5章:オチルヒトと世界の壁…4



 アテネはそのまま勢いを殺すために走りながらパラシュートの代わりとしていた巨大な葉を自分の体から切り離す。それと同時に自分の前に枯草の山を出現させた。ぽすん、とそれに倒れ込むように勢いを殺し、どうにか彼女は体を起こした。

「ふぅ……って、安心するのはまだ早いわ」
 思わず安堵の息をついてから彼女はふるり、と自分の頭を左右に振る。そして枯草を鞄や服につけながらも立ち上がるとしっかりと両足を地面に据えた。
「リュア、ちょっと無理するから」
『……分かってるよ、アテネ』
 小さな声でずっと鞄の中に隠れていた妖精に声をかける。それに、小さな声でリュアは答えた。

 アテネは、その小さな声に内心謝罪する。アテネには分かっていた。ここにたどり着くまでの間で充分に無理をしてきているのだ。今日、この日の騒動だけでも。
 妖精持ちと呼ばれる妖精と共に在る能力者が彼らの中で能力値が上位に位置するのは、自分たちが操れる力の許容量が大きいだけではない。妖精たちが内包している通常の人とは比べ物にならない程の力も、彼らが借用し行使できるのだ。一説に寄ると、妖精たちは彼らの力を使う事を良しとした能力者の許に訪れるらしい。……それほどに、この妖精の力を使う事の意義は大きい、といえた。
 力を貸した妖精たちはその存在が希薄になり、透明になっていく。そして、深い深い眠りに落ちると言われている。恐らく、今、パリスの妖精であるルルはその状態だろう。言うなれば、無理に無理を重ねた結果である。それでも限界値を突破して能力を使うとパリスの様に体に反動が来ることがほとんどだ。
 妖精持ちも人の子。その肉体的な限界に達するまでの時間と能力の大きさが他の能力者とは違うだけなのだ。

 アテネはその事を十分に承知している。だが、ここで彼女が無理するかどうかで全員が無事に降り立てるかどうかがかかっているのだ。
 決意に満ちた顔でアテネは大きく手を振った。
「順番に降りてきて!」

「ウィーン、先に降りろ」
 張り上げた声にリアドがウィーンに声をかける。同時に彼女が一番降りやすくなるように火の玉を動かしながら空気の対流を作り、程よい場所へと誘導した。リアドも、いくら遠隔操作が得意とはいえ、自分から大きく離れた炎を広範囲にわたり操ったばかりだ。継続していくつかの火の玉の微調整を行っている。彼も、自分の能力としての限界値に近づいていることは理解していた。だが、それでも、彼も無理を承知でやらなければならない。
 今、この中で比較的動けるリアドとアテネは、十分に理解していた。皆が無事に生き抜けるかは2人の肩に乗っていることを。全員が無事に降り立つことが出来なければ、パリスの決意と努力が水の泡となることを。

「……分かったわ」
 徐々に速度を落としながらウィーンは地面を見つめた。アテネがパラシュートになっている葉の大きさなどを調整しながらしっかりとウィーンの事を見た。じわじわと迫る地面にタイミングを計りながら、ウィーンはたん、と軽い音で足を着いた。しかし、勢いはそのままでは殺すことが出来ず、そのまま倒れ込みそうになりつつも足を動かす。アテネはウィーンのパラシュートをブレーキにしながらすぱっと切り離した。
 反動で前につんのめるウィーンを受け止めたのは枯草の山。その感触にウィーンはほ、と息をついた。

「ウィーン、立てる?」
 空を見上げたままウィーンに近づいたアテネは静かに声をかける。その言葉にウィーンは体を起こしながら「ええ」と答えた。
「そのままこっちに来て」
「……こんなに、空気って、重かったかしら?」
 ゆっくりと歩き、先程男子3人の力で作られた広場の端まで移動するウィーン。その足取りはとても重い。アテネはウィーンの言葉に困ったような顔をした。
「そのうち慣れるよ、としか言えないかな……」
 アテネの顔を見たウィーンは小さく息を吸いながらアテネの隣に腰を下ろした。その様子を確認したアテネはもう一度上空を見つめる。そしてリアドに手を振った。

「いつでもいいよ、リアド!」
「……ああ」
 リアドは自分だけでなく意識のないパリスも連れている。だからこそ彼はより一層慎重に高度を下げていく。そして、勢いを最後の最後まで殺して既にできている枯草の山(アテネとウィーンを受け止めた2山分だ)にぽすん、と落ちた。同時にアテネが彼のパラシュートを取り払う。即座に体を起こし、自分の隣に倒れ込んでいるパリスの腕を肩にかけて引きずった。
 本来ならば彼は抱き上げたいのだろうが、そこまでの力も上背もない。そして何より、リアドの意識の一部は、まだ上空にあった。
「ウィーン、しばらくパリスの事見ててくれ」
 座りこんで浅い息を繰り返すウィーンの横にパリスを横たえる。リアドの声にウィーンが頷いたのを確認しながらアテネもパリスの鼻に手を近づけた。その目は、真剣そのものだ。本当に弱弱しいが息をしていることを確かめ、わずかに安堵を顔に浮かべてから彼女もリアドと共に上空を見上げた。

