「それでも、ここがどこか分からないんだよな……」
リアドもその場に体を起こして座り込みながら、口を開いた。アテネもわずかに頷く。
『りくち』出身の2人でさえ、今が万全の状態ではない。しかも彼らはどこか分からない森の中にいるのだ。
リアドの言葉にうなずきながら、アテネは空を仰ぎ見た。太陽がそれなりに低くなってきている。本来ならばこの時間には学校に帰っていたはずの時間帯だった。
「リアド、しょうがないわ。今夜はここで夜を明かすしかない」
「……柵か何か準備できるか?ベッドはあの枯草使えば痛くないし……火はオレが灯せるけど……」
周囲を見ながらリアドが答えれば、アテネは思案の底に沈んだ。かなり力を使ってしまったのだ、そこまでしても平気なのかが分からない。だが、何もしない状態で、夜の森で夜を明かすなど、考えたくもない。アテネは無意識に自分の体を抱きしめながら、ふるり、と体を震わせた。
「……そんなに深刻なの?」
ふたりが話している事をずっと聞いていたウィーンは夜の森を知らない『みずのなか』育ちだ。モスクワは自らの属性でありながら、初めて『りくち』の土に触れている。顔色は優れないが、表情は明るく、楽しげではあるが、彼は今、話を聞いていない。
「……『そら』にも、獰猛な野鳥が多い場所とかあったじゃない?どんなに平和に見えても、夜の森は危険なの」
アテネは思い出しながら言葉を紡ぐ。その言葉に、ウィーンもなにかを考えながら言葉を溢した。
「……夜の深海……みたいな感じかしらね……」
どんなに太陽があるときは平和で明かりが届こうとも、夜になれば世界は闇に沈む。一番太陽に近い『そら』でも、太陽から遠い『みずのなか』でも、その事実は変わらなかった。
「普通なら木の上で夜を明かすんだけど……」
アテネは、力なく横たわる銀髪の少女と金髪の少年を見やった。体にかかる重力と気圧の大きさは、『そら』の環境と比べれば、かなり違う。この状態に直ぐに慣れる事は難しく、飛空船に乗っても『そら』の人間が『りくち』に慣れるまで数日かかると言われているのだ。暫く2人はこの状態だろう、とアテネはため息をついた。
「この状態の2人を木の上に引っ張りあげるなんて、今は出来ないわ……」
通常の状態ならばできたであろう、と案に示唆するアテネにウィーンは内心彼女の能力を見直しつつ、ではどうするか、と鈍く痛む頭で考え始めようとしたとき。
「土壁でも、いいか?」
初めて『りくち』の大地に降り立ったモスクワは、地面に手をつきながら、尋ねた。
「……聞いてたの」
ウィーンが億劫そうに口を開く。それにモスクワは頷いた。いつもの笑顔とは程遠い笑顔ではあるが、笑顔で。
「最後の方だけな。……それにしても。『みずのなか』とも『そら』とも全然違うな。大地は『りくち』にあり、って言葉の意味を理解したわ」
1人で頷きながら楽しげに言葉を繋ぐモスクワに、皆一瞬行動を止めた。
「……そんな言葉、私は知らないけど……」
アテネが訝しげに問えば、モスクワは「んー」と唸りながら考え。
「今、俺が言った」
と、けろりと言い切った。
「……信じられないわ」
「……ウィーン、そもそも、モスクワにそういうものを求めるなよ……」
平然と言ったモスクワに対して、ウィーンは唖然とつぶやく。逆にリアドは苦笑いと共に切り返した。
周りが何をしていようとも、マイペースに物事を進めるモスクワは、軽く両手を地面に着く。四つん這いの状態になりながら、彼はすっと目を閉じた。
土の属性ではないものの、親和性のあるアテネは感じた。モスクワの能力が、両手を通じて地面に流れていく所を。
(すごい……こんな事が、分かるなんて)
今までモスクワの能力がどれだけすごいのか、肌で感じていなかったのは、土がある環境にいなかったからなのだろう、とアテネは推測した。
ずごごごご、と音を立てて地面の一部分が沈み、その周りを半円の様に取り囲むように土壁とわずかにひさしが付いたようなモノが出来上がった。
