目を開けたら、そこは知らない場所だった……。
いや、大袈裟じゃなくてね。本当に。上を見れば空が……遠くに見えるし、何かが屋根みたいに張り出してる。
何でか分からないけど、体も重い。まだ寝ていたい。何か聞こえた気がするけど、私は目を閉じた。
◇
夢を見た。私は大きな空を飛んでいる。それはそうだよねー!私はサヘル空のパリス、『そら』生まれの『そら』育ち!
でも、夢の中の私は、もっと大きな人の横を飛んでいた。誰だろう、私の知らない人。とてもきれいな、ウェーブのかかった髪を持った、お兄さん。その人の横を飛びながら、私はこの人なら信じられる!って思ったんだ。
その人は私に向かって何か言ってるけど、風の関係か、声は飛んでしまって聞こえない。だけど私はにっこり笑いながら頷いたんだ。
大きな空の下を飛びながら、私は自由に羽を伸ばす。これでもか!ってぐらい大きく羽を伸ばしてから、その人の肩に座る。お兄さんは笑いながら私の頭を撫でてくれた。
ただ、夢の中だからなのか分からないけど、音は聞こえない。私の声も、風を切って進んでいるはずの、風の音も。お兄さんの声も。何も聞こえない。それでも、私は、夢の中で確実にその時を楽しんでいたいんだ。
◇◇◇
「さっき一瞬……目を覚ましたと、思ったんだけど」
ウィーンは土壁に寄りかかりながらパリスの髪を撫でつける。美しい銀色のその髪に枯草が絡まっているのを時折取り払いながら、パリスの様子を伺った。
先程、ウィーンが戻ってきたリアドとアテネの方向を見ている時に、一瞬、パリスが目を開いたように思ったのだ。何かを見たのか、何かを言いたいのか、何かがあるのか、聞く間もなく彼女は再び意識を閉ざしている。
アテネは、パリスの顔を覗き込んだ。血の気は大分戻ってきているように見える事から、容態が安定してきているのだろう事は理解した。しかし、丸1日を過ぎてもまともに意識が回復しないのはやはり芳しい状態であるとは言えない。それは、その場にいる誰もが理解していた。
確かに、彼らがいる場所は全ての力や疲労を癒すにはあまりにも簡易的過ぎる。そして、動けない状態であるパリスやカイロを置いて遠くまで人里を探しに行くことができない事も、アテネには分かっていた。
モスクワは地面に座り込んで地中の中の様子を探るのに夢中になっている。『みずのなか』にも土はあるが、それとは事情が違うのだから当たり前だろう。土が……大地があるのは、『りくち』だけである。
『りくち』は大地と炎の世界。そこは、全ての命が繋がる世界。
モスクワは生まれて初めて、大地の持つ力を痛感した。『そら』の学校であれ、故郷の『みずのなか』であれ、彼がその能力によって生み出す土に、生き物の気配はない。だが、彼が座る大地には、非常に多くの、数えきれないほどの生き物の気配があった。
じっくりと地面を食い入るように見つめているモスクワに、まだ青い顔で浅い息をしているカイロが視線を投げる。普段ならばモスクワは無視していただろう。しかし、今の状態が状態であるため、モスクワはカイロへ視線を送りながらわずかに首をひねる。
「どうした、カイロ?」
モスクワの言葉も掠れていた。
「みず」
腕をあげるのも億劫なのか、首だけを水筒へと向けたカイロ。モスクワはああ、と立ち上がろうとして……諦めた。彼の頭上には、『りくち』に到着してから彼が作った土の屋根がある。
立ち上がる代わりに四つん這いで這うようにして水筒の元へ移動すると、彼は水筒のうちの1つを手に取る。そのまま一度座り込み、息を整えてからカイロに水筒を手渡した。
「水は足りてるか?」
外から問いかけながらリアドが袋を持って戻ってくる。『りくち』出身者のアテネとリアドは生まれ育った故郷の環境に一晩で完全に順応し、疲労もあまり残っていないらしい。
