んだんだ。風が少しでもみんなを守ってくれるように。そして、自分もありったけの風で包む。……ここまでやった後は僅かな可能性に賭けるしかない。ここまで近づいちゃうと、風でも逃れられない。だから。
祈るみたいにぎゅっと体を丸めて、私はそのまま、境界面に背中から落ちた。
境界面の中……は、無音の世界だった。私の耳に届くのは、自分を包む風が、空気が「剥がれ取られようとしている」音だけ。びゅうびゅうって音が聞こえる度に私の周りにある風の層が薄くなるのが分かる。私を守る空気が薄くなって来てるからかな、息苦しさなんじゃないかってものを感じて。焦りそうになるのをなんとか押さえて。体がぎゅうと押される力を感じながら。
私はぎゅっと我慢した。パニックになったら負け、そんな気がしたから。
私は、数秒の時間を過ごした境界面の中から、りくち側の世界に突入した。私の心臓は、動いてる。まだ、生きてる……!
まだ、可能性は、ある!
上を見上げれば、みんなもちょうど境界面を抜けてた所みたい。みんな動いてるから、生きてる!
それが分かったところでホッとしながら風を出そうとして……私は体に纏わり付く風が違うって気がした。風が……重い。重くて、私の意図を汲み取ってくれない。反発する、絡んでくれない。それに。
「息、が」
息が辛い。風に乗れない。風の能力者なのに、バランスが空中でバランスを取るのがやっと。なんで?ねえ、なんで!?
でも、風を送らないと。上にいるみんなに、風を。そうじゃないとみんなが!
無事に、「りくち」に着くまでは、私が頑張らないと。
両手を前に突き出す。お腹の中にある力は少ししかないけど、風ってのは勢いがつけばそのままながれるものだからさ。その法則を信じて……私は両手の周りに集まった風を前へ……上へと動かした。
「み……んな!パラ、シュート……!」
そう声を振り絞りながら風を送る。僅かにアテネが動いたと思ったら、蔦と葉っぱで大きなパラシュートを作り出したみたい。
そうだった、アテネは「りくち」出身じゃん。ここはアテネと……リアドの故郷なんだ。
頭が、ぼんやりし出した。風に乗ってる感覚も、ほとんど……無い。私、今、どういう状態?
あー、無茶し過ぎた……かな……腕が体が頭が……全部が、重い。
『パリ、ス』
ルル、ごめん。死なないと思うけど、ちょっと危ないかも、しれない。
伝えたいことを言葉にできない。口を開くのが億劫で、私は顔を横に向けただけ。その時。
ポタッ
上を向いた頬に、冷たい何かが落ちた。そう言えば、重たい腕に何か、液体が伝う感覚も……ある。なんだろう?雨かな?雲は見当たらなかったけど。
ぼんやり、そう思いながら顔を上に向けたら。
腕?手?よくわかな無いけどその辺りから、赤い何かが流れてる。
ああ、これ……私の、血だ……。それは分かった。そう言えば、なんか切ったのかな、ちょっと痛い感覚もあった気がする。私、限界、なのかなぁ……。
もう、風に乗ってる感覚も、風を作ってる意識も操ってる感覚も、無い、から……。みんな、ごめん。私の力が、足りなくてごめん。
「パリスーーー!!」
男子の声が聞こえた気がするけど、そこで私の意識は途切れた。
◇
パリスの異変に気がついたのは、リアドが最初だった。真空でなおかつ他の箇所よりも圧力のある境界面内をパリスの風に守られる形で突破した面々は、それでもまだ、落下を止める手立てを見いだせないでいた。「りくち」出身者であり、酸素を多く含む馴染みのある空気に調子を取り戻したアテネが大きな葉とツタを使ってパラシュートを作る。先程、境界面に突入する前にパリスが「パラシュート」と叫んでいたことを応用した形だ。それをヤドリギの種を植え付ける要領でアテネはカイロ、ウィーンへと受け渡す。かくん、と落下速度が遅くなる2人に続いてモスクワにパラシュートを、と準備をしていると、パリスの一番近くにいたリアドが声を張り上げた。
「パリスーーー!!」
ぐん、と前のめりになり、それまで空気抵抗を最大限に受けようとしていたリアドは小さくなる。一気に距離を詰め、それまで上昇気流を生み出し自らも支えていたパリスの傾ぐ体を、なんとか抱きとめようと腕を伸ばして突進する。その様子を見たモスクワも、声を張り上げた。
「アテネ、パリスの分も!」
ヤドリギでパラシュートが開き、落下速度が遅くなったモスクワが僅かに上を仰ぎながら言えば、アテネが蔓を操りリアドとパリスにもパラシュートを送ろうとしているところだった。
「言われなくてもわかってるわ!」
そう言うと、アテネはパラシュートを送った。
リアドはその間に何とかパリスの腕の片方を握り込む。その腕に伝う血の滑りにギョッとしながらも、ぐいと自分の方にパリスを引き寄せた。掌から流れ出たのか腕からか……初見では分からないが何処かで負荷がかかり過ぎて皮膚が切れたのだろうと思うと忍びない。だがそれ以上に、パリスの顔色が土気色と評するのが良いような、そのような顔色であることにも驚いた。
「パリス、パリス!しっかりしろよ、オレ達、生きてるから!」
カクン、と落下速度が遅くなるリアドとパリス。そのアテネの蔦を片腕で掴み、もう片方でパリスを抱きかかえたリアドは、上に向かって声を張り上げた。
「アテネ!オレとパリスを縛ってくれ!」
パラシュートで上からだと場所が見にくいだろう事は予想できるのだが、アテネは的確にリアドとパリスの腰を縛り付ける蔓を生やす。流石だな、と内心で思いながら自由になった片手でリアドは小さな炎を生み出した。それをパラシュートに向け、自分とパリスのパラシュートが含む空気を暖めて軽くする。そうして皆の近くまで上昇した。
パリスが「そら」では何の苦もなく風を操っていたように、ここはリアドとアテネのフィールドだ。どちらも、最大限の力を発揮する。
「リアド、下は何?」
先程まで一番下にいたリアドにウィーンが問えば、リアドはわずかに顔を声が聞こえたの方向に向けながら声を張り上げた。
「森だ!森が広がってる!」
「平らなところは?!」
モスクワからの言葉に周囲を見回したところで森しかみえない。リアドは答え返した。
「見えない!ここは、樹海の中だ!」
見えているだろう、という言葉は飲み込む。彼らは……アテネとリアド以外は、「りくち」がどのような場所があるのか、知らないのだから。
リアドの言葉に、カイロは肩で息をしながら、口を開いた。
「平らな、ところ。作れるか?」
その言葉に、アテネはキッと前を見据えた。
「パリスが全力で私たちをここまで生かせてくれたのよ。後は、私たちが無事に地表に着けばいいんでしょう?やるわ、絶対に」
残された時間を秒読みしながら、アテネは思考を動かし始めた。
2014.11.9 掲載
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