だが、大きさは思っていたよりも小さく、6人が寄り集まって寝るといっぱいになってしまうだろう大きさだ。
「……わり、今はこれが限界、だ」
ぜぇ、はぁ、と肩で息をしながらその場にへたり込むモスクワ。それにアテネとリアドはふるり、と首を振った。
「何言ってるの、これだけあれば十分よ」
「風を防げる。かなり違うはずだ」
そう言いながら、リアドはアテネが出した枯草の山へと歩く。そして一抱えの枯草を持ちあげると、モスクワが作り上げたくぼみの中にどさり、と入れた。
「……リアド、そっちはお願いしていい?」
ぱんぱん、と手をはたきながらリアドがどれぐらいの枯草を運ぶか思案しているとアテネが声をかけた。
「ん?うん、いいけど……どうしたんだ?」
「食べられるもの、探してくる」
リュックサックの中身を取り出して地面に置きながら、アテネは口を開いた。
風を防げる壁が出来た。……簡易的ではあるが。寝床も、とても簡単なものだが、確保できる。それならば、あと生きるのに必要なものは食べ物だった。
どこの森にいるのか、植層を見ればアテネは見当がつくかもしれない、とも思っている。その事は口には出さないが、彼女とリアドは、いかに迅速に人間と接触するか……が彼らの命を繋ぐことを知っていた。
「わかった、オレはこれをしとく」
「よろしく」
そう言うと、アテネはふらりと森へと足を踏み出したのだった。
◇
ぱちぱち、と炎が爆ぜる。
焚き火に手を入れて枝を直接弄るのは、リアドだ。
「焚き火を置いとけば、獣は来ないよな?」
肘ぐらいまで炎に腕を入れていたにも拘らず、リアドは顔色ひとつ替えない。彼にとって、水に腕を入れるのとさして変わらないのだろう。
「モスクワが作ってくれた壁の前にあれば平気じゃないかしら……」
リアド以外にただ一人、焚き火のそばにいるアテネは疲労を声に滲ませながら答えた。
「そう、だよな」
リアドも、木の枝を火にくべながら相槌を打つ。彼も表情に疲労が滲んでいた。
アテネは、夜空を見上げてから、窪地で眠る4人を見た。
パリスとカイロは昏々と眠り続ける。特にパリスは傷口の手当てもあり、アテネは水を探したのだが見つからず、結果としてウィーンを頼ることになってしまった。それでも、傷の痕は残ってしまうだろう。
アテネが持ち帰った果実はモスクワとウィーンに振る舞われ、2人はそれをもくもくと口に運んだ。甘酸っぱい大地の恵みの味をじっくりと味わうだけのゆとりもなく、2人はその後眠りに落ちた。やはり世界をまたいだのだ、調子が良くないのだろう。
アテネとリアドは逆に、果物ではなく芋を火にくべて食べる。味は少々癖があるが、普通に作られている芋の近縁種のため、毒も無くサバイバルにもってこいだった。
リアドが火の中から取り出した芋を手に持ちながら、アテネはゆうらゆうらと体を揺らした。
「アテネ、それ、枯草の中に入れといて、明日潰せばまだ食えるから。もう寝ろ」
見かねたリアドがそう言えばアテネは手に持っていた芋を片付けてから、他の4人が眠る枯草の上に横になる。
「……明日はこの辺りを少し元に戻してから、水を探したいわ」
焚き火の近くで眠るつもりらしいリアドの方向に体を向けながら、アテネは口を開いた。やはり疲れているのだろう、ただの枯れ草なのに、温かい。眠っている4人の体温もアテネは感じた。
「オレも探す……魚とか捕れれば……動けるし」
同じように横になったらしいリアドの声が、途切れはじめる。
「うん……川、か……泉……」
答えるアテネの言葉も途切れていった。
(オレ達は……どこに)
(私達は……どこに)
((いるんだろう?))
眠りに落ちる直前、リアドとアテネは同じことを思う。いったいどこにいるのか。それが分からないと助けを求める事が出来ない。
だが、今の彼らに必要なのは休息であり。
そこに残ったのは、寝息だけだった。
2015.5.13 掲載
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