5章:オチルヒトと世界の壁…3



 アテネはどこまで減速できるかを考えた。パラシュートが出来、リアドの炎で空気を温め上昇できるようになったことは、確実に時間を稼ぐことに一役買っている。
「平らなところを作る……?」
「……燃やしたくないんだけど、オレ」
 ぽつりと零した言葉が聞こえたのだろう、俄然元気になったリアドに向かい、アテネはキッと睨みつけた。そのまま、すうと視線を動かし、アテネはカイロのことを見る。そこには息をするのがやっと、とでも言えばいいのだろうか、肩を上下させて青い顔をしているカイロがいた。
 彼女はそのまま、つい、とウィーンとモスクワを見やる。彼らも急な世界の変化に色濃い疲労が映し出されている。つまり。

「フルに動けるのは私とリアドって事ね」
「そういう事だな」
 ハンカチで気を失ったパリスの腕を拭っていたリアドは頷いた。パリスの掌から腕にかけて切り傷のような傷ができており、血が流れ出て止まらない。アテネはすっと目を伏せた。この傷は一生残ってしまうかもしれない。これがパリスのトラウマにならなければいいのだけれど、とわずかに気を揉む。だが、それを今考えても仕方がない。
「ねぇウィーン。少しきれいな水出せる?」
 声をかければぐったりとパラシュートに運ばれたままだったウィーンは背筋をしゃんと伸ばした。
「水筒に入るぐらいでいい?」
「うん」

 アテネに確認を取るとウィーンは空気中の水分を纏め、丸い玉を作るように手を動かしていく。するりするりと水蒸気が液体の水へと変化していき、それを空になっていた自分の水筒に入れた。
「はい」
 その声に反応してアテネからウィーンに向けて蔓が伸びる。先端がカギ状になっているということは、ここに引っ掛けろという意味だろう。ウィーンはその蔓に水筒を託して、再びぐったりとパラシュートの蔓にもたれかかった。

 アテネはウィーンから受け取った水筒をリアドに渡す。合わせて綺麗なタオルも差し出した。
「これにつけて拭いて。それからコレ……オトギリソウ。煎じて塗ると切り傷に効くんだけど、そこまでできないから汁を塗りつけて」
 全てを蔓から受け取ったリアドは「わかった」と言ってパリスの手当をし始めた。とりあえず、今できることはこれぐらいだ、とアテネは眼下を見下ろす。そして眉間に皺を寄せた。

 彼女たちは大きな樹海の上空にいる。平らなところはどこにも見当たらない。どうやって無事に地面に降り立つか……あの木々はおそらく、軽く20メートルは地表よりも上にあるのだろう。
「リアドに焼き払ってもらうにしても、せめて……」
(ザグレブみたいな爆発力が欲しいところね)

 アテネは心の中でため息をついた。見た所、ここの空気は水気を存分に含んでいる。ということは、カラカラに乾燥して燃えやすい場所、ではないのだ。
「どうすれば……」
 八方ふさがりか、と思考し始めたとき、「アテネ」と自分を呼ぶ声が聞こえた。
「カイロ……無理しないで。今あなたまでダウンされると困るの」
「ち、がう……雷、で。着火した火を……リアドはコントロール、できるか?」
 真剣に心配するアテネの声を否定しつつ、辛そうに息をするカイロ。顔色はパリス程ではないが青く、パラシュートを握った手は紙のようだ。それでも、意識はしっかりしているらしい。
「リアド」
「出来るよ。炎が見えれば、それをコントロールすることはできる」
 パリスの傷口にオトギリソウの汁を垂らしながら、リアドは答えた。痛いのか、「うぅ」という唸り声と共にパリスが身じろいだ。

「雷、は……重力に従って落ちる方が、負担は少ない。それで、コントロールし……」
「平らとは限らないでしょう?山の傾斜だったら上手く着地できないわ」
「……地面が見えたら、俺がなんとか出来る」
 それまで傍観を決め込んでいたモスクワが声を上げた。ハッと彼の方を向くアテネ。
「リアドと同じさ、見えてればなんとか出来る……平らにすることはできても、速度は……」
「それこそ、オレが炎で上昇させたりできるから、なんとかなる」
 モスクワの懸念を、リアドが力強い声で遮った。
「そうね、それにパラシュートの大きさは私が調節できるわ」
 アテネも同じく、頷いた。

「今、ここで力をフルに使えるのはオレとアテネだろ?だったらオレは出来ることをする」
 それが、さっきまで全力を尽くしたパリスに返す事が出来ることだ、と続けるリアドに、アテネは頷いた。彼女も、同じ事を思ったのだ。
「私ができるだけ平らな場所を探すわ……少し離れるけど、よろしくね」
「分かった」
「よろしくね、アテネ」