「何匹釣れた?」
「3匹。結構粘ったんだけど」
アテネの質問に答えてから、リアドはどさりとカイロの隣に座りこむ。そして、カイロの顔を覗き込んだ。下から見上げるリアドに、カイロはよりいっそう顔をしかめる。それでもリアドはそのまま、カイロの表情を伺った。
「何とか食えるものがあるといいんだけど。魚は食えないよな……」
カイロの顔が歪む。目は何を言っているんだ、と非難する目だ。事実、カイロは水を飲むことにすら辟易していた。
「モスクワは、よく、平気ね……」
カイロ程ではないが芳しくない顔色で奥にいるウィーンが肩で息をしながら言葉を紡ぐ。それにモスクワはんー、と口許を緩ませながら肩を竦めた。
「俺は、地面に座って状態を、ほら。調子を何とかしてるから……」
「状態を整えている、ってこと?」
パリスの額に塗れたハンカチを置きながら問いかけるアテネに、モスクワは頷く。その言葉を聞いてる間もカイロはじっと空を睨みつけていた。
「ウィーン、果物なら食べられるか?カイロも出来れば食べた方がいいんだけど」
「果物な……」
十分に休んだのか、リアドが立ち上がりながらウィーンに声をかけ、ウィーンが答えようとした時。
隣にいたパリスのまぶたがゆっくりと持ちあがり、薄紫の瞳が、現れた。
◇◇◇
隣から声がするな、と思いながら目を開けると、そこにはみんながいた。……多分。
ちょっとぼやっとしてて見えてないけど、多分。ゆっくりと瞬きすればぼやっとしてるのも治るかな、と思って瞬きしてもあんまり変わらない。おかしいな、私。目はいいはずなのに……。
だから、目に何かあったのかと思って手を動かそうとしたんだけど……全然、動く気配が無い。というか、体が起こせないし動けない。なにこれ。
しかも、息もできない。体も重いし、空気がまとわりつくし、息吸っても吸ってるように感じないし、水か何かを飲んでるのかな、ってぐらいだし。なにこれ。なにが、あったの……!?
一気に汗が噴き出す。動かない体を動かそうとする。だって、私。今、何かあったら!何もできない!私がここにいる事だって、きっと何かがあったからで……!
何が何だか分からない!ここは、どこなの?何があったの!?私は、私は……!
「パリス、落ち着いて」
動かそうと思っても動かない体と、息を吸って言葉を出したいのに全然言葉が出てこない自分と、周りのみんなが何かを言ってるのに全然理解してくれない頭と。パニックになりかけたところに、アテネが肩に手を置いて言ってくれた。アテネの言葉は耳に滑り込む。落ち着け、落ち着け……って言い聞かせながら、体を起こそうとして、腕に包帯が巻かれている事に気が付いた。
「……ア、テ……」
みんなの視線が、私に集まる。体を起こそうとしたらウィーンが横から引き揚げてくれた。ウィーンも、その隣にいるカイロも。座り込んでるモスクワも、立ち上がりかけてるリアドも。
自分の背中に寄りかからせてくれるウィーンにお礼を言いたいけど口をパクパクさせてたら、アテネが。さっき、名前を呼ぼうとしたら、くしゃっと顔を歪めたアテネが。
いきなり、私に向かって体を倒した。どうしたの!?って思ったら、腰に手が回ってくる。……つまり、これ、アテネに抱き着かれた、んだ。私はやっとみんなの顔をしっかりと認識できるようになった頭で、ぼやっと考える。
良く分からないけど、アテネが私にしがみついて泣いている。声を出すこともなく。
どうしたらいいのか分からなくて皆の方を向いたら、みんな似たように泣き笑いの顔をしていて、いったいどうしたのか分からなくて。
私はただただ、途方に暮れるしかなかった。
2016.2.29 掲載
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