 リアドは既にモスクワとカイロの様子を見極めようとしていた。
「カイロ、大丈夫か!?」
「聞こえてるなら手をあげて!」
 アテネもすぐにリアドの隣に立ち、声を張り上げる。2人は並んでまだ空に居る2人を見た。

 言葉も反応も帰ってこない状態にアテネとリアドは焦りを募らせる。速度を落としながら、先程のリアド・パリスと同じように枯草の上に落ちるように調整した。
「モスクワ、先にカイロを降ろすから!」
 リアドの声に、モスクワは片手をあげて答える。モスクワから見てもカイロが息をするのがやっとであることが見て取れた。
「カイロ、根性見せろよ」
 あまり大きな声ではなかったが声を零せば、カイロは視線をモスクワに寄越す。その目は、まだあきらめていない事が見て取れた。ただ、声を出すのが辛いらしい。

(そういえば……カイロもパリスも、「そら」以外の世界には行ったこと無いんだったよな。じゃあ世界の間で何がどれだけ違うのか、も知らないのか)
 モスクワは納得したように小さく頷いた。

 世界の間で気圧や空気の量をはじめとした人を取り巻く環境は違う。また、その環境の変化は世界の境界線を通過するだけで急激に変わるのだ。わずか数秒で彼らが通りすぎたその境界線で。
 この環境の変化は、慣れるまでに時間を要する事も示しており、その昔、世界間の人の交流は本当に限られた物だった、らしい。
 なおかつ、今回は境界線を生身で突破してきたのだ。「そら」の薄い酸素濃度や低い気圧……をはじめとした代表的な空気の質と現在の「りくち」の濃い酸素濃度・高い気圧……をはじめとした空気は明らかにかけ離れている。「りくち」出身のリアドとアテネは、逆に生まれ育った気圧・酸素濃度などに即座に対応したと言えた。
 モスクワとウィーンは生まれた世界である「みずのなか」から「そら」へと移動する事にはある程度慣れているためまだ大丈夫、と言うところだろうか。それでも三世界のなかで一番酸素濃度が濃い「りくち」という世界に無意識に息を吸う量を少なくしていた。

「カイロ、そのまま落とすからな!」
 リアドが火の玉を操りながら減速して行く。彼は、そのままほぼゼロ速度となったところでカイロを枯草の山にぽすん、と落とした。
 アテネが彼のパラシュートを取り払う。その間、リアドはカイロの元へと駆け寄った。
「カイロ大丈夫か?!」
 枯草の山から助け起こしながら問えば、顔をしかめながらも小さく頷く。しかし自力で動くことはままならないらしい。

「リアド、まずはモスクワを降ろしましょう」
 アテネが言えばリアドはこくり、と頷いた。モスクワは自分で動けるので、枯草の少し手間になるように調整する。速度を丁寧に落としながら地面に近づけた。モスクワも分かったようで、足が地面に着くと止まるように、と足を動かした。
「と、とと……」
 アテネがパラシュートを取り除き、彼の前に枯草の山を出現させる。そしてそこにぽすん、とモスクワは倒れ込んだ。

「……生き、てた……」
 実感のこもった声と共にモスクワは体を起こして足を踏み出す。そして、ずっしりとひきつけられる重力の力に眉をしかめた。

「モスクワ悪い、カイロ引っ張るの手伝っ……カイロ?」
 リアドがモスクワに向かい声をかけながらカイロの様子を伺うと反応が無く、問いかける。しかし、それでも反応が無い。
「限界、だった、んだろ……」
 立って歩くのすら辛いと見て取れる表情でもなお、モスクワはカイロの所まで足を運ぶ。そしてリアドと共に枯草の山から彼を降ろした。

 パリスの隣に寝かせてアテネが手を鼻のあたりにかざすと、吐息は感じる事が出来る。ほう、と息をつきながら「大丈夫」とリアドとモスクワに言えば。
「よかったー!」
 リアドはごろん、と地面に自身の体を投げ出した。モスクワもウィーンの隣に腰を下ろしながら青い顔をしながらも安堵の表情に彩られる。

「……とりあえず、私たちは、生きてるわ」
 アテネも、その場にへたり込んだ。
 意識のない2人を除いた4人は、生きている事への安堵の息を大きくついたのだった。



2015.3.14 掲載