 リアドのしっかりとした声と弱々しくも頼れる仲間であるウィーンの声に背中を押される形で、アテネはパラシュートの方向を操作しながら周囲を確認することにした。

 対象から離れていようと、見えていれば状況を把握できるのはアテネも同じだ。植物の根の方向、根元の様子を可能な限りスキミングしていく。時間はあまりない。自分たちが元々落ちてきたところからあまり離れることはできない。それでも。
(この辺りならかなり平らに近いみたい……)
 仲間を右側の視界の端に捉えながらアテネは一人頷く。そしてふと、視線を前に向けた。
(大きな山……ここは、何処なのかしら……人の気配も無いのよね)
 山頂が雲に隠れているその山を見ながら、アテネはぼんやりと思う。だが、それは全て無事に降り立ってからの事だ。
(急ごう)

 アテネはそう言い聞かせると、仲間の元へと一度戻り、良く通る声で呼びかけた。
「こっちに来れる?」
「ああ」
 答えたのはリアド。彼はひょいひょいと火の玉を作るとそれを動かして気流を発生させる。それは風を生みだすパリスが意識不明になっているからこそ、考えていた方法だった。
「この辺りが一番平らなの」

 アテネは自分が見つけた箇所まで皆を案内すると、そう言葉を発する。聞こえていた4人はすう、と目線を下へ移動させた。確実に木々が近くなってきていることが分かる。いつまでも空中にいる事が出来ない様に、彼らは地表に足を着ける必要があった。
「……おと、すぞ」
 ばちばち、と雷を手に纏わりつかせるカイロ。その土気色の顔色から、彼が雷を落とすことができるのは今回だけだろうことが容易にうかがえた。
「ああ、いつでもいいぞ」
 逆にリアドの声には張りがある。やはり生まれ育った環境に帰ってきた事が大きいのかもしれない。

 ばちっ、と大きな音と共に、雷が一本、アテネが指し示した付近へと落ちる。そのまま、1本の木に引火した。
 ぼう、と燃え上がる炎を、リアドはぱちりと瞬き1つで統率する。一気に木の枝を伝って燃え広がろうとする炎をコントロールし、じりじりと丁寧に炎を移らせていく。たらり、と汗がリアドの額を滑り落ちた。
 その様子に驚いたのはモスクワとウィーンだ。アテネが能力のコントロールが完璧にできるのであれば、コントロールが苦手なのがリアドだったはず、と2人は一瞬、目を見合わせる。その様子を見たアテネはくすり、と笑った。
「リアドは元々、遠隔操作が得意なのよ。自分が生み出す炎ではなくて元々存在する炎を自在に操る方に長けていたの……少なくとも、アーリアルに居た時はそうだったはずよ。能力者だと分かったのも、竈の火の形を変えて遊んでいたからだ、って聞いたし」
「そう、なの……」
「初めて聞いたぜ……」

 「みずのなか」の2人はぽかんとした顔で感想を漏らす。それにアテネはくすり、と肩で笑った。同じ「りくち」出身のザグレブはまさしく自らが発する炎で能力が顕現したタイプだがリアドは自らが炎を出せるようになるまでかなり時間がかかった、と聞いたことがある。得手と不得手があるのだ。
「アテネ、これぐらいの範囲でいいか?」
 視線は眼下に落としたままリアドが尋ねる。それにアテネは炎で囲まれた箇所をじっと見つめた。それぞれの木々の立ち方を確認して頷く。少し空き地になってしまうがそれは後で木々の種を埋めてある程度成長させることで手を打つつもりだ。
「大丈夫よ」

 アテネが了解を伝えると、にやりとリアドが笑う。
「了解、じゃあ……燃えろ」
 ぽつりと呟かれた言葉に呼応するように、一気に円で囲まれた箇所に炎が燃え広がる。そしてそのまま、燃えて地面がむき出しになったところに、モスクワが地面を揺らした。
「あ、あんまりならす必要はないな……」
 覇気のない声音でもこれだけの力を普通に行使するモスクワがやはりすごいのだろうか。そう呟いたモスクワの後に「燃えカスどうにかして」というウィーンの言葉がつけ加えられる。それにモスクワは視線だけを動かして答えた。
「分かってる」

 ずんずん、と局所的に地面を揺らすモスクワはそのまま燃えた炭などをきれいに細かくしていく。そうしているうちに彼らは地面に向けて下降を続けていた。
「モスクワ、多分そろそろ大丈夫」
「……分かった」
 アテネの言葉に能力の発動を終えるモスクワ。そして彼はじっと地面を見つめたのだった。

「私がまず降りるから」
 アテネが周囲を見回しながら言えば、帰ってくるのは頷きだったりそこまで気を付ける事が出来ない顔だ。すう、とパラシュートの大きさを調節しながら自分が一番に着陸するように移動する。適度な広さに纏められたその森の一角を目指してパラシュートの角度を調節し、そして……。

 たんっ

 どうにか、地面に着陸したのだった。



2015.1.19 掲載